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とある冒険者2

一応、前話より少し経った話ですが閑話です。

 リザードキングをひとりで倒した凄腕の女性冒険者がいる。

 そんな噂を耳にして封印都市エルザ・スィールを訪れたのは興味半分、残りは成人してから一年が経って十七歳となり、そろそろ拠点を田舎村から大都市に変えてもいい頃だと判断したからだ。

 いきなり王都に向かってもよかったが、まずは資金を稼いで装備を充実させてから、というのが堅実な俺……ザックの計画だ。


 元々、俺は村でもトップレベルの猟師だったが、冒険者に転向してからは近場の森で魔獣を狩り続けて腕を磨いてきた。

 すでに王都でもやっていける腕前だと自負している。

 まあ、まだ中級の星ひとつだけど……すぐに上級へあがる予定だ。

 本当だったら、とっくに昇格できるぐらい狩っているはずだが、実はその成果をギルドに報告していなかった。

 というのも初級では魔獣を狩れないなんて制約があったから、こっそり隠れて狩っては、猟師時代のツテを使って素材を売り捌いていたからだ

 こんな勝手がバレたら冒険者の資格を剥奪されるどころか、良くても投獄、悪ければ処刑されてしまうらしい。

 隣街のギルドで登録した時に誰も教えてくれなかったから俺は悪くない。職員の怠慢だ。知ってからも続けたのは……俺の責任だが。

 とにかく、これからは正式に魔獣を狩る。

 その記念すべき第一歩が、この街から始まるのだ。




 さて、馬車に揺られること数日。

 やっと到着したはいいが、まずはどうするか。

 ひとまず宿の確保と、例の冒険者を探してみたいが、とにかく広い。

 伝説に語られる街だとかで地下深くに大迷宮が広がり、水の精霊が棲む大自然の恵みが豊かな土地も相まって、多くの人が集まるのだろう。

 村みたいに探して歩いても、見つかるとは思えないほどの人の往来だ。

 この街の住人に尋ねた方が手っ取り早いな。


「そこの君、ちょっといいか」

「うん? もしかして私?」

「……天使だ」


 ちょうど通りがかった少女に声をかけると、天使が振り返った。

 黒い艶やかな髪は長く、風になびいて仄かに甘い香りが漂う。きょとんとした小さな顔は、あどけなさは残るが完成しつつある美貌。身に付ける衣服も村娘みたいな野暮ったいワンピースではなく、真っ白な襟付きノースリーブシャツに黒のハーフパンツと大都市の子らしくオシャレな装い。

 それらを一言にまとめた感想を、俺は天使と呼ぶ以外に知らない。


「えっと……なにか用かな?」

「あ、その、ちょっと聞きたいんだけど……」


 つい見惚れてしまった。

 慌てて当初の目的を思い出して、視線を逸らしつつ言葉を引っ張り出す。


「こ、この街で一番有名な冒険者で、その、女性だけのパーティで、あ、あとたぶん上級の冒険者なんだけど知らないかなって……」


 もう自分がなにを言っているのかも曖昧だったが、とにかく知っている情報を伝えられたはずだ。

 というか、普通に考えてこんな女の子に上級だとかって通じるのか?

