囚われた者たち
――帝国飛空戦艦・内部。
規則正しく並ぶ鉄の通路に、甲高い悲鳴が走った。
「な、なんだ……っ!」
振り返った兵士の視界に映ったのは、
もはや人の形を保っていない生物だった。
黒く脈打つ肉が鎧を内側から押し広げ、
骨が不自然に歪み、関節が逆方向に折れている。
顔が真横に傾いている。
「ジーン副長!」
兵士の一人が叫んだ。
かつての名残は、その顔にかろうじて残っていた。
「痛えよ……痛え……た…すけ……」
掠れた声が漏れる。だが次の瞬間、腕が弾けるように伸び、
目の前の兵士の首を掴んだ。
ゴキっと鈍い音がした。
血が飛び散り悲鳴が重なる。
だが“それ”は止まらない。
逃げ惑う兵士達。
「下がれ」
低い声が、混乱を切り裂いた。
人だかりからクロフォードが歩み出る。
その顔に焦りはない。ただ、わずかな苦味だけが浮かんでいた。
「寄生されているのか……お前はどこまでも…」
ゆっくり腰の剣を抜く。
ジーン――いや、ジーンだったものが振り向く。
その瞳は既に濁り、焦点が定まっていない。
「たいちょ……たす……け……」
涙が流れている。
「ジーン…許せよ」
次の瞬間、ジーンの全身が膨張した。
クロフォードの剣を青みがかった光がぼんやり覆った。
一閃——
肉と黒い何かが、同時に断たれた。
崩れ落ちる躯。
その中心から、ぬるりと何かが這い出す。
細長く、半透明の、脈動する異形。
「なんだ?あれ?」
「動いているぞ」
兵士たちは口々に話す。
その空気を割って、鉄の床を歩く
具足の音が聞こえた。
「……こんな所におったとは。探したぞ」
フォクシールだった。
迷いなく瓶を取り出し、躊躇なくそれを掬い取る。
のたうち回るそれを、まるで珍しい標本でも扱うかのように。
瓶の中で、それはなお蠢いていた。
フォクシールはそれを見下ろし、僅かに口角を上げる。
「わざわざお前の方から来てくれるとは。きっとあれとの
相性も良いだろう。ククク」
目を細めたフォクシールの視線の先
鉄格子の向こうには
混種の少女が、牢の隅で膝を抱えて震えていた。
「今度はどこまで持ってくれるか
楽しみだ ククク」
フォクシールは舌なめずりをした。
(フォクシールめ、死んだジーンには目もくれぬ。
ゲス野郎め)
クロフォードは心の中でそう呟いた。
「ジーンの遺体を弔ってやってくれ。」
クロフォードがそう言うと
「ご実家には連絡を?」
と一人の兵士が言った。
「ああ 俺の方から伝える。」
クロフォードが返した。
「了解しました」
そう言って兵士は去っていった。
(全く、厄介事ばかり押し付けられる…)
クロフォードは檻の中の少女ジュリと
瓶を持ってニヤついているフォクシールを交互に
見て深いため息をついた。
◆
――同刻。
忌み子の村・外れ。
静かな風が、乾いた土を撫でていく。
その中に、二つの影が向かい合っていた。
「こんなすぐお前に会えるとは思わなかったぞ
仮面のセツナ」
ヴァルクスは笑みを浮かべた。
「ご足労をおかけして申し訳ありません、
ヴァルクス殿」
セツナは腕を胸の前にして一礼した。
「ルモルグ老人から……話は聞いた」
ヴァルクスが言う。
「その前に…
貴様は“流れ”を解放したそうだな」
ヴァルクスから笑みが消えた。
セツナは答えない。
ただ、目を逸らさずに立っている。
ヴァルクスはわずかに目を細めた。
「理解しているのか?」
一歩、踏み込む。
「それがどれほどの価値を持つか」
セツナは何も答えない。
「勘違いしないでくれ……略奪をしたいのではない」
低く、静かな声だった。
「我々は備えているのだ」
ふと風が止んだ。
「おっと これ以上は言えぬがな」
「それでも」
セツナが、初めて口を開く。
「人を道具にする理由にはならない」
ヴァルクスの視線が変わる。
ヴァルクスは鼻を鳴らした
「フッ……では聞こう」
「……」
「貴様はあの娘の代わりに何を差し出してくれるのだ」
「あくまで取引だと?」
セツナが返す。
「それ以外に何がある?
