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停めてくれ!  作者: ちみあくた


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1/5

日常に潜む迷宮へようこそ。

これから、あなたの心はあなたの体を離れ、この不思議な空間の中へ入って行くのです。




 体を揺らす単調な振動、微かな機関音、程よい周囲の人いきれ……心地良いうたた寝から目を覚ますと、僕はいつもの電車の中にいた。


 時刻は午後11時を過ぎ、終電まで少し間がある頃合いだ。


 品川から乗り換える大手私鉄の各駅停車で、特に車内は混んでいない。というか、結構空いている。


 これもいつもと言えば、いつもの光景。


 都市部から離れた郊外へ路線が差し掛かり、通勤客は多くない。立っている客など一人もいない。


 僕のみならず、数人の客が惰眠を貪っていた。時折り、いびきが聞こえる気怠い空気の中、何となく辺りを見回すと……


 右側、はす向かいの座席にいる中年の女性と目が合った。


 背は低く、かなり太目で派手なブラウスの腰辺りから贅肉がはみ出しそうだ。


 家庭の主婦っぽい雰囲気を漂わせ、この時間帯の電車には珍しいタイプだが、僕と視線が交わった瞬間、まん丸く見開いた瞳に動揺が走った。






 キャッ!?


 小さく声を上げ、女は少し困った顔で微笑んだ後、さり気なく目を逸らす。そして数秒後、又、チラリとこちらへ目をやり、恥じらうように目を伏せる。






 オイオイ、何だよ、その反応?


 体形にせよ、かなり派手めの装いにせよ、僕の知り合いにはいないタイプ。顔立ちに何処か見覚えあるけど……いやいや、他人の空似だろ?


 そんな風に思う間も、何度か、チラ見の眼差しが飛んできた。見知らぬ女からずっとガン見されてる。自ずと悪寒が背筋を貫く。


 コレって、もしかして、アレ? 毎日の通勤で僕を見る内、密かな恋に落ち、ストーカーになったとか?


 まさかねぇ。


 自分で言うのも何だけど僕は月並みの顔、月並みのスタイルを持つ、月並みのサラリーマンだ。


 ま、ソコソコ有名な会社の正社員で新婚真っ只中だから、ソコソコ幸せだけどさ。


 多分、寂しいオバちゃんが勝手に過剰反応しただけ。


 そもそも夜中の通勤電車で乗り合わす他の客なんて、この世で一番気にしないで良い人種だしさ……






 僕は胸の違和感、不快感を即刻忘れる事に決め、目を閉じた。


 中断された夢へ、もう一度戻ろう。


 その内容は月並みな僕に相応しく、30代半ばにして、ようやく手に入れた幸福がそのまんま反映されている。


 最初の場面は……






「し~くん、おはよ」


 寝ぼけ眼で寝室から出てきた僕へ、結婚してまだ二か月の妻が言う。


 頭文字で呼ぶシンプルな愛称も、愛しい妻の愛らしい声で呼ばれると、何とも言えない喜びに満ちる。


「最近疲れてるみたいだから、起こさなかったけど、少しお寝坊さんだね」


「うん、急いで出ないとヤバいかも」


 少々辺鄙な僕の家から都心の職場へ通うにはバス、私鉄、JRと乗り継ぎ、2時間近くかかる。一つ間違うと遅刻しかねない。


 ま、仕方ないけどね。


 早死にした親の遺産を相続したおかげで、若い内に家を持てた。


 ギリギリ通勤圏内にある築15年のくたびれた家だが、年下の綺麗な奥さんと二人暮らしだからね。そりゃもう文句言ったら、バチが当たるわな。


「し~ちゃん、急ぎの日も栄養は取らなきゃダメ」


 そう言って妻が指さした先、ダイニングキッチンのテーブルに、出来立てのサラダトーストが載っていた。


 いつも僕より早く起き、家庭菜園の野菜を刻み、ドレッシングを変えて味変する定番メニュー。


 食べやすいよう軽くプレスし、四分の一にカットされている為、急ぐ朝にも慌てる事なく一口で食べられるのだが、


「今朝、僕が最初に取りたい栄養は……」


 背中から妻を軽く抱き、肩まである栗色のしなやかな長髪を撫でる。


 切れ長の瞳を嬉しそうに輝かせる妻。幸福ではち切れそうな胸の鼓動を抑え、僕はゆっくり彼女へ唇を重ねようとして……






 又、列車が大きく揺れ、楽しい僕の夢はあっさり寸断された。おまけに、ジトッとした誰かの眼差し、その熱気が頬の辺りへまとわりつく。


 僕はいやいや目を開き、まず右のはす向かいを見た。


 誰もいない。


 少なからずホッとしたのも束の間、今度は左のはす向かい、さっきより若干近い位置にまん丸い瞳がある。


 あの肥満体のオバちゃんがニンマリ笑みを浮かべたかと思えば、


 キャッ!


 嬌声を上げて目を逸らす僅かな間に、僕の全身はすくんでいた。


 前より近くの位置にいる女を、少しアップで見たお陰でさ。はっきり分かったんだ。


 彼女の目の奥にあるのは羞恥心や気まずさじゃない。大袈裟な仕草にも関わらず、感情の動きなんて全く伺えなかった。


 まるで目の形に開いた真っ黒い穴……


 濁りきった沼の奥底を覗く嫌悪感が込み上げ、背筋を凍らせる。






 気が付くと体が勝手に動き、僕は席を立っていた。列車の進行方向に沿い、足早に通路を歩き出す。


 座席に目をやらないよう、顔を上に向けたら、天井からの吊り広告、週刊誌の宣伝文句が目に付いた。


 政治家のゴシップ、ネット詐欺、女子高生を狙った拉致・監禁事件等、煽情的な内容の見出しが躍っている。


 何処を見てもロクなもんじゃねぇや。


 そう思いつつ、広告の真下を通り、通路へ放り出すように伸ばした酔っ払いの足先を跨ぎ……


 車両の端まで行って、妙に重い連結部のドアを抜け、隣の車両に移動する。


読んで頂き、ありがとうございます。

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