 俺がいた村だったら、まず不審な目で見られそうだったが……。


「ああ、それならディーネのことだよ」

「ディーネ?」

「うん。女の子だけで、水の勇者だから有名で、上級なら間違いないかな」

「み、水の勇者だって!?」


 それは初耳だったが、納得はできる。だからリザードキングも倒せたのかと。


「この時間なら、ここをまっすぐ行って宿場通りの大きくて目立つクラウン・キャッスルっていう宿でご飯食べてるはずだよ」

「そ、そうなのか」

「じゃあね!」

「あっ」


 急いでいたのか走って行ってしまった……。

 去り際に見せた笑顔もまた可愛らしく、しばらく後ろ姿を眺めてしまう。

 さ、さすが大都市だ。あんな子が普通に街を歩いているなんて。

 もう数年もしたら、きっとすごい美人になるんだろう。

 なんだか幸先がいいな。この街に来たのは正解だったようだ。

 とうとう見えなくなってしまったので名残惜しく思いながらも、意気揚々と教わった宿へ向かって歩き出した。




 結果だけ言えば、目的の冒険者には会えなかった。

 ディーネなる上級冒険者かつ水の勇者には会えたが、それはリザードキングを倒した冒険者とは別人だったようだ。

 これはリザードキングについて伝えるのを忘れていた俺のミスだから、あの少女に責任はない。

 代わりにディーネさん……彼女もまた美人で驚いたが、ディーネさんから得られた情報によると、俺が探しているのはシリスという冒険者だった。

 最近はギルドにも顔を出していないとかで、狙って会うのは難しいそうだ。

 念のために泊まっている宿を聞いてもみたが、残念ながら知らないらしい。

 なぜか警戒されているように感じたのは、俺の勘違いか。

 まあ仕方ない。いずれ会えると割り切る。

 ひとまず安宿に入って手早く受付を済ますと、次は冒険者ギルドに向かう。

 手頃な依頼でもあったら早速、ひと稼ぎするとしよう。


 ギルドに入ると、やはり大きな街だと冒険者の数も多いようで賑わっていた。

 隣接する酒場も騒がしく、忙しなく店員が動き回っている。

 ある程度の稼ぎを得られたら、俺も一杯やってみよう。

 さて、肝心の依頼だが……。


「お、こいつは」


 一枚の依頼書を手に取った。

 内容は魔獣ブレードベアを討伐し、頭角を納品すること。

 ブレードベアは村にいた頃から幾度となく狩ってきて慣れた相手だ。


「報酬は……はぁ?」


 魔獣の素材を納める類の依頼は、その状態の良し悪しで報酬額が変動する。

 角であれば折れたり砕けたら失敗扱いとなり、事前に提示された限度額からキズの付き具合で減額されていく。

 この限度額とは、言わば依頼人がここまでだったら出せるという報酬の天井だ。

 土地柄から希少な物ほど高額になったり、逆に安くなったりは当たり前で、この額からなにが求められているのかも図れたりするのだが……。


「なんだこの報酬額。村の隣街にあるギルドの四、いや五倍はするぞ」


 普通はどんなに高騰しても二倍以内に収まるものだ。

 明らかに異常だったが、しかし儲けるチャンスでもある。

 ここで荒稼ぎすれば今後の生活も楽になるし、装備も充実する。


「よし、やってみるか」

「おぉっと、そいつは少し待った方がいいかもな!」

「そうだな兄弟! こいつは危険だぜ!」


 突如として横から太い腕が伸びて、依頼書を奪われる。


「な、なにすんだ!」

「まあまあ落ち着けよニイちゃん。あんた、ここに来たばかりだろ?」


 慌てて振り返ると、そこには似たような顔のヒゲ男が二人並んで立っていた。どちらも獰猛な顔付きをしていて、山賊と言われても納得できる。

 これは噂に聞いた依頼の横取りじゃないか?

 恐らく地元の冒険者だろうが、せっかくチャンス……奪われてなるものか!


「そ、そ、それがどうした?」

「はっはっは! そう怖がるなって!」

「そりゃお前の顔と声がデケェからだよ!」

「お前も大して変わんねぇだろうが!」


 ガハハハッと大笑いするヒゲ二人組。

 どうも横取りって雰囲気じゃないが、いったいなんなんだ……?


