魔人の正義
転移魔法には種類がある。
細かいことを言い始めるときりがなくなるが、大きく分けると二つ。
『門』を使う転移と使わない転移。
基本的に短距離の転移となれば、門は使わない。
だが転移距離が伸びれば伸びるほど、それが難しくなる。
そのためにみな門を使う。
門は『異なる空間への移動』という現象を、具体的にイメージするための補助的な要素を持つ。
これによって、さらなる長距離の移動を実現させる転移魔法の使い手が多い。
『門』を使った転移魔法は発動までに時間がかかるものの、時間さえかければ数百キロの転移でさえ可能になる。
また、魔法使用者でなくとも門を通り転移することが可能であり、魔人ロスと一緒に現れたヒエラルが、ロスとトーヤ達との戦いの最中、一切姿を現すことがなかったのは門の作成のためだ。
「やっと攻撃がやんだか……まったく、ふざけた力だ。トカゲごときが持つには値しない」
「申し訳ありません、ロスさん。黒竜の攻撃から守っていただいて」
「今この場において、貴様を保護するだけの価値はあったというだけだ。それよりさっさと門をつなげろ」
そう言いながらロスは自分とヒエラルを囲っていた防御魔法を解く。
ヒエラルはというと、何もない空中にずっと手をかざすようにして集中している。
「あとどれほどかかる?」
「感覚的には数分ほどで完成するかと」
その言葉を聞くと、ロスは霧魔法の触覚反応へと意識を向ける。
感じる反応は三つ。
先ほどまで交戦していた三人であるとロスは確信し、その反応の元へ動こうとするが――ロスの想像していなかった事態が起こる。
三つの反応の内、一つだけが自分たちとは逆方向に走っていく。
「なんだ……? いや、逃げたと考えるべきか」
やがて逃げた一つの反応は、魔法の有効範囲の外へと出ていった。
「『迷い道』を難なく抜けたということはオーヤの末裔か」
ロスは残った二つの反応を詳しく調べ、残った二人がカーライとラシェルであることを突き止める。
三人全員で逃げるのではなく、一人だけがその場を離れて逃げていく。
当然、何かの策であることは考えられたが、奇襲などであれば霧の中に戻ってきた時点ですぐにわかる。
唯一、霧の触覚反応を欺ける魔法を持つラシェルは、間違いなくまだ霧の中にいる。
ならば今はトーヤ・ヘルトのことは無視していい。
そう考えロスは、トーヤのことを一旦意識の外へ置く。
「ほとんど魔法を使わなかったことといい、『迷い道』が通用しないことといい、気になることはいくつかあるが……またいつかこの手で殺せればそれでいい。今は我が同胞の説得が先か」
カーライのもとへとロスが向かおうとしたその時、向かうまでもなく、カーライとラシェルの二人が自分たちのほうへと近づいてくるのがわかる。
さんざん逃げ回っていたにもかかわらず、迷いなく己の方向へと向かってくる二人に、ロスは不信感を募らせる。
すぐにその二人はロスの前へと姿を現す。
この数時間で何度も起った対面だが、この場にはヒエラルもいる。
4人がおよそ24時間ぶりにそろう。
「まさかそちらから来てくれるとはな。さんざん殺されて、ボロ雑巾のように絞られて、やっと俺と共にくるきになったか? それにしても、君が目の敵にしていたヘルトのゴミと手を組むとは思わなかったぞ。カーライ、君のヘルトに対する憎しみはその程度のものだったのか?」
「……そっくりだな」
「なに?」
カーライの返答は、ロスの挑発に対する答えにはなっていなかった。
「フタツ山で初めて見たとき、抗えない恐怖を感じたよ。500年前、人の身でありながら魔人すらも凌駕した――あの男の姿と何一つ変わらないその姿に」
あの男、その言葉だけでロスの頭の中には苦々しい記憶が思い出される。
「オーヤ・ヘルト……私やお前を500年間封印した張本人だ。なんらかの魔法で、まだ延命していたのかとも思ったよ。なんせ我々のような存在がいるのだから。
だが、そっくりなのは外見だけだった。
本人とは似ても似つかわしくないその言動から、別人だと結論付けるのにそう時間はかからなかった」
「だからどうした? あの薄汚いゴミがオーヤでなかったからといって、君の憎しみが消えるわけではあるまい。だからこそ500年たった今この時代で、ヘルトの人間を襲ったのではないのか?」
