47話 再会
扉を開けた瞬間、暖かい空気と、煮込みの匂いが顔にぶつかった。薪がぱちぱち鳴ってる。俺の喉の奥に残ってた鉄の味が、やっと現実に戻ってくる。
「ただいま」
声が思ったより掠れてて、自分で笑いそうになった。
窓のそば。灯りの近くで、思った通り、エレナが祈ってた。
錫杖を胸に抱えて、唇だけが小さく動いてる。俺の声で、それが止まる。
止まったまま、エレナの肩が一回だけ跳ねた。
次の瞬間、椅子が鳴った。床板が軋む。エレナが振り向いた。目が合った途端、安心が先に来て、でもそれだけじゃ終わらないって顔をしてた。
「……シビさん」
名前を呼ばれた瞬間、胸がきゅっとなった。心配させたのが一発で分かった。しかも結局、一人で突っ走った。喉の奥が苦くなる。やっちまったな。
エレナは駆けてきた。勢いはあるのに、最後の一歩だけ急に弱くなる。抱きつくか迷って、迷ったまま俺の腕を掴む。指先が小さく震えてた。
「……よかった……ほんとに……」
言いかけて、息が詰まって、言葉が続かない。エレナの瞳が赤い。泣いてたのがすぐわかった。
俺は軽く笑ってみせた。「そんな顔するな。ちゃんと帰ってきた」それで誤魔化せると思ったけど、無理だった。
エレナの視線が、俺の肩を見た。次に腕。次に頬。最後に、俺の歩き方。安心の顔が、怒りの顔に変わるまで一秒もかからなかった。
「……どこが、ちゃんとですか。立ってるだけで精一杯のくせに」
声が小さいのに、刺さる。
「自然回復は入れてるから……たぶん、大丈夫だ」
たぶん、が喉に引っかかった。今のエレナの顔の前で、強がりを通す自信がない。
イヴァンが暖炉の近くで体を起こした。まだ顔色は悪い。でも目を開けて、俺を見て、短くうなずいた。
「無事戻ったか。助かった」
それだけで空気が締まった。俺の帰還が、ただの再会じゃなくて、次の一手につながるって思い出させられる。
エレナは俺の腕を掴んだまま、錫杖を構えた。
「まずは、座ってください。今すぐです」
「いや、まだ動ける」
「動けるとかじゃなくて、治します。黙って」
優しい人の言い方じゃない。聖女の言い方じゃなくて、怒ってる女の言い方だった。俺はそれが、変に嬉しかった。心配してくれてるってことだから。
俺は渋々、椅子に腰を落とした。背中が木に触れた瞬間、疲れがどっと来て、息が漏れる。
エレナが低い声で詠唱した。「聖癒光」
柔らかな黄金の光が、俺の肩と腕を包む。痛みが薄くなる。血の熱が引いていく。やっと、体が自分のものに戻ってくる感じがした。
俺は目を閉じて、短く言った。
「……助かった」
エレナは返事をしなかった。代わりに、治癒の光が少し強くなった。怒りの力で回復量増やしてないか、それ。
僧侶の回復呪文って感情で振れ幅あるんだよな。口にしたら怒られそうで黙った。
治癒が落ち着いたところで、俺は喉を鳴らした。
「バステルに戻る。ここに長居はできない」
イヴァンが眉を寄せる。「瞬間移動か……だが、あれは基本、個人呪文だろう?」
「二人ならテレポートで済む。けど三人だ。定員オーバーだから、星移門を使う」
「星移門?初めて聞くな」
「まあな。便利そうに見えて、意外と不便なんだ。覚えてる術者も少ないと思う。情報部の魔術師なら知ってるかもしれないが」
イヴァンが肩をすくめる。「制約が多いって顔してるな」
「多い。まず時間がかかる。門を作るスペースもいる。行き先は、頭の中で細部までイメージできる場所限定。しかも維持してる間、魔力をずっと吸われる。使い勝手は正直悪い」
「大呪文だな」
「一応な」
エレナが俺を見る。「ここで使うのですか?」
「ここじゃ狭い。外でやる」
俺は立ち上がった。足が少しふらつく。エレナが反射的に支えようとして、途中で手を止めた。俺の意地に気づいたんだろう。かわりに、俺の背中に手のひらを軽く当てた。支えるんじゃなく、いるって合図みたいに。
俺たちはロッジの外に出た。夜明け前の空気が冷たい。森の匂いと、遠くの荒れ地の乾いた匂いが混ざってる。風が弱くて、静かだった。
