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人造のアーダム  作者: 猫一世
スケープゴート
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スケープゴート 第一節

 遠い過去を思い起こす時、人間というのは実に都合のいい記憶だけを思い出しがちだ。記憶とは、カメラの写真や、携帯で撮ったムービーではない。不変のように思えるが、その実は単なる心象に過ぎない。客観的な実証性などなく、常にそれは主体的で空想的なのだ。

 前置きが長くなったが、つまり今からする昔語りは、本当のことかも嘘かもわからない。もしかしたら虚飾に塗れているかもしれないし、反対に実際起きた事象かもしれない。

 つまりはどうせ誰も、この話が本当か確かめる術がない。

 美談であれ悲劇であれ、今から語るフォークロアは、私の独断と偏見が入り乱れるものだ。


 なんだったか、こういう語り口には、お決まりのフレーズがあった気がするな。

 えっと「信じるのも信じないのもお前が決めろ」だったか。

 なんか言葉が違う気がするし、最初ではなく、締めの文言だったような気がする。


 何でもいい、じゃ始めよう。



 

 目を眩ませる夏の日差し。けたたましくなり続ける蝉の求愛。体に纏わりつく湿気。焦げたアスファルトの匂い。味覚を除く、あらゆる感覚に不快を覚えさせる夏が、僕は嫌いだった。夏休みだというのに、僕は空調の聞いた室内に籠り、来る日も来る日も本を読むだけ。

 中学生になって初めての長期休暇。やりたいことは思い浮かぶが、それを実行する気力はない。だから僕はひたすらに本を読む。別に本は好きじゃない。書いてあることも十分には理解できてない。単に知識をため込み、クラスの子たちや先生から一目置かれ、日々の暮らしを楽に過ごしたいだけである。今や才能も全て生まれた時に決まる時代。僕のような“子宮育ち”は、学力であろうと運動神経であろうと、一番になることは決してない。努力したって報われないなら、効率よく過ごすのが僕たち“子宮育ち”の一番の処世術だろう。

 しかし僕も思春期の中学生男子。あの子に良く思われたいとか、付き合いたいとかという世俗的で下半身的な思考にふと支配されることがある。その“あの子”というのは、向かいの家に暮らす所謂幼馴染。

 彼女はもう珍しくもないデザインド。故に容姿も端麗だし、頭も良い。馬鹿が嫌いな僕からすれば、まさに理想的な存在だった。

 彼女は誰とでも分け隔てなく、仲良くできる子だった。つまり人気の出やすい八方美人タイプ。同性からは憎まれやすいタイプだろうが、彼女は人間関係を構築するのが本当に上手かった。まさにクラスの中心で、彼女を嫌いな人間なんていないだろう。

 幼馴染の誼もあり、彼女、黒木愛美とは、登下校を共にしていた。クラスの中では僕たちの関係に野次を飛ばすものも多く、その度に僕は思春期の男子らしく、照れながら否定をしていた。晒しものにされているという羞恥が半分、もう半分はクラスの美女と恋仲を噂される嬉しさだった。

 ここまで言ってて気づかぬものはいないだろうが、僕は彼女が好きだった。

 彼女への明白な好意に気付いたのは小学五年生の頃だったか。いつか告白してやろうと悶々と二年を過ごしていたが、転機は中学生になりたての頃に訪れた。クラスの男の子からもますます人気者になる彼女を見て危機感を覚えた僕は、一学期の半ば、ゴールデンウィークの最中に愛美を呼び出し、愛を謳った。

 結果?見事に撃沈。

 善戦すると思っていたんだが、完敗だった。

 理由も勿論聞いた。何故ダメなのか、とね。もう恋人を作ってたとか、好きな人がいるとか、お前はそこまで好きじゃないとか、いろんな予想を脳内で巡らせていたんだけど、返ってきた答えは意外なものだった。

