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第三章 ・・・ 5

 なんで俺はこいつ…綾小路亨とバーカウンターなんかに隣同士で座ってるんだろう…。

 この建物には3階にバーまで用意されていたのだ。小さいけれど完璧にバーだ。

 先に来ている客が数人いる。

 玲華のことは気になるが、あんな顔を向けられては断れない。それに、兄貴と世羅がいないなら大丈夫だろうと思うようになっていた。

「こんなとこ来ていいんだ?」

 金持ちだろうが貧乏だろうが高校生は未成年で、法律は平等だ。たぶん、たしか…。

「真面目なんだな」

 そしたら綾小路はものすごく意外な顔をした。ほっとけ。

 バーにいる制服を来た男性(たぶん浅霧家のお抱えなんだろう)も、心得ているのか何も言わずにアルコールを出してきた。

 綾小路は来て早々にマティーニを注文したので、考えるのが面倒くさくて、俺も同じのを頼む。

「まさか飲んだことないとか言わないだろうな」

「べつに…」

 俺だって中学時代に、純平たちと集まったとき正直アルコールを飲んだ。最初は缶ビールから飲み、苦いだけで美味くもなんともなかったことを思い出す。…っていうか、綾小路だって充分意外じゃないか。

「あんたも意外と不良だよな」

 女は押し倒すし、気に入らない相手にはボコるし。俺の真意を読み取ったらしく、隣の男はばつの悪い顔をした。

「だからここに呼んだんだ…その、やり過ぎたと思って…」

 綾小路が玲華に謝ったと聞いたときには、信じられなかったが、本当だったんだと思った。

「というより、玲華が言ったんだ。自分より、神崎悠汰に謝れと……。だけどそれだけじゃない。僕にだけ処分が無かったのも、僕には辛かった。校長先生が間違ってるっていうのも分かっていたのに、僕にはなにも言えなかった。卑怯者だよ」

 いきなり語りだした内容に少し驚く。あのときそんなふうに思っていたのか。目からウロコ。

「こんなとき玲華ならきっとはっきり言う。愛想を尽かされても仕方ないな。しかしそれでも僕は玲華が好きなんだから……困るよ」

 困ると言いながら心底嬉しそうに綾小路が笑う。そんな自分を誇らしく思っているみたいだ。コイツは心底スゴいやつだ。どこまで玲華に惚れているんだろう。

「だから君には負けない」

「なんでそこで俺が出るんだよ。俺を怨むのは筋違いって言ったろ?」

 本当は言いかけて殴られたのだから、伝わってないかもしれないが。

「この期に及んで何を言う?見てればわかるよ。あんな玲華は初めて見た」

「猫被ってたから当然だろ」

「そのことじゃない。僕たちは世羅君も含め、子供の頃から親の都合で付き合いがあってよく知ってるんだ」

 綾小路がどこか遠くを見ながら口にグラスをつけた。

「子供の頃は僕にもあの頃なりの()で対応していたんだよ。いつからかな、他にも同じように遊んでいた子もいたけど、大人になるにつれて距離が出来るようになった」

 持っていたグラスを傾けて綾小路は俺を見た。

「世羅君とはずっと仲が良かったのに…二人は喧嘩でもしたのかい?」

 先ほどの言い合いを綾小路は聞いていたんだろう。だけど俺に聞かれてもわからない。

「ちょっとね、って言ってたけど……」

「珍しいな。世羅君は玲華のことをとても大事に思っていたんだよ。男の子たちのイタズラから玲華を護る騎手(ナイト)みたいにね。でもまあ、玲華もただ護られるようなお姫様ではなかったけどね」

 当時のことを思い出しているのか、懐かしそうに笑う。

 コイツならなにか知っているだろうか。ふと僅かな希望がわいて俺は訊いてみた。

「浅霧さんの家っていま大変なの?」

「……………さあ、そういう話しは知らないが?」

 なんだ今の間は…。

 綾小路は顔色を変えたり、妙な動作はしなかったが、その間だけは気になった。

 なにを躊躇った?なにかを知ってるのか?

