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第四章 ・・・ 5

 カフェRiver。

 レンガ造りで小綺麗なカフェだった。入り口付近には花が咲いた鉢植えが並んでる。

 俺は一車線の道路を挟んで反対側の歩道から窓側に座っている兄貴を見ていた。

 これ以上近づけない、理由があった。あのとき尾行していた刑事が今日もいたのだ。店側の歩道にある街路樹にその身を潜ませている。俺からはもろ見えだけど。

 俺はなんとなく自分も兄貴をつけ回していることを、刑事に知られたくなかった。見つかれば事情を聞かれるだろう。

 相手はやっぱり世羅だった。

 いまは死角があり兄貴の右側しか見えないが、それはここに来て最初に確認済みだ。

(あんな顔して笑うんだ)

 どんな会話をしてるかなんてわからない。だけど兄貴の顔からは、追われている人がするような切羽詰まった表情なんて微塵(みじん)もなく、穏やかで時折笑みを見せていた。

 俺には決して見せない顔。

 外面が良いのか、それとも俺だから見せないのか…、それすら判然しない。

 世羅の反応も見たかったが、ここから少しでも世羅の対角線上、つまり入り口側へ移動すると刑事の視界に入ってしまう。気づかれる可能性はなるべくゼロにしないといけない。

 こうやって見張って十五分が経過した。

 兄貴が立ち上がった。トイレか、会計か注目する。しかし数分経っても戻ってくる気配がない。

 刑事の様子を伺うと、わずかに身を乗り出したがそのままだった。

 ポケットからまたバイブが震えた。馴れない感触にビクリとなる。


  事情があったらごめんなさい。

  でもお知らせした方がいいと思って。

  お兄さん、お店から離れましたよ。


 まだ祥子さんは事務所で確認していてくれたようで、俺が動かないので知らせてくれたみたいだ。

 このカフェには裏口があったんだ。狭いように感じたが、奥行きはあるんだろう。

(ナイスだ、祥子さん)

 俺は走り出した。刑事の後ろ側の、信号も横断歩道もないところを車が来ないことを確認して走り抜けた。

 一本向こうの通りに行くために遠回りをする。ここで見失っては意味がない。

 細い路地を抜けるまえに兄貴が目の前の道を横切って行った。慌てて大きな薄汚れたゴミ箱に身を隠す。

 ひとりだった。店を出て別れたんだ、世羅と。

 そう思いながらすぐ後を追おうとした。路地から、その道に出たらすぐ兄貴の背中があった。

 だけど出られない。

 兄貴の向かいから、兄貴に近づく男が一人現れたから。池田だった。

 ちゃんと裏口も張っていたんだと気づく。

「神崎惣一君だね。俺はこういう者だが…………ちょっと話を聞かせてもらえるかな」

 池田は兄貴に近づくと声を掛けた。ちらりと警察手帳を出したように見える。

「お断りします。こちらには話すことなんてありませんので」

「人が1人死んでいるんだ。捜査に協力しろ」

「何度も言わせないでください。話を聞きたかったら令状でも持ってきてもらえますか」

 兄貴の顔は見えないけど声が冷たいから想像はつく。

 池田も、兄貴の身体で見え隠れして表情まではわからないが厳しい声だった。

 だけど、失礼と断って兄貴が通りすぎても、池田はその背中を見つめるだけでもう食いさがらなかった。

 変わりに……。

「出てこい、隠れてるのはわかってるんだ」

 バレた。

 視線は一度も合わなかったはずなのに。視界に入ってしまったんだろう。

(兄貴が行ってしまう…)