「君のことは好きなんだ……付き合ってもいいんだよ?けど、けどね、今はダメなんだ。ごめんね」

 だってさ。よくわからない理由だったよ。なんで今ダメなのか聞いてもそれ以上答えてくれなかったし。けど最後に

「もし二年後、中学を卒業するころにまだ私を好きでいてくれたら、必ず君の告白に答えるよ」

なんて言われたものだから、僕の童貞心は少しばかり晴れた気がした。

 男は単純だねえ。

 とにもかくにも、僕は愛美との将来の約束に心を躍らせたが、それも一か月過ぎた頃には再び不安に変わっていた。夏休みに入り、その不安は加速していくばかり、世のアベックは今頃ひと夏の思い出作りに営んでいると思うと、僕は歯がゆくて仕方なかった。

 二年後に、皆を見返せるから。そんな言葉を呪文のように自分に言い聞かせ続けた。

 けどそれもそろそろ限界。

 五識ならぬ、四識への鬱陶しい刺激に耐え、黒木家の門戸に到着する。思えばこんな近くというのに、彼女の家に入ったのは小学校三年生以来だ。四年生以降は彼女のご両親が離婚していたこともあり、彼女を我が家に招き入れることはあれ、こちらから赴くことは何処か避けていた。門柱に備え付けられたインターホンを鳴らす。インターホンマイクから反応は無かったが、扉の向こうからドタドタという足音が近づいてくる。

 がちゃりと紅色に染まった扉が開く。

 上半身だけを乗り出すように、こちらを伺う少女。

「よ、黒木。今暇?」

 昔は良く下の名前で呼んでいたんだけど、異性と意識し出してからはもっぱら苗字で呼ぶようになった。気恥ずかしかったんだろう。

「え、嘘。どうしたの?珍しいね、ちーちゃん」

 ちーちゃんとは、智晶、つまり僕のあだ名である。ただでさえ女っぽい名前というのに、あだ名までちゃん付けである。時々女男なんて揶揄されることもあるが、それはもっぱらこの名前とあだ名のせいであった。

「いや、さ。休みって意外にやることないなってさ。もし黒木が暇ならで良いんだけど、今から遊ばない?」

 この時の僕の心境は穏やかでなかった。必死に昔からの付き合いを装ってはいるものの、どうにも異性と認識してしまい、心臓の鼓動が早まっていた。

「今から……」

 僕の提案を聞いて一度扉を閉め、家に引っ込む愛美。親父さんに許可を取りに行ったか、予定を聞きに行ったか。一分もせず再び足跡が聞こえてくる。扉は先ほどよりも勢いよく開き、愛美も上半身だけでなく体全体を外に出す。

「実は17時から予定が入ってるんだけど、それまでなら大丈夫!」

 内心ではガッツポーズ。しかし外面はあくまで冷静に。

「そっか。じゃあ」

 と黒木家の鉄門に手をかける。しかしその様子を見た愛美は慌てて

「え、うちで遊ぶの?」

 と言って僕の行動を制止する。

「あれ、ダメ?」

「えっと、その、言いづらいんだけど……」

 この言葉と、先ほど開かれた扉の先の光景が、彼女の心情を察する手がかりだった。

 玄関から繋がる廊下には、ビニール袋と思わしきものがいくつか散乱していた。

「そっか、じゃあウチで遊ぶ?昔みたいにさ!」

 即座に代替え案を提出。今回は愛美も首を縦に振ってくれた。




 それから十六時五十分、愛美が予定の時間ぎりぎりまで我が家で遊ぶ。彼女は少し男趣味なとこもあり、ゲームなどもしっかり嗜んでいる(余談だが、ゲームするときや勉強の時などは、彼女は眼鏡をかけている)。今日は最近発売した格闘ゲームで盛り上がった。

 こういう時だけは、性別を意識しなくてすむ、とは勿論いかない。例えば彼女の長い髪から漂う女の子特有の石鹸の香り。例えばゲームに熱中するあまり触れる柔肌。最初は、暇つぶしという建前のもと、彼女と話したいという欲求を解消できればいいとさえ思っていたが、結局その渇望はさらに悪化した。