「噂、あるよな世羅んち」

 さらに俺は突っ込んでみる。噂なんて俺も知らないが、先ほど世羅の母親たちが言っていたことを思い出して、カマをかけたのだ。

「知らないな。それより今日はどういう風のふきまわしだ?なかなか似合っていたじゃないか、ソシアルダンス」

 無理矢理、話を変えられたように感じた。綾小路はダンスの形を腕だけで作って、からかうように笑う。

「脅しにはのらねえぞ」

「なんの脅しだ?ああ、君が恥ずかしがっているから、ばらされたくなければ言いなりになれ、とかいう類いか?」

 綾小路は呆れて肩をすくめた。

「それは無理だな。この学校では珍しくない場面だ。騒ぎにすらならない」

 やっぱりイヤだ、こんな世界。ぐったりと背もたれに体を預けながら、俺はため息を吐いた。確かに恥ずかしいなんて概念は、慣れてない、もしくはガラじゃない一部の人間しか持たないだろう。

「さて、そろそろ行くか」

 綾小路が立ち上がる。いきなりの展開の早さにギョっとなった。俺の動きが鈍かったせいか綾小路が続けて言う。

「謝りたかったのは本音だが、本当はまだ君は嫌いなんだ。あたりまえだろう?礼儀を知らないし、なにより恋敵なんだからな。そんな男とじっくり飲む趣味はないよ」

 あまりに穏やかに嫌いと言われて、俺は対応に迷った。怒鳴られれば怒鳴り返せばいいし、殴られるなら殴り返す。しかしこれでは反論できない。

 訝しく思いながらも綾小路についてバーから出た。代金は参加費に含まれてるらしい。そういえば俺の参加費も玲華んちが負担してるんだ、と今さら震えた。

 バーのすぐ近くにちょっとした囲われた空間があって、ソファでくつろげるようになっている。

 どこかの高級なホテルみたいだ。綾小路はそちらに足を伸ばした。

 俺は下に戻ろうと思い、じゃあなと挨拶しようとしたら左腕を掴まれた。

「なんだよ?」

 批判する声も聞かずに、綾小路は強引に無言のまま俺を引き連れ、終いにはソファに座らせた。力強くて、先ほどまでの穏やかさがない。

 暴力の続きか?と一瞬身構える。

「てめえ…」

「おまえはやっぱり馬鹿だな」

 俺が叫ぶより早く、綾小路はタイをいじりながら吐息を吐いた。

 殴りかかるような素振りはなく、あの日にあったような身の危険も感じなかった。

 なんなんだ?

 不信に思っていると、内緒話をするように俺の耳元に近づき綾小路は囁く。

「浅霧一家の噂なんて、あんなところで話すもんじゃない」

 その内容に俺は眼を瞠る。

「おまえやっぱり…知って……」

「その話しはここではタブーだ。それをあんなところで。バーテンダーも、他の客だって目を光らせたのに気づかなかったのか?」

 まったく気づかなかった…。それであんな妙な間が空いたのか。

「なあ、それって…」

「おまえがここにいる意味がわかったよ。まったく玲華もお姫様になりきれば良いのに」

「ちょっと待てよ!勝手に話を進めんな!」

「うるさい、怒鳴るな。こういうところでは喧嘩も本来タブーだ」

 冷静に綾小路が諭す。やっぱりムカついたが俺はそれに従ってトーンを落とした。

「その噂教えろよ。やっぱり事件のことなんだな?」

「ああ、玲華も知らないことだ。だけど彼女なら気づいているかもしれない」

「だからなに?」

 俺の心がはやる。綾小路は少し迷ったような顔をした。それから辺りを見渡してさらに小さい声で言う。

「玲華には言わないでくれ。梶さんの件で警察が浅霧一家を疑っている。そして殺害時間にアリバイがないのが…」

 一旦綾小路が言葉を切った。俺に嫌な予感が湧き上がる。なぜ、綾小路がわざわざ玲華に言うなと釘を差す必要があるのか。それを考えると、次に発せられる内容は容易に想像できた。

「この中でアリバイがないのは、世羅君だけだったんだ。警察は世羅君を犯人と絞り込んで捜査してるという噂がある」

 やっぱり………。展開の悪さにイヤになる。

 だけど世羅は違うだろう?あんなに、誰よりも犯人を憎んでいた。唯一無二の存在だと俺に言ったんだ。あれが彼女の真実ではないのか?