「おっと、そうだ忘れるところだったぜ」

「おう、この依頼はニイちゃんには、ちっとばかし早いんだよ」

「どういう意味だ?」

「なぁに、ここらの森や山はヨソとは勝手が違うんでな。中級だからって、いきなりそいつに手を出すのはやめておけって言いてぇんだ」

「お、俺の勝手だろう」

「いいや、悪いがギルド側も同じ意見なんだぜ? そんなワケで、まずはこっちの依頼を受けるんだな」


 そう言って剥がしたのは薬草の採取依頼だった。

 代わりに俺から奪った依頼書を無理やり元の場に付け直す。

 ふざけるな、と文句を叩きつけてやりたいけど、二体一では分が悪い。

 ここは大人しく従っておこう。分が悪いからな。仕方ない。


「わかってくれたみてぇだな」

「んじゃあ、オレらは行くからよ。気ぃつけな」


 なにが楽しいのか、ガハハハッと笑い合って酒場へ向かうヒゲたち。

 くっ、無視して依頼を受けても、またすぐに止められそうな予感がする。

 とはいえ俺の実力が過小評価されているのは腹が立つ。

 ここは、もうひとつの手段で行くとしよう。




 準備を整えた俺は、その日のうちに森へ入っていた。

 ギルドで依頼を受けるのは、なにも魔獣を狩る前である必要はない。

 つまり先に魔獣を狩ってから依頼を受けて、その場で納品すれば誰にも文句を言われず、報酬も手に入る。

 ヒゲ共も、俺の実力を見誤っていたと気付いて黙るはずだ。

 まあ依頼の後受けは、先に誰かが受けてしまうと徒労に終わる危険もあるが、あれだけ高額報酬なら数本くらい余分に買い取ってくれるだろう。

 そんな予想もあって狩りに訪れたのだが……。


「思ったよりも複雑な地形だな」


 これまで狩り場にしていた田舎の森よりも急勾配の道が多く、一歩でも間違えると崖から落ちそうになったり、なかなか油断できない。

 ヒゲたちが注意していたのも、こういった部分からの気遣いだったのだろう。

 とはいえ俺だって素人じゃない。

 事前にブレードベアの生息域は情報屋から仕入れているし、従来通りの狩猟方法で堅実かつ安全に狩れる準備をして来た。


 元が猟師だった俺は、基本的に弓をメインとして扱ってはいるが、狩りにおいてもっとも信頼しているのは罠だ。

 特に、罠に仕込んだ麻痺毒は先祖から代々伝わっている独自の調合品で、通常の猛毒では素材をダメにしてしまい、弱い毒では効果が薄いのに対し、この毒は魔獣の動きだけを確実に止める。

