第十一話 『暗闇のG』
辺りが静寂に包まれ、夜もすっかり更けたころ、僕は冷たい床から起き上がった。
ここはとある廃工場、おそらく宿直室だったのであろう部屋の中だ。
あの後、ゴキブリたちの導きに従いこの廃工場にたどり着いた僕たちは、とりあえずこの場所を当面の根城として潜伏することにした。
ハルカはまだ少し僕に怯えているようだったが、暖かい夕食を食べたことで緊張がほぐれたのか、多少のぎこちなさは残ったものの、大体は僕と出会った時のものに戻っていた。
ちなみに夕食はゴキブリたちに拾ってきてもらった小銭を使って買いそろえた。つくづく僕にはもったいない子たちだと思う。
月明かりがかすかに差し込む小さい部屋の中、聞こえてくるのは虫の鳴き声と、ハルカの立てるすうすうと静かな寝息だけ。ふと、この虫たちの鳴き声にも何かの意味があって、ハルカにはそれが聞こえているのだろうか、という疑問が浮かんだ。
ハルカから見た世界は一体どんな色をしていて、どんな音が聞こえているのだろうか。
ハルカの能力は僕がずっと渇望していた答えを出すことができる唯一の方法だ。
臆病な僕はまだそれを聞く勇気がないけれど、いつかその答えを得る日まで、何としてでもハルカを守り抜こうと思う。
そのためにも、
僕たちの未来を脅かす邪魔者は排除しなくては。
僕はハルカに気づかれないようにそっと部屋を出る。
向かう先は――
街灯もなく、明かりの全くない山道をわずかな月明かりだけを頼りに歩く。一歩を踏み出すたびに肩に乗せた隊長のヒゲが揺れるのがはっきり分かる。深い暗闇は視覚以外の感覚を鋭くさせるようだ。
程なくして僕は目的の場所へたどり着く。火を消すために大量にかけられた消火剤の匂いが鼻につく。
崩れ去り、もはや原型をとどめていない山小屋の前で僕は地に膝をつく。ひざまずいた僕の周りにはどこからともなく五匹のゴキブリが集まっていた。
「ごめん、本当にごめんっ……」
この山小屋に残していったゴキブリたちは全部で十匹。今、戻ってきたのはその内の五匹。炎の中を逃げきれなかった五匹のために謝罪と祈りを捧げる。
体が沸騰するような熱さと、酸欠に苦しめられたのであろう五匹が、せめて、死後の世界では自由に生きられることを祈って。
ひとしきり祈りを捧げた僕は立ち上がり、振り返る。本当は場所を変えたいが残念ながらこの場所が最適だ。
「いるんでしょう? 隠れていないで出てきてくださいよ」
暗闇の奥に呼びかけると、少し驚いたような人の気配。月明かりに照らされて現れたのはスーツ姿の一人の男だった。
痩せ型で、身長は百九十センチくらいで日本人にしては高い。しかし、どこにでもいそうな顔つきの、街で見かけても記憶に残らないような見た目の男だった。
男はそのまま僕の方へ歩いてくる。
「おやおや、ばれていたようですね」
僕の後をつける何者かの存在は大分前から隊長に教えてもらっていた。
「あなたがハルカちゃんを殺そうとした黒幕だね?」
「そこまで気づかれているとは。君の『親友』とやらはなかなかの切れ者のようだ」
スーツの男が薄く微笑む。
「あなたたちこそ、僕たちのことをよく知っているみたいだ。一体何なんだ? あなたたちは、何がしたくてハルカを殺そうとした?」
「それを言う必要がありますか? これから死ぬ君に?」
男の台詞に僕は自分の目が据わったのが自分でも分かった。
「何の冗談だ? 僕が今から死ぬ? 笑わせないでくれませんか?」
「冗談ではありませんよ。君を殺したら、今度こそあの女の子も殺しに行きます」
「僕のことをよく知っているんでしょう? 僕の力を知った上で、よくそんな戯れ言を吐けるんだね?」
僕の言葉に男が笑みを深めた。
「一つだけ教えてあげましょうか。私たちの目的は君たちのような異端者を駆除することなのですよ。それこそ、ゴキブリを駆逐するように――ねっ!」
その言葉を最後に男が僕の方へ飛びかかってくる。じりじりと詰めてきていた彼我の距離は十メートル。その間合いを三歩で詰められて、僕は本能的に後ろに飛び退る。
一瞬前に僕がいた場所を男の細い腕が凪ぐ。無造作に振り抜かれたその腕の速度はそこまで速くない。だが、その手の中で何かが月明かりを反射しキラリと光った。
ナイフ! こいつ、本気で僕を殺しに来てるッ!
「おや、一センチ足りなかったようですね。『友達』頼りなのかと思っていましたが、動けないわけではないんですね。初撃で倒せなかったのは残念です」
男がたいして悔しくもなさそうに肩を落とす。
「ですが、あと何発持ちますかね?」
微笑みを崩さずに、男が僕に襲いかかる。
いつも読んでくださりありがとうございます!
水面の都合で申し訳ないのですが年末年始は忙しいため投稿をお休みさせていただきます。
次の投稿は一月七日(日)の午後七時頃を予定しています。
それでは皆様、よいお年を!