 でも噂があることは本当で、だとしたら警察が疑っているのも頷ける。もしかすると、だから池田は俺になにも教えてくれなかったんじゃないだろうか。

 考え込んでいると綾小路が静かな声をだした。

「大丈夫か?」

 意外な声に俺は顔を上げた。なにを想像したのか心配そうな表情。

 なにをって…。

 わかってる。俺の精神状態だろう。

 勘違いでもなんでも、あの日の過呼吸になった姿を見て、恐れてるんだ。そのことを知る人からは、よく浴びせられる視線だ。本当に見ている者まで苦しませる姿らしい。昔、小学生の頃同級生にそう言われた。

 だけどそれは家族を除いて…だが。

「大丈夫だ」

 いつまで…こんなことを気にしないといけないんだろう。そう思いながらも、俺は気づけば綾小路にそう答えていた。


   * * *


 綾小路と別れて、俺は再びフロアに戻った。

 だけど玲華の姿はまだない。探せるところはすべて探した。俺を置いて帰るはずはないなんて思う。まだパーティは続いているし。

 三階に行ってるあいだにまた移動したのだろうか?そう考えて降りようか、と一瞬迷った。

(まだあそこがある…)

 会場の奥にはバルコニーがあった。きらびやかなカーテンが揺らいでいるのが目に入る。

 俺は人の隙間をすり抜けてバルコニーに出た。一陣の風が頬を撫でる。

 少し広めのその場所に玲華が一人でいた。手すりに手を置き空を見ている。

「ここにいたのか」

 余計なところをぐるぐる回ってしまった。

「どうしたんだよ?」

「ちょっとね」

 先ほどと同じことを同じように言う。

 なんでもない、とか言われないだけマシかもしれない。そう言われたらそこで終わってしまうから。

「俺に言えないこと?」

 俺も玲華の隣を確保し手すりに背中を預けた。玲華がやっとこちらを見る。

「悠汰には言えるわ。ちくしょー、やっぱそーかー。…そうなのよ。世羅が解らなくなってきちゃって…。ちょっと寂しいだけ」

 なんか勝手に納得してから、本音を語る。

 寂しい、か。確かにそれは感じていたけど、こう素直に言われるとどう返していいか迷う。

「この間も世羅に話してもらおうと挑発したんだ。でも結果あたしが先にキレちゃって。優しく促してもダメ挑発もダメで、今後どうしたものかと…」

 玲華は迷っているようだった。世羅に本音を語ってほしいんだ。

「仲悪いの?お兄様と」

 突然そこに話を振るか?って一瞬戸惑う。

 本人が駄目なら周りからということだ。そしていきなり現れた兄貴はきっと何かを知っている。なにかに関係してる。

「昔は、普通だった。普通に一緒に遊んだり、おもちゃの取り合いなんかで喧嘩したり…。普通の兄弟だったよ」

 他人の家と比べたわけではないが、少なくとも今みたいな距離感はなかった。

 いつからだろうか。親が介入し続け、なんとなくギクシャクして。

「ずっと比べられてたんだ。兄貴とは。兄貴は優秀で、俺は…。いつのまにか会話がなくなって、兄貴も俺のことを……」

 その先は言えなかった。親同様、兄貴も俺をお荷物みたいに扱うようになった…なんて、どうして言える。

 まだ認められない何かがあるんだ。認めたくない、軽蔑されてるなんて。