「ありがと、久々に誘ってくれて嬉しかった。また遊ぼうね」

 そういって帰路につく愛美の後姿を見送る。その時の僕はまるで目の前に出されたごちそうを、オードブルだけ食べて帰らされたような、そんな物足りなさを感じていた。

 ここからする行動は、今にして思えばとても気持ち悪く、かつ思い出すことも不愉快で、我が人生の汚点とも言うべき痴態である。だがこの奇行ゆえに、僕の人生が大きく変わったことは、間違いないだろう。

 言葉を飾りすぎたが、つまるところ僕がこの時とった行動とは、ストーキングである。

 17時から予定があると、足早に立ち去る彼女に、違和感を覚えた。

 とまあそんな理由は単なる後付けに過ぎない。

 彼女の演技はまさに完璧だったから。今彼女の身の上に起きていること、彼女を苦しめていることなど、何一つ感じ取れてはいなかった。今に始まったことなどではない。それは半年前から起きていたのだから。僕は彼女が思い詰められているなど、考えさえしなかった。

 では、なぜ僕は彼女の後を追ったか。

 単純明快、一目瞭然、直截簡明。僕は彼女ともっと一緒にいたかったという、そんな欲望をねじ曲がった形で叶えようとした。

 



 向かいの黒木家を窓から伺う。数分もしないうちに、小奇麗な服に着替え、足早にどこかへ出かける愛美を見て、僕もその後を追う。ストーキングは生まれて初めての経験だった。セオリーなんて知らないし、それに関する技術もない。人通りの少ないところでは距離を開けつつ、物陰に隠れつつ、人通りが増えれば人ごみに紛れた。

 内心では色々びくびくしていたが、意外と成功していた。

 よくわからない自信を得ようとし始めていた矢先、最初の関門を迎える。

「駅……電車に乗るのか」

 彼女の行く方向について行けばよかった今までと異なり、電車ではどう追跡すればいいかわからなかった。同じ車両に乗ればバレるだろうし、違う車両に乗ればどこで降りるか判断がつかない。

 とはいえ、思わぬことが僕の味方をした。

「帰宅ラッシュ……!!これなら……」

 彼女の姿を見られるように、同時にこちらが見つからないように、満員電車に紛れ込む。しかしここで次の問題が発生する。満員電車は私の姿を隠したが、しかし愛美の姿も隠してしまった。

(くそ、見えない……)

 思えば迂闊だった。この電車だってずっと満員なわけではない。そのうち都市をかけるうちに人も減るだろう。人の密林が無くなり、その時もなお彼女が留まっていたら僕はもうどうしようもない。

 既に言い訳を考えさえしていた。

「いやー偶然だねー!僕も実はあの後に出かけてさー!!HAHAHA!!」

 なんて、言って信じてくれるのだろうか。いやない。彼女のことだから表面的な拒絶を見せることはないだろうけど、まず間違いなく僕の信用はガタ落ちする。

 都会の中心、多くの乗り換えが存在する駅に到着し、多くの人たちが降り始める。目の前に先ほど山のようにいた人の影が全て消える。そう愛美も含めてだ。

 彼女の不在を確認して慌てて駅を飛び降りる。駅を見渡すが愛美は見つからない。駅を急いで離れ、駅前の広場に出る。人混みの密度はそれほどではなかったが、依然として目の前には鬱陶しい人の壁が視界を妨げる。

「くそ、見失った」

 この駅で降りたかもわからないし、そもそも乗り換えしたかもしれない。

 もう諦めよう。

 しかし歯切れは悪く、未だズルズルとどこかで会えないかという期待の中、駅近辺の街を散策する。特に目的地は無い徘徊。

 せいぜい電車の乗り換えで一時的に降りるような駅だったために、この近辺は見覚えが無く、どこか新鮮だった。それだけでも僕はなんだかこの奇行に意味があるように思えてきて、気持ちが楽になる。