 罠と弓矢で二重に麻痺毒を打ち込めば、魔獣であろうとひとたまりもない。

 身動きできなくなったところを、トドメにナイフで仕留めるのが俺の必勝法だ。


「よし、この辺りにするか」


 罠の設置場所に定めたのは生息域から外れた地点だった。

 だが情報屋によれば、ここらに獲物を求めて生息域を出たはぐれ魔獣が、つい最近になって目撃され始めたという。

 なにより猟師としての勘が、ここだと告げている。

 他の動物とは違う、魔獣だけが発する特有の匂いみたいなものが、この辺りから感じられた。

 早速、用意した罠を組み立てる。


 罠は目標によって種類を変えるが、今回は対ブレードベア用だ。

 基本は四足歩行で移動し、威嚇や攻撃態勢に入ると二足歩行で、俊敏に立ちまわる。その癖およそ人間より巨体と、ここまでは熊と大差ない。

 魔獣の恐ろしさは、そこに上乗せされる異常な身体的特徴……ブレードベアの場合なら、納品対象にもなっている角だ。

 鋼鉄よりも頑丈で、熟練の刀鍛冶が打った剣の如く鋭さを誇る。

 そんな代物が、人間なんかとは比べ物にならないパワーとスピードで振るわれるのだから、生半可な武器ではまともに打ち合った時点で破壊され、肉体ごと断ち切られてしまう。

 だからこそ罠や毒物に頼るのだが、世の中にはこれに正面から立ち向かい、打倒してしまう超人がいる。

 それは上級冒険者と呼ばれ、俺が知る限りでは封印都市の剛鉄組、ドラグノフ、パワーズ、そして月華美刃の四組が該当していた。

 あと、シリスなる冒険者も、そこに加わるだろう。


「まあ俺はこのくらいが妥当ってね」


 別に上級を目指しているつもりはない。

 現状に満足してはいないが、ほどほどで十分に稼げる。

 分不相応なリターンを求めて、リスクを冒すのは無謀だ。

 なにより堅実な生き方こそが俺に相応しい。

 ……などと考えている間に、罠の設置が完了した。


「よし、こんなもんか」


 あまり大がかりな罠は持ち込めないが、毒を使う分には必要ない。

 ワイヤーに引っ掛かると獲物に向かって樹上から矢を打ち出す筒、そんなものでも十分だ。

 野生の動物が罠にかからないよう高さを調節し、他の冒険者が不用意に近寄らないよう、少し離れた箇所に枝を組み合わせた即席立て札を立てておく。

 これで、あとは離れた場所から罠にかかるのを待つか、あるいは獲物を誘導させるかだ。

 今回は慎重に、餌を用意して待つことにした。

 街で購入した新鮮な生肉だ。密閉した木箱から取り出し、罠の前に置いたら急いで立ち去る。匂いに敏感なブレードベアなら、すぐに現れるだろう。


 そんな俺の予想は呆気なく覆され、数時間もの間を藪に潜んで待ち続けたが一向にブレードベアは姿を見せない。

 やがて日が暮れそうになり、今日は断念せざるをえなくなった。

 罠猟は忍耐力が肝心だし、その罠も数を用意していなかったのだから仕方ない。

 考えてみれば、今までは土地勘があり、獣道も熟知していた森で狩りをしていたから罠がひとつだけでも十分だった。

 だが、ここは違う。

 まったく見知らぬ土地で狩りをするのに罠ひとつは、さすがに無謀だった。

 無意識のうちに慢心していたのだろうか。

 反省して明日はもっと多くの罠を――。


「……っ!」


 思わず息を呑む。

 立ち上がりかけた時、森の奥に見えたのだ。

 その黒い毛皮に、頭部に生えた剣のような角はブレードベアに間違いない。

 気付かずに藪から出ていたら襲われていただろう。危ないところだったが、ようやく現れてくれたのはツイている。

 ただ俺の知っているブレードベアよりも一回り、いや二回りは大きい。この森の餌が豊富なせいか。


 大丈夫だ、罠にかかれば数分は動きを止められる。

 体が大きい個体は、それだけ毒の効き目が薄かったり、効果が切れるのも早くなったりするが、ほんの数分もあれば問題ない。

 慌てず騒がず、呼吸を整えて心臓の音を抑え、気配を殺し、機を待つ。

 これまで、何度も繰り返して来たことだ。失敗なんて考えられない。

 ブレードベアは俺に気付かず、囮である生肉へ近寄っている。警戒はしているが俺に気付いてはいない。


 よし、行け! 喰らいつけ!


 そんな祈りが通じたのか、これまで狩ったブレードベアとまったく変わらない光景が、この森でも再現される。

 肉にありつこうと、ゆっくり歩き出すブレードべアの前足にワイヤーが引っ掛かって、筒矢の罠が作動したのだ。

 狙い通りブレードベアに向かって毒矢が放たれ、毛皮に覆われた背中に……。


「え!?」


 あり得ない光景を目にして、つい声をあげてしまった。

 矢が突き刺さる瞬間、ブレードベアは急に身を引くと同時に、頭を振って角で矢を弾いたのだ。

 まさか……気付いていたのか?

 そうとしか考えられない動きだった。

 なによりマズイのは、さっきの声で俺の居場所が悟られてしまったことだ。

 もはや隠れても無意味。そう判断した俺は藪から飛び出し、いつでも使えるよう用意していた自前の弓を引き絞る。

 罠がダメでも、俺にはこいつがある。たった一本でも当たればいい。

 また弾かれるのを恐れ、角のある頭部を避けて下半身を狙う。手足は外してしまう可能性が高いから除外する。

 止まった的なら、この距離でも必中できる自信があったが、相手は俊敏に動く魔獣だ。外した後を考えると、的は大きい方がいい。

 ブレードベア動くよりも先に、矢が放たれる。

 その感覚には、命中するという確かな手応えがあった。矢を射った時点で当たるかどうか、なんとなく理解できるのだが、これは間違いなく大当たりだ。

 俺の狩猟で培われた感覚は正しく、毒矢は風を突き抜け、狙いと寸分違わずブレードベアの腰辺りに届き、そして宙を舞って茂みの奥へ消えた。


「……は?」


 呆けたような声が自然と漏れ出る。

 なにが起こった?

 確かに、見間違いではなく矢は命中した。間違いない。

 なのに現実は当たっていない……というより、弾かれたのか?

 あれはまるで鉄盾に矢を射った時に似ている。

 そうだ、ずっと前に行商人が宣伝していた様子を思い出す。鋼鉄の盾の硬さをアピールするために矢を放ったところ貫けず、あらぬ方向へ弾かれてしまった。

 まさか毛皮が硬過ぎたとでも言うのか?


 なんであろうと、非常にやばい。

 二度に渡って攻撃を仕掛けたのが俺であると、完全に理解している。

 恐らくブレードベアが駆け出したのと、俺が地面を蹴って逃げ出したのは、ほぼ同時だっただろう。

 こうなったら撤退するしかない。

 幸いにも俺の脚はかなり速いと自負している。ブレードベアは下り坂を苦手とするから、逃げ切れるはずだ。


 この先はしばらく坂道で……あれ?

 おかしい、たしかこっちに、いや、感覚だとあっちは、でも目印が……。

 すぐ異変に気付いた。

 目印を間違えたのかと思い込んでいたが、違ったのは俺の方向感覚だ。

 いつの間にか、かなり感覚にずれが発生していたらしい。

 おかげで本来の帰り道から逸れて、まったく見知らぬ道に入ってしまった。

 だが引き返すヒマはない。今もなおブレードベアが荒い息使いと共に迫っているのだから、このまま走り続けるしかなかった。


「おわっ!?」


 急に足場がなくなり、段差になっている崖を転がり落ちる。

 受け身を取って衝撃を和らげたからケガはしなかったが、一歩間違えたら大惨事になっていたところだ。

 冷や汗を流しながら見上げると、なんとブレードベアはなおも追って来る。

 獲物に執着するとは知っていたが、これまでは追われる前に毒矢で仕留めていたから、ここまでとは予想もしていなかった。

 崖から落ちたせいで呼吸も乱れ、だが立ち止まることは許されない。

 止まれば、すなわち死を意味する。


 死ぬ……? 俺が死ぬのか?