 まだそれで終わりにしたくないんだ。それを認めてしまえば完璧に俺はお荷物になる気がした。

「ふうん。でも悠汰は良いところ、いっぱいあるけどね」

 悠汰は男だけどね、みたいに当たり前なことを言うように玲華が言った。

 社交辞令はお腹いっぱいだと言ったのに。やっぱり玲華は社交界の人間なんだ。

「あー信じてないよー。まったく誉められ慣れしてない人ってこれだから…。素直に受け止めなさいよ」

「んなこと言われても……じゃあどこが?って聞いてやるよ」

「裏表がないとこよ」

「ああ…」

 なんだそんなことか、と思う。そう言えば聞こえは良いだろうが、要は単細胞ってことだろう。

 上手く立ち回れなくて、感情で生きるバカ。まともに交渉が出来ないし、かわされてばかりで…。

「誉めてるのになに落ち込んでんの?」

「うるせえ。……じゃなくて、おまえも物好きだなと思ってな」

 欠点ばかりの俺に気を遣うなんて、少なくとも俺にはできない。

「ホントにねー。ホレた弱味ってやつよね」

 深く考えもせず、玲華が言った。あまりにサラリと言うもんだから、一瞬流しそうになった。そして、はたと固まる。

 におわす場面はいくつかあったが、言葉にして言われたのは初めてだった。それも櫻井や他の女子みたいにコクるって感じではなくて…。

(本当だったんだ…)

 ヤバい、全然実感がわかない。そして無意識に同じ質問をしていた。

「どこが?」

「どこって?」

「えっと、……どこに?」

「あー…、あたしを(あが)めないとこかな?」

「なんだよソレ」

「猫カブったあたしに特別扱いしなかったからよ。稀少価値だわ」

「いくらでもいるだろ、そんなやつ」

 あの学校にいるから会えないだけで、身分とか気にしないやつもお嬢様の価値が分からないやつもザラにいる。

「そんなのきっかけの一つでしょ。理由なんてあってないものよ」

 自信満々に玲華は言う。どこか他人事に聞こえてしまうのはなぜだろう。

 そんなんだから、適当にふうん、と答えてしまった。

「イヤだなぁ、告白され慣れてるやつって。まったく有り難み感じてないんだもん」

「って…言うわりには櫻井と踊らすし、俺とは踊らないでさっさとこんなとこに一人で脱出してるし」

「あら、途中までは見てたわよ。やっぱりあたしの教え方は完璧だったと思いながらね」

 しれっと玲華が胸を張る。

「教え方ってあのスパルタか?」

 正直教えられる方にとってはたまらない。完璧なんかじゃない。穴だらけだ。

「イヤな顔しないの!それでどうだった?初実践は?」

「向いてない」

 俺は体を反転させ、手すりの向こう側に腕を力無くダランと下ろした。

「二度と踊りたくない。ガラじゃねえし。っていうかこういう雰囲気全体が」

「あっそ、残念。あたしは似合ってると思ったけどね」

「櫻井と…踊ったら、知らない女がこの子とも踊れって言ったんだ」

 言うつもりなかったのに、俺はなんとなく語りだしていた。玲華が注意深く聞いている。

「雰囲気を大事にパーティを楽しむ、っていう精神は素晴らしいことかもしんねえけど、そこでムカつく気持ちを抑えてまで笑って合わせて、本当にそれで相手には良いのかって話だし」