 まるで異郷、まるで異界。

 見覚えのない景色を歩きまわるのは、まだ中学生の自分にはどこか大人になった気がして爽快ではあった。愛美への執念は、いわば一時の熱気。外気にふれ、少し風に当たれば、すぐにでも冷めてしまうような熱量にすぎない。

 さて、帰ろう。

 自分の中で満足のいく答えをだし、家路につこうとしたとき、再び僕の気を引くものが現れた。すでに影は長く東に伸び、長い夏の太陽が終わりを告げんと朱色に染まり始めていた。しかしどうにも僕は、興味を惹かれてしまうと動かざるをえないタチであったがために、蛍光灯を求める蛾の如く、その関心の先へ導かれていく。

 その街は、時代錯誤の世界だった。家は全て昔ながらの木造建築、しかし道路はアスファルトという独特の風景だった。

 そして余計にその空間の奇態さを更に後押しするものが、その通りを歩く人々だった。

 みな、スーツを身に着け、高そうな革靴を履き、腕には豪奢な腕時計が存在感を強調している。どう見ても大人だが、彼らは皆一様にマッチ棒程度の細さの白い棒を口に咥えていた。

 最初は何だったかわからなかったが、それが所謂駄菓子の飴だったことに気付くのは、それほど時間を要さなかった。

 自らの装いを立派に見せようと試みている大の男たちが、子供のように飴を舐めている様子があまりに奇妙だった。男ばかりかと思ったが、良く見るとその飴を配っているのは、古めかしい家屋の軒先に立つ、もう白秋を迎えようかという老婆だった。

 見渡すとその老婆も一人ではなく、あちらこちらで飴を配っては、子供のような無邪気さというか、活力に満ちた男たちを見送っていた。

 ある程度街を進むが、好奇心を恐怖が上回り、踵を返す。

 その男たちや老婆たちが、僕を見張っている気がしたのだ。まるでこの先はお前の来るべき世界ではないというような雰囲気がひしひしと肌に伝わっていた。

 その通りから距離を置き、落ち着こうと携帯を確認する。

 時間を見るとすでに十九時、気付けば僕の腹の虫が声を上げ始めていた。

 今日は帰るのが遅くなるからと、父親に渡された小遣いで、その辺りでご飯を食べて帰ろうかと決断する。しかし食事処を探すが、どうにも近辺には見当たらず、再び徘徊を開始する。もうすでに街は闇に包まれ、街灯の明かりだけが道を照らしていた。

 結局いい場所が見当たらず、駅前になら何かあるだろうと来た道を戻る。しかし戻ろうにも道がわからない。記憶しながら歩いていたわけでもないため、駅につくだけでも更に時間がかかった。胃袋は限界を訴え始めていた。

 駅にやっとの思いで到着した矢先、その近くに安っぽい電飾がちかちか輝くファーストフード店の看板が目に入る。まさに砂漠にオアシス、僕は餓鬼の如く力を失った面容の中、ハンバーガーという名の神に救いを求めた。




 とても遅めの夕食を取り、一息つく。食欲を解消すると、その欲望が押さえつけていた別の渇望が目を覚ました。

「愛美……会いたいな」

 呆然とした表情で窓ガラス越しに外を見つめる。とその時、僕の携帯の着信音が、店内に木霊した。

 母さんからの電話。こんな時間にどこで何をしているのかという、愛の怒号が鼓膜に鳴り響く。確かにもう子供が一人で出歩いて良い時間ではない。

 急いで店を出て、駅へ駆け込む。

 僕の家へと向かうプラットフォームへの階段を駆け上り、閉まりかけていた電車の扉の隙間に飛び込んだ。電車に無事に乗れた安堵と、熱帯夜を駆けたことで酸素を要求し始めた肺を落ち着かせるために、大きく息をつく。膝に手を付けて体が落ち着くのを待っていたが、

「え、ちーちゃん?」

 と聞きなれた声がし、その姿勢のまま首だけを上げる。

 目の前にいたのは、今日あれほど望んだ愛美の姿だった。


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