「少し違うな。私の目的はホクト・ヘルトを倒すことだ。ラシェルの意思に賛同し、私はヘルトを敵に回すと決めた」
その言葉を聞き、ロスは笑い声をあげる。
「ハハハハハ! そこまで言いきっておきながら、なぜその息子と手を組む気になった!? 君の言っていることはめちゃくちゃではないか」
バカにするようなロスの笑い声。
それとは対照的にカーライは静かに笑った。
「ああ、そうだ。お前の言う通りだよ、ロス・ライト。非常事態だったとはいえ、トーヤ・ヘルトと手を組むことにためらいを持てなかった。共に戦いながら、この男なら信用できると感じてしまった。ラシェルを頼めるとまで思ってしまった。自分でも不思議だよ。
なぜここまでヘルト家の人間に対して、好意的に感じているのか」
「それで? 結局信じていたモノに逃げられ、俺の誘いに応じたというわけか?」
「まさか、そんなことは天地がひっくり返ってもありえない」
そんなカーライの返答に、ロスは怒りをあらわにする。
「いい加減にしろカーライ・テグレウ。同族のよしみと思い、くだらない会話にも付き合ったが。じゃあ君はなぜ、わざわざこの場に現れた」
「もちろん、お前たちを倒すためだよ。お前たちを倒し、私たちを閉じ込める霧魔法を解くためだ」
「……正気か? 君と俺の格付けはとっくに済んだ。実力差をはっきりと見せつけた。あまりバカな発言をするのはやめてく――っ!?」
ロスの発言中にもかかわらず、カーライは魔力弾を放つ。
当然のように防御魔法を使い、ロスは攻撃を防ぐが、予想外の攻撃であったため目を見開く。
「もちろん正気で、本気だ」
「……どうやら君を説得することは無理なようだ。何度殺されても変わらない君の意思には敬意を表するよ。ただこちらにも、もうあまり時間がなくてね。今まで以上に手荒な真似になるが、無理やりにでも俺たちのもとに連れていくとしよう。頼むから死んでくれるなよ、カーライ」
もう何度目かもわからない、魔人同士の戦いが始まる。
だがやはり、その差は圧倒的だった。
ロスの攻撃は、ほぼすべてがカーライに致命傷クラスの傷を与え。
カーライの攻撃は完璧に防がれる。
ラシェルのサポートがありながらも、その差は埋まらない。
「カーライ!!」
10分も持つことなく、カーライは倒れ、その場に膝をつく。
傷もまともに再生されておらず、心配するようなラシェルの呼びかけにも対応することができない。
「傷の再生が遅い。魔力がほぼ枯渇している証拠だ。おそらくあと一撃でもくらえば、再生するための魔力が足りず、君は死へと向かう。確かに君と俺は、同じ魔人という素晴らしい存在へと昇華した。だが、人間であったころから戦いを生業としてきた俺とは違い、君はただの植物学者だ。簡単にはこの差は埋まらない。あきらめて俺とともにこい! 俺たちとともに、さらに崇高なる存在を目指そうではないか!」
「私は……お前たちが……正義だとは……思わない」
手を差し伸べるロスに対して、息も耐え耐えになりながら。
それでもロスから目を逸らすことなくカーライは睨み、話を続ける。
「私は……己が正しいと信じる道を……信じてきた。例えそれが……貴族や国の意思に……逆らうことであったとしても。
お前とともに歩む正義は……私にはない!!」
『植物操作×成長促進』
魔力を帯び、先端をとがらせた植物のつたが、カーライが地面についた手のあたりから一直線にロスに向かって伸びる。
カーライにとっては、完全に不意を突いた攻撃だった。
その証拠に、ロスは防御魔法をはる暇がなかった。
しかし、ロスは苦も無くその植物を素手でつかみ取る。
「……くっ、やはりダメか」
「正義など……人間ごときにありはしない。間違えることしかできない劣等種族に……ありはしないんだ、カーライ・テグレウ」
ロスはカーライのもとまで歩き、カーライの腕をつかみ引っ張ろうとする。
「させない!」
当然、ラシェルはそれを阻止しようとするが……
「動くなクズが」
『強者の圧』
ロスから放たれた殺気に、ラシェルの足が凍り付くように動かなくなる。
心臓を握られているような恐怖をその身に感じ、全く動けない。
自分の大切な人が連れ去られようとしている中、何もできない自分に怒りを感じるラシェル。
本能的な恐怖と怒りが、ラシェルの中で織り交ざる。
それと同時に一つの疑問が生まれる。
“なぜこれほどの魔法を今まで使わなかったのだろうか?”