 考え方は人それぞれだって、そんなことはわかってるけど。

「それって俺は嫌なんだ。誤魔化されたくないし、嘘もつかれたくない。だから俺も正直がいい」

「つまり、断ったわけね」

 大人しく聞いてるかと思ったら、声が途切れたところで玲華がため息まじりに呟く。

「それって美緒(みお)ちゃんじゃないの?澤登美緒ちゃん」

「名乗らなかったから……ただ澄川がそう呼んでた気もするけど」

 再び憮然としてため息をついた。

「あやなちゃんに美緒ちゃんか…。あんたって女の敵だったんだ」

「どういう意味だよ」

「そこで怒らない。はぁー。まあ正直なのも良いことだと思うわよ。実際そうだし。素直じゃないときもあるけどねえ。でもねー。はぁー」

 これ見よがしにため息ばかり玲華はつく。なんだよ一体。

 俺は憤りを感じずにはいられなかった。女の敵?だったら男の味方か?違うだろ。

 オトコの…ってところで、ふと俺はあることを思い出した。今まで忘れていたのもどうかと思うが、話を変えるのにちょうど良くて利用してしまった。

「そう言えば綾小路に会った。つーか話した。謝れって言ったんだって?」

「ああ、そうよ。相変わらず話の通じないところあるけど、マシになってたでしょ」

 辛辣に容赦なく玲華が言う。きっと当人が聞いたら泣くな。

「まあな…。“やり過ぎたと思う”とか“謝ろうと思って”とかは言ってたけど肝心な謝罪の言葉は無かったけど」

「まあ、プライドの高い男だからね。それでかなりの進歩よ」

 だから許してやって…っていう意味が含まれていた。あんなに嫌っていたのに、こういうところはやっぱり()()()()というものなのだろう。

 なんか面白くない。

 ―――そう言いそうになって驚いた。面白くないってなにが?

「で、他にはなにか話した?」

 急に真面目になって玲華が訊く。

 どうしよう。綾小路は言うなと言った。玲華は気づいているかもしれない、とも言った。気づいてなかったら、傷つくだろうか。それとも言わない方が…?

 ダメだ。判らない。

「まだ、玲華が好きだって」

 違う。そんなことどうでもいいのに。

「はぁー。あんたやっぱり嘘つけないねー」

「いや、嘘ではないけど…」

「世羅のこと話したんじゃない?違う?」

「なんで…」

 しまった。こんな返事では否定をしていることにならない。鋭い玲華には危険だ。

 だからといって狼狽(うろた)えてしまって、次の言葉が出ない。

「この状況であんたがそんな顔すんのはそれしかないわ」

 つい自分の顔を撫でてみる。どんな顔をしてんだろう。きっと情けない顔だ。

「正直者でいたいんでしょ、言ってよ」

「ひっきょー……」

 卑怯な返し方。自分で言ったことだけど。

「大丈夫よ。だってあたし信じてるから」

 確かに俺だって、世羅がなにかしたと思っているわけではない。

 俺に向けたあの眼の方が現実味(リアリティー)があるから。 でも俺は世羅のことをよく知らない。本当に信じられるかは正直判らなかった。

(でも……玲華なら)

 玲華のことなら大丈夫だと思えてしまう。それが過剰な期待になってしまうのが怖い。自分みたいに負けるんじゃないかと、恐怖感に囚われる。

「信じてるなら、訊くなよ」

「あんたもあたしをノケモノにすんの?」

 玲華の目がウラギリモノと責める。

 間違えた? 違うのに。除け者なんてするつもりはない。それは“言うな”と言った綾小路の言葉も例外ではなくて。

 心配? そうか、これが心配するってことなのか。

 まるで初めて触れたみたいに思う。感じたことがなかったわけではないのに。

「だから、そんなことは一ミリも思ってなくて…」

 気づくと想いが声に出ていた。

「玲華が()()()とか言うから。って、もちろんそれを責めてるわけでもなくて。寂しいときにさらに、追い討ちかける話しもどうかと思うし。かといって、俺がなんとかしてやるって言えたらそれが一番良いんだけど…。兄貴に立ち向かう勇気だとか全然追いついてないのに、んな無責任なことも言えねえ……。結果、玲華がひとりで頑張らなきゃいけなくなるかもしれない。……心配なんだ」

 正直に誤解のないように言おうとするだけなのに、やけにまわりくどくなる。

「玲華のことが心配なんだ。世羅がなにかしてるのは確かで。玲華が信じんのは自由だし、わかる。でも俺はまだよくわからない。俺がいま玲華に言えないってことは結局そういうことなんだ。俺が世羅を信じきれないんだ、まだ」