 ここで初めて、俺は命の危険というものを本気で思い知った。

 次に心へ浮かぶのは、恐怖だ。

 まだ死にたくない、生きたいという必死の思いが体を突き動かし、全力以上の速さで森を駆け抜ける。

 もはや道などわからない。自分がどこにいるのかも曖昧だった。

 それでも止まれない。いずれ限界に達すれば自分の人生が終わると理解しながらも、忠告されながらも無視して訪れたのを後悔しながら、ただ走り続ける。


「誰かっ……助けてくれ!」


 なりふり構わぬ情けない叫び声だったが、もう笑われようと構わない。

 助けに来てくれるのでれば、いくらでも笑われてやる。


「そのまま走り続けろ!」


 上の方から、凛として澄んだ声が降って来た。

 誰かなんて気にしている余裕もない。指示されるまでもなく、倒木を乗り越えて転がるように少しでもブレードベアから距離を取る。

 すると、不意に視界が開けた。

 森を抜けたのかと思ったが、木々がこの周辺だけぽっかりと空いて、広場になっているだけのようだ。

 なんにせよ背後から迫る気配に追い立てられ、広場を突っ切って反対側まで走ろうとしたところで、それが失敗だと気付く。

 障害物のない場所を逃げても、ブレードベアに追い付かれてしまう。

 今からでも方向転換しようかと背後をちらりと確認する。

 距離に余裕があればと希望を抱いて、無意識の行動だったのだが。

 そこに天使の降臨を見た。


「さーて、ここからは私が相手をするよ!」


 いったい、どこから現れたのだろうか。

 まるで天から舞い降りたように、ふわりと黒髪を膨らませて、腰に吊るした剣を抜き放つ。

 見紛うことなく、街で出会った少女がそこにいた。

 思わず体は動きを止めて、引き返そうと振り返る。今さら戻ってなにができるわけでもない。すぐそこまでブレードベアが迫っているのだから。

 あと数秒で、少女の細い体は引き裂かれる。

 そんな光景を目にしたくなくて、危険だとわかっていても顔を逸らしてしまう。


 ――ギィィンッ!


 金属と金属がぶつかり合った鋭い音が鳴り響く。

 これは肉を裂いたり、骨を砕くような音色じゃない。

 恐る恐る視線を戻すと、そこにあり得ないものを見た。

 あの華奢な少女が、左右の手で構えるたった二本の剣で、ブレードベアの角を受け止めていたのだ。


「悪いけど、最初から全力で行くよ」


 そんな風に少女が呟いたのを耳にした気がする。

 さすがに幻聴だろうと耳を疑うが、次の数瞬ですべてが決着した。

 俺の視覚では、まるで捉えられない。

 ただ剣先がブレたかと思えば、遅れて白い軌跡が宙に浮かび、立ち上がったブレードベアから鮮血が吹き出す。やがて自らの死を思い出したかのようにグラリと倒れて地に伏した。

 まさか、俺が目にしたのは剣の残光だったとでも言うのか?

 だとすれば尋常ではない剣速……それだけじゃない。鋼鉄並みに硬い毛皮を斬り割くには相当の技量が必要なはずだ。

 改めて見れば、ブレードベアの毛皮には無数の傷が刻まれている。

 あの一瞬で、いったいどれだけの……。


「大丈夫だった?」

「え、あ、ああ……」


 いつの間にか、俺は情けなく尻餅を突いていたようだ。

 少女は優しく微笑みながら剣を収めると、手を差し出してくれた。

 ドキッと心臓が跳ねたのを悟られないよう冷静に手を取って立ち上がる。

 柔らかくて滑らかな、小さな手だ。

 俺は剣に関してまったくの素人だが、あんな達人染みた剣技を放つとは、実際に目にしなければ信じられなかっただろう。


「おーい、シリスさーん!」

「大丈夫でしたか!?」

「け、ケガはしてない?」


 そんな声に振り向くと、今度は三人の少年が森から飛び出した。

 ……ちょっと待てよ? シリスさんだと?

