71話 遥かな海原へ
依頼を受けて、次の日。
首都エリシオン南西部には大きな港がある。
俺たちはアヴァリス大公国行きの船を探しに港へやってきた。
潮の匂いが一気に鼻を突く。
塩辛くて生臭い海風が、髪を乱暴に揺らし、頬をぴりぴりと刺してきて海に来たのだと改めて実感した。
濡れた木材の匂いと、魚介の生臭さが混じって、港全体が「海」そのものって感じだ。
桟橋の板が湿っていて、足元が少し滑る。
波が打ち寄せるたび、低いゴォォという音が腹の底まで響いてくる。
ロープが軋む音、荷を運ぶ足音、船員の怒鳴り声が途切れず絡み合って、耳がざわつく。
遠くでカモメが鳴いて、空を切り裂くように飛んでいく。
大型の帆船が何隻も並んでいて、マストが空を突き刺すようにそびえる。
黒く塗られた船体に、海藻や貝がこびりついているのが見える。
甲板では船員がロープを引っ張り、樽を転がし、荷を積み下ろしている。
ゲームで見た帆船が、こんなにリアルに、しかも何隻も並んでるなんて……。
胸の奥で、テンションがぐんぐん上がる。
「すげぇ……」って声が、思わず漏れた。
エレナが俺の横で、くすくすと笑ってる。
「シビさん、目がキラキラしてますわ」
「だってさ、こんなの現実で見るの初めてなんだよ。船がこんなに大きくてしかも木でできてるなんてやっぱりすげえよ」
俺は興奮を抑えきれず、港の端まで歩きながら帆船を眺め回す。
船首像の彫刻が、潮風で少し色褪せてるけど、迫力は半端ない。
波が船体を揺らすたび、木のきしむ音が低く響いて、生きてるみたいだ。
潮風が顔に当たるたび、塩の味が唇に残る。
この匂い、この音、このスケール……全部が「冒険」って言葉を体で教えてくれる。
胸が、わくわくでいっぱいになる。
エレナが俺の袖を軽く引く。
「シビさん、券を売っている場所へ行きましょう?」
「あ、うん……そうだな」
俺は名残惜しそうに帆船をもう一度見上げて、
エレナと一緒に受付の方へ歩き出した。
港の喧騒が背中に押し寄せてくるけど、今はそれさえ心地よい。
「シビさん三等室でいいですよね」
エレナが券売所の前で振り返って、にこっと笑う。
その笑顔がいつも通り優しくて、でもどこか「これが当然」って雰囲気を出してる。
俺は思わず首を傾げた。
「なんで?」
「やはり安くした方がいいのではないかと」
さすが僧侶だと思う。
質素倹約っていうんだっけ。
初めての船旅で、なんでそんな貧乏くさいことを言い出すんだよ。
帆船なんて、そもそも現代人が乗るもんじゃない。
見た感じ、ガレオン船やフリゲート船っぽいとは思うけど、区別はさっぱりだ。
マストが空を突き刺すようにそびえて、帆が風に膨らんでパタパタ鳴ってる。
船体は黒く塗られてて、海藻や貝がこびりついてるのがリアルすぎる。
しかもエンジンがない。
現代でもレプリカでは帆船もあるらしいが、確か世界のルールでエンジンを付けないといけないっていうのがあったと思う。
なら本物のいい場所で乗りたいのは普通だろ。
しかもゲームでしか見たことないものが、目の前で波に揺れてるんだよな……。
テンション上がる反面、三等室の想像が頭をよぎって、ちょっと萎える。
受付の前まで行くと、販売員が慣れた口調で部屋の等級を説明し始めた。
三等室は安い。安いのはいい。
だが、安い理由が想像できすぎて嫌だった。
多分、虫が湧く。飯は最低。最悪のコンディションで十日近く揺られる。
船底に近い部屋は波の音がゴォォゴォォって響き渡って、寝返り打つたびに体が浮くような揺れ。
狭い寝台に何人も詰め込まれて、汗と吐き気と喧騒に囲まれる。
そんなの、仕事をする前に疲れ切る。
二等でも、多人数の部屋で寝るのは身の危険が大きすぎる。
知らない男たちと狭い空間で十日間。
夜中に誰かが起き上がって近づいてきたら……考えるだけで背筋が冷える。
俺はまだいい。何とかなる。
でもエレナは違う。
危険だと思う。
そんな危険を感じながら十日間も過ごすのは地獄だろう。
彼女の白い衣が、潮風に揺れて、純粋さが余計に際立つ。
そんな子を三等室や二等室に放り込むなんて、俺の神経が許さない。
俺は深呼吸して、エレナの方を向いた。
「エレナ」
俺が名前を呼ぶと、エレナの肩がぴくりと動いた。
彼女の金髪が、港の潮風に軽く揺れて、陽光を反射してきらめく。
「なんですの?」
エレナが振り返る。
いつもの穏やかな笑顔が、少しだけ固まってる。
白い衣の裾が風にふわりと舞い、彼女の頰がほんのり赤い。
「一等室が良いなと」
回りくどい説明なしに直球で要求を言ってみた。
「いくらすると思ってますの。それに贅沢はいけませんわ」
強い。ぶれない。
エレナの瞳が、俺をまっすぐ射抜く。
僧侶らしい質素倹約の信念が、声にまで滲んでる。
でも、俺はあきらめきれなくて、言葉を重ねた。
「船初めてだし。いい景色見たいし、仕事で行くのなら経費になると思うし。いろいろな人間と一緒にっていうのが嫌だから」
自分でも言い訳っぽいと思ったけど、どれも本音だった。
一番でかいのは、知らない人間と同じ部屋で寝るのが嫌ってやつだ。
嫌というか、危険を感じる。