 玲華の視線が痛いけど、俺は外に目を向けていた。交わらないようにした。

「ばか」

 隣で玲華の頭が低くなった。手すりにもたれ掛かってる。

 しばらくどちらもなにも言わなかった。 玲華がなにかを考え込んでいたのは、空気でわかったけど、俺はこれ以上話すと言ってしまいそうで黙っていた。

 そしてずっと外の景色を見ていると、ふと動くものが目に入った。

 動物、かとも一瞬思ったが違った。人だ。

 浅霧家の敷地の外で、電信柱に隠れるように、一人潜んでいる者がいる。

「あれ、刑事だ」

 確かにそうだ。池田じゃない。あの日池田と共に俺に事情を聴いた刑事のなかのひとり。名前なんて当然忘れた。

「え?どこ?」

「あそこ。電柱んとこ」

 刑事は尾行や張り込みのプロだ。そんな専門家に俺が気づけたのは、対象が俺や玲華、少なくともいまこの建物にいる者ではないからだ。だって久保田のことは見つけられないから。

 俺は刑事の向いてる方を目で追った。高い塀が邪魔をしてよく見えない。

 でもなんとなく想像はつく。刑事が追っている者で、この建物にはいない者。

「世羅を尾行してるんだ…」

「なんですって?」

 しまった。また声に出てたらしい。

 俺が玲華の方を向くのと、玲華が駆け出したのが同時になった。

 慌てて腕を伸ばす。自分でも驚くようなスピードで玲華の腕を掴んだ。

「おい待て!行ってどうするんだよ!」

「刑事から話を聞くわっ」

「教えてくれるわけないだろ?俺だって池田にかわされたんだ!」

 池田が誰かを教える余裕もなく俺は怒鳴った。

「それでもあたしは…逃げられない。逃げたくない。世羅があたしから逃げるなら、追いかけなくちゃいけないの!」

 ゆっくりと俺から力が抜けていた。

 その隙に、するりと玲華の腕が滑り落ちる。そのまま玲華の後ろ姿が見えなくなった。

 ―――逃げたくないって言った。

 そんな台詞を聞いてどうして引き留められる?今さら自分のバカさ加減に呆れた。初めから、俺と玲華は違うんだ。元の核となる部分で違う。強さが。

 先ほどまでの葛藤が嘘みたいに、俺も走っていた。

 玲華のあとを追うようにフロアを走り抜けた。人と人の隙間に走るべき場所が見える。ぶつかることなく順調に走ったのに玲華に追い付けなかった。

 ヒール履いてたよな?なんであんなに速く走れるんだろう。それだけ必死ってことか。

 周りの人の迷惑とか考えてる暇もなく、一階に降りて、そのまま外に続く扉を開く。

 バルコニーの下にあたる道路に向かって右に曲がった。先にたどり着いた玲華の立ち尽くす姿が見える。

 世羅も刑事の姿もすでになかった。

 誰もいない。移動したんだ。

 左側に道がある。刑事が見ていた方から推察するに、こちらに行ったんだと思った。俺たちは会ってないから。

 だけど玲華は諦めきれないのかさらにまっすぐ先に行く。

「れい…」

 違う、と叫ぼうとしたときだった。浅霧家の高い塀が途切れるところ、その右の角から新たな影が現れた。

 玲華の前。

 影だと思ったのは、黒ずくめで闇に染まっていたからだ。一瞬見えなかったくらい。

 だけど街灯に照らされ、手元あたりでキラリと光るものがあった。背景が影だからよく目立つ。

 全身の感覚が警鐘を鳴らす。

 見たことある。出会ったことがある危機感。

「玲華!」

 俺は追いかける脚に力を込めた。まるで自分が追われてるみたいに本気で走る。似たものがあったから。

「きゃっ!」

 玲華の腕を掴むと、影との距離を引き離し、玲華の全身を覆うように抱き寄せながら自分の背中で盾にした。

 逃げる余裕まではなくて、硬く目を閉じ覚悟をする。

「うっ…」

 だけど後ろから男の低いうめき声と、何発かの殴る音が聞こえてきた。

「久保田…探偵」

 俺の腕越しに奥を見ていたみたいで、玲華が呟いた。それだけで後ろの状況がつかめる。

 久保田もプロだな。ちゃんと仕事をこなしたんだ。こんな突然の非常事態でも間に合うんだから。