 早くしないと、見失う。しかし追うには、どうしても池田は避けて通れない。

 俺は舌打ちをして池田のまえに出た。

「こんなところでなにしてる?」

 池田が仕事絡みのせいでちょっと怖い。怒ってるんだろうな。あー、やだやだ。

「いやー偶然って恐ろしいなー」

「いつからつけてた?」

「いやーだからさ、偶然って…」

「はぐらかすな、探偵ごっこの続きか?」

 なんとか誤魔化そうと明るく言ってんのに、池田は()()だった。ちくしょう…やっぱムリかー。

「しょうがねえだろ、あんたは教えてくんないし。話し合っても兄貴にはシカトされるし…」

 なんか言ってて自分でへこんだ。なにやってんだろう、俺。

「話し合い、したのか?」

 池田にちょっと面食らった顔をされた。なんか不本意だ。

 だけどそのおかげかなんなのか、池田の雰囲気が和らいだみたいだ。

「悪いか。話し合えっつったの誰だよ」

「悪くない。よく頑張ったな」

 池田はぽんって軽く俺の頭に右手を置いた。ムカッときてそれを振り払う。

「やめろよ!ガキ扱いすんな!」

 かなり本気でキレたのに池田は怯まない。

「それで?なにを聞いたんだ?」

「失敗に終わったって言っただろ?聞けてねえよ、なにも」

「何か分かったからつけていたんだろ?」

「………っ」

 気づけばもう、池田は仕事の顔に戻っていた。

 もしかするとあまり余裕がないのかもしれない。なぜかはわからないけど……。

「もう一度訊く。なぜつけていた?」

「それは…こっちが訊きたいんだよ。なんでいま世羅じゃなくて、兄貴に声を掛けた?」

「訊いているのはこっちだ。質問に質問を被せるな」

「言わねえよ。あんただって教えてくれないだろ」

 ここにいたくない。

 俺は隙をついて池田の脇を抜けた。だけどすぐ腕を掴まれて阻まれる。

「これは遊びじゃない!流れによってはおまえにも不利になる可能性だってある!喋りたくないなら、大怪我するまえに大人しくしてろ」

 池田の言いたいことはすごくよくわかった。ちゃんとわかるように話してくれている。

 でも。

 そんなこと言われたってもう遅い。今さら引けないんだ。

「悪いけど……だからっていまさらやめらんねえんだよ」

「なんだ、自分も関係者のつもりか?自分が動かないと事件が解決しないとでも思っているのか?そんなのはただの(おご)りだ。中途半端な好奇心で事件をかきまわすな」

 好奇心って…。ひどい言われ方だ。

 だけど、言えないから。いまの状況で、なんで俺が兄貴をつけ回さないといけないかなんて。言えないなら突っぱねることもできない。

 俺の思い違いかもしれないし、そんなんで警察に言ったら冤罪になりかねない。

(馬鹿な考えだ)

 思い違いでもなんでも、梶さんの言い残された言葉は戻らない。聞き間違えなんかじゃない。

 関係は、あった。

「どうした?今日はもう言い返さないのか?」

 まだ腕を掴んだまま、池田がなんとも言えない顔になっていた。


   * * *


 池田と別れたあと俺はまた祥子さんに助けられて兄貴の居場所がわかった。

 兄貴はもう自宅に戻っていた。世羅と逢うためだけに外出したんだ。刑事に尾行されるという、ある意味危険なことを冒してまでなんでわざわざ…。

 もしかして気づいてなかったのだろうか。兄貴が?

 ……あり得ない。

(なにを企んでる…?)

 何度目になるかわからない(さい)()と不安が渦巻く。

 なんであからさまにするんだろう?バレてるのに。怪しくないように隠せばいいのに。令状持ってこないと話さない。なんて、なんでそれで言ってんだろう。言えるんだろう。

(考えてもなにも出てこない…)

 あのとき玲華と久保田は、アールの対面相手が分かればその先が見えてくると言った。だけど現状、なにも犯人に繋がっていってない。怪しいで止まってる。

 俺はもう少しなにかがしたくて、自宅に帰る気もやっぱり起きなくて、それで。

(単純な思考回路)

 最低だ。こんなうまく説明できない、変な感情に陥ったままで世羅の家に来るなんて。

 世羅が駄目なら俺か?って兄貴に言われたばかりなのに、俺はいままた同じようなことを繰り返してる。

(ここに来たって入れるわけでもないのに)

 しかも世羅が帰ってるかどうかすらわからないのに。だけど、もしかしたら久保田ってここにいる可能性もあるんだよな。

 頭の整理がつかないまま大きすぎる家の周りを歩いていた。

 門から直接入ってみようかとも思ったけど、入れてくれるわけがないって頭の端で気づいていたのだ。それに訪問の理由も思いつかないし…。

 ずっと塀にそって歩いてるとあの日パーティで使用された建物の前に着いた。いまは閉まってるようでひっそりと佇んでる。あの日はあんなにきらびやかだったのに。

 ひと通り視て帰ろうって思ったときだった。

 ちょうど模様で穴があいていて、外から中を見ることができる一帯があった。それは逆に言うと中からも外側が見えるということで、その中から声をかけられた。

不躾(ぶしつけ)に失礼、束の間ワシに時間をくれんかの?少年」

 そう言ってシワシワの顔にさらにシワを作って笑って言ったのが…。

(えええぇぇ!!)