 ということは、この黒髪の天使が……。


「うん、私は大丈夫だよ。ところでジンたちにお願いがあるんだけど、この人を街まで連れて行ってくれないかな?」

「いいけど、シリスさんは?」

「いやぁ、私って本当は森に入るのもダメなんだよ。それどころか魔獣とやり合ったなんて知られたら……というわけだから、あとは任せた!」

「あ、待ってくれ!」


 止めようと声をかけたが、聞こえなかったのかシリスは凄まじい速さで駆け、あっという間に木々に紛れて見えなくなった。


「なあ兄ちゃん。あの魔獣はどうすんだ?」

「……どうって言われても」

「シリスさんは事情がある様子でしたので、お兄さんが引き取るべきかと」

「いや、俺が貰うわけには……」

「で、でも僕たちは初級だから報酬を受け取れないんだ」


 少年たちは三人共が初級ランクの冒険者だったらしい。

 ひとまず報酬をどうするかは置いといてブレードベアの解体を始める。

 その段階になってわかったが、シリスは毛皮を剥ぎやすいような斬り方をしていたようだ。ということは、まだまだ余裕があったということでもある。

 なんとも恐ろしいが、妙に納得できた。

 これがリザードキングを倒した者の実力、その一端なのだと。




 それから三人の少年、強気なジン、利口なケイン、弱気なキールから事の経緯を聞かせて貰った。

 三人は採取依頼を受けて森で活動していたところ、他所者の俺がはぐれブレードベアの目撃情報が相次ぐ地域へ向かって行くのを遠くから見つけて、危ないと直感したらしい。

 というのも、よく他所者がブレードベアを甘く考えて油断し、時には死者まで出てしまっていたそうだ。

 事実、俺もそうだったので反論できない。

 そもそも報酬が妙に高かった時点で察するべきだった。それだけ難度が高く、希少性があるからこその報酬なのだと。


 依頼書に誤った難度が記されていた、と文句を言うことはできる。

 だが魔獣の討伐難度は、それを狩る冒険者に基づいて設定されているため、あくまでそのギルドでは正しかったりする。

 つまり同ランクでも、この街の冒険者の方がずっと腕が良い、というわけだ。

 過去に似たような難癖を付けて騒ぐ冒険者を見ていたが、それを教訓とすべきだったな。反省しよう。


 とにかく少年たち三人組は、俺を追ったとしても間に合わないどころか自分たちも危険だと判断し、すぐに森を出て他の冒険者へ伝えに行ってくれたそうだ。

 そして、すぐに出会ったのがシリスだった。

 事情を話したら即座に動いてくれたようで……おかげで俺は助かったと。

 まったくもって情けない。


「俺たちも前にシリスさんに助けて貰ったんだぜ」

「そうなのか?」

「ええ、二カ月ほど前ですが、この森に死霊が大量発生する騒ぎがありまして、僕らは遭難していたのです」

「し、死霊ってマジか……」

「すっごく怖かったけど、シリスさんと他の上級冒険者さんたちが助けに来てくれたんだよ」

「俺なんか死霊に憑かれたけど、シリスさんが倒してくれたもんな」

「そんな目に遭っても、まだ冒険者を続けているのか?」

「当たり前だろ! 俺たちはいつかシリスさんに恩返しするって決めてんだ!」

「その通りです」

「そうだよね」


 な、なんてしっかりした子供たちだ。

 それに比べて、俺は憧れていた冒険者に……シリスに格好悪いところを見せたなんて落ち込むだけで、そんな考えは少しも持てなかった。

 でも、そうだな。

 今回は失敗したけど、生きていれば、まだやり直せる。

 また最初から腕を鍛え直して、今度こそひとりで狩ってやるさ。

 今回の報酬も俺が預かっておくけど、いつかシリスが助けを必要としたら、その時に恩を返せばいい。

 それに聞いたところ、シリスは十四歳だとか。

 あと二年で成人する……それまでに俺も一人前になってやる!

 まずは上級冒険者を目指す。そして稼ぎが安定したら……!


 明確な目標と、決意を胸にして山を降りる俺に迷いはなかった。

 やはり、この街に来たのは正解だ。

ヒゲの二人組と、少年三人組は本編で登場したキャラだったりします。

あの後どうしているかを書いておきたかったのです。


ようやく魔獣との戦いも出せましたが

以前のシリスだったら、もうちょっと苦労して狩っています。

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