 玲華もようやく状況を理解したみたいで、俺の中で少し震えた。

 それが伝わったのか俺も震える。いや、本当は俺からだったのかもしれない。

「悠汰、もう大丈夫よ」

 玲華がそう言って俺の腕を軽く叩いても、俺は動けなかった。怖くて動けなかったんだ。

 玲華を失うかと思った。自分が死ぬかもしれない、と思うより怖かった。

 震えが止まらない。

「おい、大丈夫か」

 久保田に呼び掛けられて、ようやく玲華を離した。

 久保田をみると、ひとつも怪我はなさそうだ。ネクタイはしてないが、今日もスーツを着ている。

 そしてその先に目線を移すと、影のように全身真っ黒な服を着た男が伸びていた。

「犯、人?」

 この流れで玲華を襲うなんてそれしか考えられない。

 だけど、なんで俺じゃなくて玲華なのかがわからない。俺のはずだった。

 おとりになると言ったとき、自分が危険な目に遇う覚悟をしたはずだったのに。

 玲華に危険が向くことは不思議と考えなかった。だから怖かったんだ。

「犯人かと聞かれれば、否定も肯定も出来てしまうな…」

「どういうことだよ」

「こいつは通り魔事件の犯人だ。ナイフの特徴が一致している」

 久保田は犯人から取り上げたナイフを、顔の高さまで上げてちらつかせた。用意周到にハンカチでその大きめのナイフを握っている。

 タガーナイフだ。その情報はニュースで報道していたから、俺でも知っているけど、そんなものだけで断言できるのか?

 玲華は俺たちをすり抜けて犯人に近づいて行く。俺より早く久保田が反応した。

「おい、危ないぞ」

「……つまり、梶さんを殺めた人とは違うってことね」

 気を失ってるとはいえ、勇敢にも犯人の顔をじろじろ見ている。

「そうだ。それより早くここから離れるぞ。警察には祥子君から連絡してもらう。あとは適当に知り合いを呼んでおくから」

「どういう意味だ?」

「またあの長い事情聴取をうけたいか?オレは御免だ。警察は好きじゃない。大丈夫だ、信用できるやつに第一発見者になってもらう」

 淡々と語りながら久保田は携帯を内ポケットから取り出した。あまりに当たり前みたいに言うから、しばらく呆然とその動作を見ていた。

「あたしはイヤよ。そんな真似できないわ」

「コイツは無差別犯だから、君が狙われたのはたまたまだ。恐らく自分の犯行にみたてた殺人が起こったから、この家を見張っていたんだろう。大丈夫だ、女も用意して完璧な理由を考えてるからバレない」

「そういうこと言ってんじゃないわよ!あんたってバレなきゃ犯罪を犯しても構わないタイプ!?」

「最近のガキはタイプとかナニナニ系とか、すぐ一括りにまとめたがる」

  厳しいことを言う玲華に、反論した久保田の声は弱々しかった。二人が球技大会のときに話をした、というのは聞いたが、恐らくこんなときでも玲華は玲華だったんだろう。

「俺も逃げない」

 これで逃げたら男がすたる。疑われても噂されても、自分に後ろめたいところがなければ大丈夫だ。

 それが逆なら?……考えるだけで嫌気がさす。

「いいのか?また母親が嘆くぞ」

「汚え言い方すんな!」

 こいつは優しくしたり、突き落とすような言い方したり真意が読めない。

(だからイライラするんだ)

 掌で転がされてるみたいに感情がむき出しになる。抑えられない。

「てめえは好きにしろよ!でも俺は言うからな!てめえの名前とこのスバらしい功績を」

「そうね。あたしたちが警察に行くんなら、あなたもいずれは行かないといけなくなるわね、大変ね」

 玲華も同様に被せてきた。違ったのは、やっぱり玲華は傲然と笑っていたところか。強さがまるきり違う。

 久保田が降参して白旗を挙げたのは、だからやっぱり玲華がいたからなんだろう。

 俺だけだったら言いくるめられていたかもしれない。

 それはそれでちょっと落ち込んだ。

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