 丸首のシャツにステテコで麦わら帽子に軍手まで着用していて、誰の目にも庭いじりをしてますっていう姿の…浅霧功男だった。無論その格好に裏切らず、花壇の隣にある鉢植えのまえで座り込んでる。

 和服のイメージが払拭した。あのときの近寄りがたい威厳は皆無だ。その辺にいるお爺さんと化している。

 ―――なんでこんな……ひとりで庭いじりしてるんだ?っていうかなんで俺に用事が…?

「驚いとるようだの、少年。おまえさんには会いに行かねばならんと思っていたところだったんだよ」

「なんで……」

 こんな偉い人―――たぶん、いまは全くそう見えないけど、きっと偉い人―――がなんで俺のことを知ってる?

「梶の最期を聞きたくてな。……おまえさんが最期に会った人間なんだろう?あの日宴会にも来とったようだが、話せなんだな」

「あっ…」

 そうだよな。この人に情報がいってないわけがないんだ。

 パーティのときも気づいていたとは驚きだ。挨拶すればよかった。

「すまんの。本来ならワシから出向かねばならんところを。あやつらが()()()いもんでな」

 ヨイショ、と声に出して浅霧功男氏―――久保田の呼び方がうつってる…―――が腰をあげた。

「いま門を開けさせてやるからな。柳田に言って…。いや、いかんな、それはいかん」

 独り言かどうかわからないことをぶつぶつ呟きながら、功男氏は塀にそって門のある方まで歩き出した。

 えーと…。まだ時間をあげるとは言ってないんだけど…。

 とはいえ、そんなこと言える雰囲気ではない。

(なにか聞けるかもしれないし、まーいっか)

 どうせ暇な身だ。

「だったら俺、この塀乗り越えます。ここからなら行けるから」

 手がなんとか届く高さだった。懸垂して、この模様の穴に足を入れることが出来ればあとは簡単。

「やってみるかの?センサーが反応して警備員とドーベルマンが大勢出迎えてくれるぞい」

 実に(たの)しそうに功男氏が教えてくれた。………やらなくて良かった。そうやって忍び込もうという考えが、実は頭にあったから余計にビビった。

 結局功男氏が門をあけてくれた。使用人を呼ぶのがなんで()()()なのかはわからないけど、庭いじりの格好してるせいか恐縮感とかが生まれない。

 功男氏はそのまま庭に連れていき、そこにある白いベンチに座った。俺にも座れと促す。こんなに簡単に、経済界のトップクラスの人(恐らく)の近くに居ていいのだろうか?