綺麗ごとで守れる世界はないのだ…」
セツナは黙っている。
「あんたなら、力づくで取り返せるのに
以外に甘いな」
「それでは意味がない」
ヴァルクスは小さくため息をついた
「貴様にとってあの混種の娘にどんな価値があるのだ?
そこまで肩入れする理由はなんだ?」
セツナは黙っていたが
やがて仮面に手をかけた。
◆
――帝国艦内。
ジュリは、震える手で膝を抱えていた。
さっき見たものが、頭から離れない。
人が、膨張し変形した。
中から、別の何かが出てくる。
(ここは何? お兄ちゃん……)
ジュリは物心ついた時にはあの村に居た。
彼女にとってはあの村が世界の全てだった。
優しい世界。
ジュリは自分が特別扱いされている事は
知る由も無かった。
ふと視線を落とす。
鉄格子の外の簡素な机の上に
一つの瓶が置かれている。
水が入っているだけの、何の変哲もない瓶。
……そのはずだった。
ゆらり、と。
水面が揺れる。
ジュリは息を止めた。
――動いた。
波紋が広がる。
風も振動もないのに。
次の瞬間、水が“形”を持った。
細い、指のような形になった。
それが瓶の内側から、こちらを指す。
ジュリの心臓が跳ねる。
(……なに、あれ……)
音はない。
だが、意思を持った動き…
その”水“は指で手繰り寄せるジェスチャーをした。
――来い。
そんな感覚が、直接流れ込んでくる。
ジュリは首を振る。
だが、それは止まらない。
――喉が渇いた、と言え。
——ここから出してやる。
今度はジュリの頭に直接流れ込んできた。
一瞬の沈黙。
ジュリは、唇を噛む。
——早くしろ、言う事を聞け
「……みず……」
かすれた声。
見張りの兵士が、面倒そうに振り返る。
「あ?」
「……のど、かわいた……」
舌打ちをする兵士。
だが兵士は机に歩み寄り、その瓶を手に取る。
先ほどフォクシールが置いていった事に気づいていない。
中に何が入っているのかも。
そのまま、地面に転がっていたブリキのマグに水を注ぐ。
カップの汚れで水は茶色く濁る。
ジュリの前に差し出される。
ジュリは震える手で受け取った。
水面が、わずかに揺れた。
「飲め」
兵士は無表情で言った。
ジュリはその濁った液体を飲むしかなかった。
震える手で恐る恐る口に浸ける。
そして意を決して一気に口に流し込んだ。
次の瞬間。
それは“入り込んだ”のだ。
(……っ!?)
喉を通る感触。
冷たいはずなのに、熱い。
違う。
——よくやった娘
“何か”が、動いている。
内側から。
――ついに入ったぞ この体! ククク。
声が響く。
頭の中に。
(嫌……っ 来ないで)
ジュリは目を見開く。
侵入してくる。
意識の奥へ、奥へ。
だが――
それはふいに止まった。
——なんだ……
今度は、“向こう”が戸惑う。
――なぜだ 定着できない。
――形が、保てない。
侵入者はジュリの体内で無数の触手を伸ばし
隙間に入り込もうと試みる。
ジュリの中で、何かが“流れていた”
春の風、鳥の声、色とりどりの花…
ジュリの中をそれらが一瞬覆いつくした。
――なんだ、お前は。
ジュリは答えない。
ただ、必死に耐えている。
だがそれだけではない。
——なぜ…?
——娘の体が…反発している?!
――形を保てぬ。
ジュリの中で、存在が解けていく。
「いやだ……」
ダミ声がジュリの口から発せられた。
だが、それはジュリのものではない。
侵入者の声だった。
「おい! なんだ? どうした?
マズいんじゃないか?誰か!」
ジュリの様子がおかしい事に
水を差しだした兵士は慌ててドアを飛び出していった。
そのとき。
廊下の向こうにクロフォードが立っていた。
兵士が差し出した水を飲む所からすべてを見ている。
ジュリと、見えない何かの攻防を。
数秒の沈黙。
そして――
「フフ…仮面の男が理を変える……か」
そう言って踵を返し、歩き出した。
——クッ…この娘…コアエネルギーを流せるのか…
あの、トカゲの王子と同じ…
「あなたは誰?」
侵入者はふと話しかけられ、動きを止めた。
——お前に名のる名は無い、娘
——早く我を解放せよ
「どうやるの?」
——ああ…理解できぬ
侵入者は脱力し、考えるのを止めた。