狭い部屋で十日間、知らない男たちと……想像するだけで背筋が冷える。
エレナならなおさら。
彼女の細い肩が、そんな場所で縮こまる姿なんて見たくない。
「俺船旅楽しみたいんだけど」
背中を少し丸めて、エレナの方を見てお願いをしてみた。
普段でもエレナの方が身長が高いから、自然と上目遣いになる。
俺の銀髪が風に揺れて、視界の端でちらつく。
その瞬間だった。
なぜかエレナが、すごく顔を桜色にして戸惑っていた。
頬がぽっと赤く染まり、瞳が泳ぐ。
口が開きかけては閉じ、「えっと」「その」とか小さく呟く。
指先が衣の裾をぎゅっと握りしめて、震えが伝わってくる。
いつも堂々としてるエレナが、こんなに慌ててるのを見るのは初めてで、反対に俺の方がびっくりする。
「どうしたんだ」
俺は思わず声をかける。
エレナは歯切れが悪く、視線を逸らしたり戻したりしている。
この感じ、やばい。断る前の沈黙だ。
胸の奥が締めつけられる。
「やはりだめか?」
俺は半分諦めた。
旅で基本使う金額はエレナに一任すると言った以上、これは俺が折れる場面だ。
視線が落ちて、足元の板を見つめる。
三等室にするなら、安全を確保するための準備をしないと。
罠だの呪文だの、面倒なやつを。
頭の中で計算が始まる。
そう考えていた時だった。
「仕方ありませんわね。シビさんがそんなに楽しみにしているんだったら一等室にいたしますか」
エレナの声が、急に明るくなる。
俺は反射みたいに顔を上げて、エレナの手を持った。
彼女の指先が少し冷たくて、でも温かさがじんわり伝わってくる。
「本当か」
これで面倒な罠や呪文をかけずに済む。めっちゃ助かる。
胸の奥が、ぱっと軽くなった。
エレナの頬はまだ桜色で、瞳が泳ぎながらも、俺を見て微笑んでいる。
「あ、はい。それにしても二人で金貨100枚ですわ。シビさんと旅をすると金銭感覚が狂いそうですわ」
エレナの声が少し震えていて、頬がほんのり桜色に染まってる。
彼女の指が衣の裾をぎゅっと握りしめて、布が小さく皺になる。
俺の視線に気づいたのか、慌てて目を逸らして、髪を耳にかける仕草をする。
その仕草が妙に可愛くて、俺の胸がドキッとする。
「でもエレナ、最初にショッピングの場所紹介してくれた場所、あれは高級店だろ」
「魔法の品々ですのでそうですが、でもこれとは違いますわ」
違うのか?同じだろう?
どういう区別なんだろう。
こういうのは考えても無駄だ。
俺は頭を振って、思考を振り払った。
許可をもらえた。それだけで十分だ。
胸の奥で、明るいものが広がる。
船旅が、ただの移動じゃなくて楽しみに変わった瞬間だった。
「エレナありがとう」
俺はエレナの顔を見て、今できる笑顔で感謝を述べた。
銀髪が風に揺れて、視界の端でちらつく。
俺の笑顔が、彼女に届いた瞬間――。
するとなぜか、彼女はもじもじしだした。
頬の赤みがさらに濃くなって、瞳が泳ぐ。
指先が衣の裾をぎゅっと握りしめ、布が小さく震える。
唇が開きかけては閉じ、「えっと……」と小さく呟く。
今日のエレナは少しおかしいな?
いや、おかしいというより、調子がいつもと違う。
目を合わせるのが遅いし、言葉も切れが鈍い。
彼女の息が少し乱れてるのが、近くにいるからわかる。
金髪の先が、微かに震えてる。
これはあれだ。
エレナも実は船というのが楽しみなのかもしれないな。
だからそれを悟られないようにしているのかも。
だったら俺はそれを気づかずにいてやるのが大人の立場というやつだな。
出航は今日を入れて五日後になった。
数時間のフェリーには乗ったことがある。
波の揺れに慣れて、甲板で風に吹かれながら景色を楽しんだ記憶はある。
でも、数日も過ぎるような大海原を渡る船旅は初めてだ。
十日近くも海の上。
夜は真っ暗な水面と星空だけ。
昼は果てしない青。
そんな未知の時間が、俺の胸をざわつかせてくる。
ワクワクと、不安が半々で混ざってる感じだ。
港の喧騒の中で、帆船のマストを見上げる。
黒く塗られた船体が、潮風に揺れて微かに軋む。
マストが空を突き刺すようにそびえ、帆が風を孕んでパタパタと音を立てる。
船首像の彫刻が、波しぶきで濡れて光ってる。
遠くで船員がロープを引っ張る声、荷を積む音、波が桟橋に打ち寄せる低い響きが、ずっと耳に残る。
潮の匂いと濡れた木材の匂いが、鼻腔を満たしてくる。
海風が頬を塩辛く撫で、髪を乱暴に揺らす。
あの先に、知らない国がある。
アヴァリス大公国 別名魔法大国アヴァリス。
どんな景色が待ってるのか、どんな魔法が溢れてるのか、どんな出会いがあるのか……。
もちろん俺を何で呼んだのかとか、本当にエレナを連れて行っても大丈夫なのかとか。
俺の周囲を取り囲む不安がないとは嘘になるが、やはり。
知らない場所を思うだけで、胸の奥が落ち着かなくなるくらい、すごく楽しみだった。
心臓が少し速くなって、息が浅くなる。
俺は無意識に拳を握りしめて、帆船の先を見上げた。
この旅が、俺の新しい始まりになる気がした。
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