「せっかく入れてもらってなんなんですけど、俺は梶さんのことはなにも…」

 今頃この人が言ったことを思い出して、申し訳なくなってる。先になにも知らないって言うべきだった。

「構わんよ。見たことそのまま伝えてくれるだけで良い」

「そのまま…」

 知ってるだろうに…。この人ぐらいになればこれぐらいの情報なら簡単に手に入るだろう。

 俺の考えてることがわかったのか、功男氏は遠くを見ながら続けた。

「ただの情報ではなく生の声が聞きたい。おまえさんはいわば生き証人。人の最期を看取った者は、遺された者に伝えていかねばならん。どんな僅かな事柄でもな」

 大切に想ってたんだ。梶さんのこと。ただの使用人とどうでもいい扱いをするんじゃなくて、ちゃんとひとりの人間として。

 本当にあんまり言えることは少なかったけど俺は梶さんのことを話した。

 最後に、あの言葉を伝えるべきか迷う。

「何を迷っておる?」

「………」

 俺、そんなに分かりやすいんだろうか。最近とくにすぐ見抜かれてる気がする。

「思うところがあるんだろうが心配無用だ。ワシは警察ではないからの」

「誰が犯人か気にならないんですか?」

「懸念ならある。下の者がなにやら不穏な動きをしておるようだ」

 この流れは…。チャンスかもしれない。この人の持ってる情報がほしい。

「世羅はどうしてますか?」

 功男氏は帽子を取って膝に置き、首にかけているタオルでちょっと額の汗を拭った。よく見るとタオルは有名なブランドものだ。この辺がそこらにいるお爺さんと違う。

「世羅か、あの子は不憫な子だ。あえて自ら内紛に身を投じておる」

 少し寂しそうな目で功男氏は空を睨み付けた。

 その言い方はつまり、世羅はその当事者ではないということか。

「梶さんを慕ってたんですよね。だからあえて?」

「そうだな。世羅は梶のことを父親のように敬慕(けいぼ)していたよ。それも(あわ)れでならん。唯一の理解者を失ってしまったからの」

 唯一の。

 唯一無二の存在だったって世羅は言った。そういうことだったんだ。

(親代わり)

 憐れって簡単に言ってくれる。

(そう思うなら、なぜあなたが味方にならないんですか)

(なんで世羅だけ一人離れに住むような、そんなこと許してるんですか)

 出かけた言葉を呑み込む。そんなこと言ったってどうにもならない。それこそ好奇心で中途半端に首を突っ込むってことになりかねない。

 池田に言われなくたってわかってる。俺にはどうすることもできない。世羅のことについては。

「世羅が憐れかどうかは、世羅が決めることだ」

「確かにその通りかもしれんな。ワシが言えた義理ではなかった。ワシは傍観者に成り下がっていたんだよ。同罪だ」

 同罪?なんの?

「知ってたんですか?世羅が…」

 虐待を受けていたこと。知っていて、見て見ぬふりをしていた?

「今はもうワシはほぼ引退しているに等しいが、当時は……いや、自己弁護だな」

 功男氏は途中で話を打ち切った。

 肩が落ちていて、なんか見ていて痛々しい。計り知れない想いがあるんだろう。

 きっと普段とは違う。この人。

 引退してなのか、梶さんの話を聞いて感傷的になっているのかはわからないけど。あの日見たような威厳がある感じが本来の姿で、いまはきっと弱気になってるんだと思った。

「内紛ってなんですか?なにがあるんですか?この家に」

「この家だけの話ではないよ。どこの家でも起こりうることだ。権力争いなんてことはな」

 確か…、玲華も言っていた。相続争いとかそういう話。

「前からあったが、いよいよワシが引退するとなって激化したようだ。梶はそれに巻き込まれたと言っても過言ではない」

「え?」

 まさか犯人のことも知っているのだろうか。

「巻き込まれたって、じゃあ兄貴…神崎惣一という人物を知ってますか?」

 だってそれじゃあ、兄貴はなんに関わってるんだ?金目当て?

 いや、あまりにかけ離れてる。それなら一介の運転手ではなく、もっと適切な人がいるはずだ。

「さあな。ワシはただ一理あると言っとるだけだ。全ての因果がそこにあるとは言っておらん」

 俺の考えを先回りして功男氏は言う。原因はいくつもあったということか?

「おまえさんは犯人を探しておるんだな?それでこの家の周りを彷徨(うろつ)いていたわけだ」

 ヤバい。いまさらそこ指摘するか?

 確かに否定できないけど。誉められた行為じゃないことは知ってるけど!

 すみませんと言おうとしたけど、しどろもどろになっているうちに功男氏は続けた。

「たとえどのような結果が待ち受けても受け止める覚悟があるようだな。そういう目をしておる」

 あっこの人責めてない。べつに(とが)めようと思って言ってたんじゃないんだ、って気づいた。

 そんな大げさな目をしてるかどうかは不明だけど。

「そういう意味では…神崎惣一君は宴会で挨拶したが二人はよう似とるな」

 しまった。兄貴はちゃんと挨拶したのか。

「顔かたちの話ではない、彼にも同じ目を見た。……しかし彼はいかん。似とるがあれは別だ。何やら腹に一物抱えとる」

 え?

 ハラニイチモツって、それってどういう意味だろう。いや、言葉の意味は解るけど…なんとなくだが。

「おまえさんが抑止力にならねばならんよ。よう意識して彼を注視していなさい。それが良い」

 うんうん、と1人で納得して、それからはもう功男氏はそれについてなにも言わなかった。

 俺なんかが抑止力になれるんだろうか。兄貴の企みがなにかもまだ分かってないのに。

 だけど。

 止めなくてはいけないことがあるなら俺が止める。そう決めたから。 はい、と俺は答えた。

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