これほどの強力な『強者の圧』を使われれば、ロスからまともに逃げることなど無理だったはずだ。
そんな疑問を感じたラシェルは、もう一度ロスの姿を見る。
するとそこには、ラシェル以上に困惑したロスの姿があった。
ひたいからは汗をたらしており、その顔は恐怖しているようにも見える。
「なんだ……一体何なんだ、この魔力量は!? まさかこれほどとは……もしかすればポルーツェよりも……ヒエラル!『門』はまだできないのか!?」
焦っているのを隠すこともなく、ヒエラルへとたずねる。
このときラシェルは、なんとなくだが理解する。
自分が感じている恐怖はロスに対してではなく、誰か別の人間が発動した『強者の圧』に対してだと。
「ちょうど終わりました!二地点の縛り付けは完了、今から門を開きます!
『開け 世界をつなぐ門よ 開け 空間をつなぐ門よ 開け開け 世界は余すとこなく 我が傍に』」
ヒエラルの詠唱とともに、何もなかった空間に別の景色が映し出される。
あきらかにこの場とは異なる空間。
どこかの室内のような風景。
それは、『門』の創造に成功したというまぎれもない証拠。
「すぐに閉じる準備も始めろ。今すぐこの場を離脱する」
「はい!」
ロスはもう一度カーライの目を見る。
その目は死んでいない。
もし連れていこうとすれば文字通り、死に物狂いで抵抗してくることは確かだった。
力づくで連れていこうとしている間に、先ほど『強者の圧』を放った魔人をもしのぐ魔力量の持ち主が現れるかもしれない。
カーライを力づくで連れていくか、カーライを諦め今すぐこの場を離れるか。
そのどちらかを、今すぐに選択する必要がロスにはあった。
(ちっ、今の残り魔力で万が一にも衝突するのは避けるべきか……)
今までに消費してしまった魔力のことを考え、ロスは逃げることを選択する。
「門を閉じろヒエラル。これだけ時間がたてば、黒竜投入時の被害規模はある程度確認できたはずだ」
ロスはカーライのもとから離れ、門のほうへと向かって歩き出す。
まずヒエラルが門を超える。
続いてロスが門の前にたどり着き、門を超えようとする。
「もし君が、運良く生きていたならばまた会おう。我が同士、カーライ・テグレウ」
別れの言葉を告げ、門を踏み越えようとしたその瞬間。
ラシェルが叫んだ。
「今よ!!」
力の限りというような声が、その場に響く。
(なんだ……? 何の合図だ?)
ロスはラシェルが叫んだ意味を考える。
何かの合図のようなその叫びが、一体何を意味するのか。
一瞬、トーヤ・ヘルトの姿が頭に浮かぶが――
ロスは霧による触覚反応を常に使っている。
それにより、この場にはトーヤ・ヘルトだけではなく、自分たち4人以外に誰もいないことはわかっていた。
だからこそ、ロスの反応が遅れた。
唐突に、霧の中からその場に姿を現す5人目の人物。
ロスにとっては、もっとも忌々しい顔をした人間。
「トーヤ・ヘルト……!! なぜおまえがここに!?」
ロスとほぼゼロ距離まで近づくトーヤ。
そしてその背後には、精霊の姿があった。
「右腕の分、返すぞ」
トーヤから繰り出される左の拳が、ロスの顔面へと直撃する。




