シリスと武術会3
「どういうことですのシリス!」
ルクスとの試合に勝利して、控え室に戻った私を出迎えたのはディーネとヴェガだった。残念ながら、暖かく……といった様子じゃない。
「えっと、なんのこと?」
「どうして、あの子……ルクスと急に仲良しになっていますの!?」
「それは私も聞きたいんだけど……」
結局ルクスとは、審判から止められるまで観客席に手を振り続けていた。
私は途中でやめようとしたんだけど、どうしてかルクスが私の手をがっしり掴んで離してくれないから続けるしかなくて……。
傍から見れば、それはとても仲良しに映ったことだろうね。
「なんというか自分に勝った人が珍しくて、単純に驚いてた感じだったけど」
「ほう、あれはこれまで無敗だったのか?」
あの歳で、あの強さだ。周りに勝てる同年代の子がひとりもいなくても不思議じゃない。例え大人でも、相手をするのは大変だろう。
そこへ私がたまたま最初に勝ってしまったから、特別視されたのかもね。
「つまりシリスは、あの子の初めてを奪ったということですわね?」
「うん……いや、その言い方はやめようよ」
「あら、どうしてですの?」
「どうしてだ?」
ディーネどころかヴェガも首を傾げている。純粋か。
だからって私から説明するのも気恥ずかしい。
控え室には他の出場者もいるんだからね!
たしかに前世も含めたら立派な大人だし、今生でも私が知っていておかしくない年齢だけど、それでも心はシリスという少女なんだよ。
とりあえず、あとでアルルから聞くようにと注意しておこう。
「というか試合内容については、なにも言わないの?」
「そう言われましても、シリスならあれくらいやってのけて当然ですわよね」
「うむ、期待した通り見事な動きだった」
いや、割とギリギリだったよ? むしろ危ないところだったよ?
この二人は、どれだけ私を買い被っているんだろう。
「だが最後のあれは、少し妙に感じたな」
おっと、やっぱりヴェガは気付いていたようだ。
最後の最後だけ、私は魂の覚醒を使ってしまった。
鞭は一本だけだと勝手に思い込んでいたせいもあるけど、その状況まで追い詰めたルクスの技量も凄まじい。
その結果、あの一瞬だけ私の動きが急激に加速し、それがヴェガには奇妙に感じられたのだろう。
私としても使用は控えるつもりだったから、あれはまったくの誤算である。
それに、これまでの例からすると今夜もまた悪夢を……。
「さて、では私も行ってくるとしよう」
「心配はいらないと思いますけど、油断は禁物ですわよ」
少しぼぉっとしてしまったけど、そういえば次はヴェガの出番だった。
慌てて私も声援を送る。
「がんばってね、ヴェガ」
「ああ、誰であろうと全力で相手をする」
肩越しに振り返って、そう答える姿はとても頼もしく感じられた。
えーっと、ちなみに相手は……ザック? 予選組だったかな。
ということは実力的に、あまり強いとは言えないわけで……。
「……送るべき言葉を間違えたかも」
「そうですわね……」
がんばってね、ではなく、できたら手加減してあげてね、と言うべきだったと反省したのは、それからすぐのことだった。
ヴェガは得意とする剣舞すら披露することなく圧勝し、一度も武器を振れずに敗北したザック選手が、さすがに少し哀れに感じてしまった。
ま、まあ全力で相手をするのはいいこと……の、はず、かな?
手も足も出せずに完敗したザック選手が、虚ろな目をして去って行くのを目撃しなければ、自信を持って言えたんだけどね。
これに心が折れず、来年も挑戦してくれることを祈ろう。
そうして本日最後の試合は、僅か数秒で幕を閉じたのだった。
本日予定されていた八試合が終わり、対戦表が更新された。
次の相手が誰かなんて、勝ち進めば誰と当たるかは予想できるから知っているんだけど、念のために確認しておこう。
以下が、武術会二日目の対戦予定となる。
――第一試合:ジークリフト 対 アルマティア
明日の初戦は、この二人か。
ドラグノフのリーダーである『竜剣のジークリフト』と、未だに底が知れない仮面の双剣使いアルマティア。
個人的な心情で言うと、やっぱり知り合いのジークを応援したくなるね。
どちらにせよ気になる一戦だ。
――第二試合:ディーネ 対 アズマ
気になると言えば、この試合も非常に気になる。
水と炎の勇者の対決なんて、他じゃ見られないだろうからね。
ひょっとしたら、この試合だけでも観客からお金を取れるんじゃないかな?
それに勝負もどちらが勝つかは、まったく予想できない。さすがに爆炎や水流を舞台上で使うとは思えないけど……その辺はどうするんだろう。
――第三試合:ランドルフ 対 エド
思えば、ランドルフはガランに勝って、ガランはエドの仲間だ。
つまりこの試合は、仇討ちということになる。
まあエドもランドルフも、まったく気にしてなさそうだけどね。
実力で言えばエドが優勢になるのかな?
――第四試合:シリス 対 ヴェガ
そして私の相手となるのは、やっぱりヴェガか。
最後に彼女と手合わせしたのは数年前、ディーネが王都へ向かう前だった。あの頃からどれだけ上達したのだろう。
私もさらに強くなった自信があるし、これは同じ双剣使いとして負けられない戦いになりそうだね。
「ついにシリスと試合ができる……腕が鳴るな」
「シリス! 貴女に勝つのは私なんですから、負けたら許しませんわよ!」
「……そこは身内を応援してあげよ?」
以前から私と戦いたがっていたヴェガが嬉しそうに微笑むのと、先を越されて悔しそうなディーネが対照的で、思わず苦笑してしまう。
でも、もしディーネと試合をするなら、互いに決勝まで勝ち進まないといけないから簡単ではなさそうだ。
「それに先のことより、まずは目の前の試合に集中しないと足下を掬われるよ」
「わ、わかっていますわ」
そもそもアズマを相手に、そんな余裕があるかも怪しい。
ディーネを見ればわかる通り、勇者の強さは精霊頼りではなく、本人の資質によるところが大きいからね。
本当に私と試合したいなら、しっかり集中して欲しいところだ。
……なんて、私も偉そうに人の心配ばかりしていられない。
なにせ相手は、あのヴェガだ。あの頃よりもさらに強くなっているのは間違いなく、こちらも真剣に挑まなければ今度こそ勝利は危ういだろう。
今夜は早めに休んで、明日に備えないと……。
私が二人にもそう提案すると、どちらも同意してくれたので、今日はその場で解散となった。
私はそのまま孤児院へと直行し、すぐに自室へと向かう。
どうやら屋台のほうは盛況らしく、孤児院に残っているのは当番を終えた子たちだけのようだ。
その中にメルの姿は見当たらなかったのが……ちょっと寂しかった。
眠る前に、少し話がしたかったんだけどな。
それは叶わず、やがてゆっくりとベッドへ倒れ込んだ。
もう、抗えそうにない。眠気が強くなっている。どんどんと、私の意識を塗りつぶすように、なにも考えられなくなる――。
――そして、また夢を視ていた。
今までよりも、より鮮明で、懐かしいような、悲しいような夢。
いつか、どこかの景色。
見覚えのない光景。
知らない人たち。
私じゃない私。
――これは、誰の夢だ?
私ではない。
かといって俺でもない。
まったく別人の、自分の記憶に怖気が走る。
私は誰だ? 俺とは誰だ? 自分ってなんだ?
……わからない。
止め処なく知らない思い出が押し寄せ、頭が破裂しそうだ。
見失いそうになる私を、必死に繋ぎとめる。
同時に、それを否定する自分がいた。
――違う。私じゃない。いや、私は……違う。そうじゃない。私は。
延々と繰り返される自問自答が、精神を蝕んでいる。
誰かの自我が、私という思考に浸食する。
見知らぬ嘆きが、心を真黒く染める。
頭の内側をがりがりと削る。
宙に浮いている体は感覚を失い力を込めてもぴくりとも動かずに熱を失いやがて遠く光が流星にも似た動きでソラに尾を引いて消えて現れて変化すると暗くなれば私だけが取り残されたら体がひとつなのに意識はいくつも別れると散ってばらばらになるから生きてコロして食べて歌って死んで生まれたらなにもかもごちゃごちゃで恐れてしまう忘却せし希望は遥かなる祈りより現れる人の身に過ぎしキセキを宿してはヒトならざる擦り切れる心で行き着けば終わりを待ち侘びるケモノと呪いに私は私の私と私に私が私さえ私こそ私より、わたしを――。
わたしって……だれだっけ?
目を覚まし、辺りを見回す。
ここは、自分の部屋だ……自分?
「わたしは……そうだ、私はシリス。忘れてない」
深く息を吸って吐くと、ようやく実感した。
良かった。まだ私のままだ。
自分という存在が失われていないと知って、心からほっとした。
あの悪夢は……やっぱり、そういうことなんだろうか。
前世のグレヴァフの記憶にすらない、もっと古い記憶の群像。
グレヴァフより、さらに以前の私だった者たちの思い出。
それが悪夢の正体だろう。
恐らく魂の覚醒の影響だ。
あれはグレヴァフの身体能力を私の身に宿す魔法だけど、きっとグレヴァフの記憶や知識が私に蘇ったのも、これが原因だったんだと思う。
そして、その効果が前世だけに収まらず、さらに以前の私へと及んでいる。
結果……幾人もの私が、ひとりの私に宿ろうとしているのだ。
ひとつの器に、いくつもの存在を乗せたらどうなるのか。
悪夢の感覚から予想すると、小さなコップに大量の水を注ぐように溢れるか、あるいは私という器は耐えられずに砕け散ってしまうだろう。
その時、私は混ざり合った人格になるか、あるいは精神が壊れてしまうかは予想もできないけど、少なくとも私ではなくなるのは確かだ。
それは私にとって、死と同義に思える。
グレヴァフの記憶が戻った頃でさえ、私は気が狂いそうだったからね。
「次に使ったら……」
今度こそ私は別のナニカになってしまう。
なるべく控えるつもりだった魂の覚醒だけど、もう今後は二度と使わないと、封印しようと心に決めた。