俺はバッグの奥から青い小瓶を取り出した。栓を抜くと、薬草と金属みたいな匂いが鼻を刺す。それを一息で飲み干した。
昔のCMじゃないけど、確かにファイトって言いたくなる気持ちは分かる。
空っぽだったはずの身体の内側に、もう一度、魔力の芯が戻ってくる。
自然回復みたいに待つ感じじゃない。血の流れと一緒に、急速に巡り始める。
助かった。これがなきゃ、門なんて開けられない。
この世界に来てからいつも思うんだけど、RPGみたいなゲームで戦闘中にポーションってよく飲めるよな。
飲む瞬間なんて隙だらけだし、攻撃が来たら回避でこぼれるし、そもそも飲み込めないだろって。
今さら全く意味のないことを考えてしまった。
エレナが小さく息を吸う。「結界を一枚だけ張りますわ。もし敵が来たとしても時間稼ぎにはなりますわ」
「頼む」
エレナは錫杖を地面に立てた。「聖なる障壁」
薄い膜が、俺たちの周りに落ちる。音が少し遠くなる。空気が、ひとつの部屋みたいに閉じた。
俺は深呼吸した。魔力の流れを整える。エルシードは派手だ。時間もかかる。だからこそ、やるなら手早く、迷いなく。
「星の紡ぐ糸よ、空間の裂け目を穿て!悠久の門、エルシードの名の下に開かん!光と影の狭間、我を導き、瞬きの彼方へ星移門」
言葉とともに、周囲の空気が微かに震え、足元から淡い銀青色の光の粒子が無数に浮かび上がる。
それはまるで夜空から零れ落ちた星屑のようで、ゆっくりと回転しながら上昇していく。粒子たちは次第に集まり、星々の門が形作られた。
門の向こうに、石畳の色が見えた。あの宿の裏手の路地。俺が一度、買い出しで通った場所だ。自分の足で行った。条件は満たしてる。
イヴァンは門を見上げたまま固まって、低く息を吐いていた。
「……こんな転移、見たことがない」
「行くぞ!」
俺は門に手を伸ばして、先に踏み込んだ。
イヴァンが一歩遅れる。門の枠を一度だけ見回してから、慎重に足を出した。
見知らぬ呪文に身を預けるのは、そりゃ勇気がいるんだろう。
一応命の恩人なんだから、信用してほしいんだけどな。
視界が一瞬、星屑で埋まる。耳が詰まる。胃がひっくり返るみたいな感覚。
次の瞬間、冷たい石畳の匂いと、街の空気が戻ってきた。
バステルの夜明け前。遠くでパンを焼く匂いがした。どこかの店が準備を始めてる。人の足音が、まだまばらだ。
エレナとイヴァンが門から出てくる。エレナは少しよろけて、でもすぐに姿勢を立て直した。
イヴァンは口元を押さえて、吐きそうな顔をして、でも耐えた。
俺は小さく笑う。「慣れると楽なんだけどな」
「慣れたくない種類の揺れですわ……」
エレナがぼやいて、それでも俺を見て、少しだけ安心した顔をした。
星の門は、役目を終えたみたいに粒子へ崩れた。銀青の光が風にほどけて、路地の闇に吸い込まれる。残ったのは、いつものこの街の空気だけ。
ロッジの時より、呼吸が落ち着いてる。湿った石と、早朝の町のにおいを感じられてやっと俺も気が少し抜けた。
早朝のバステルは静かで、遠くのどこかで水の落ちる音だけがする。
俺たちは路地を抜けて、宿の自分たちの部屋に戻った。
扉を閉める音がやけに大きく聞こえて、外の冷えた空気が切り離される。
燭台に火を入れて、暖炉に薪をくべた。ぱち、と弾ける音のあと、じわっと熱が戻ってくる。
柔らかな灯りが壁の飾りと絨毯を照らして、足音はふかふかに吸われた。静かすぎて、耳が逆に冴える。
甘いハーブの香りと、広すぎる空間が迎えてきた。ロイヤルスイート。相変わらず悪ふざけみたいな豪華さだ。
俺は扉を閉めて、鍵をかけた。肩の力が、ほんの少しだけ落ちた。
「……貴族の私室って感じだな」
イヴァンが部屋を見回して、素直に息を吐いた。磨かれた床に灯りが揺れて、置かれた家具まで妙に品がいい。
「何が起きたのか知らんが、宿代を多めに出したらこうなった」
俺は自分の口で言って、ちょっとだけ嫌な予感が濃くなる。
「多め、の範囲じゃありませんわ」
エレナがきっぱり言った。
「ひと月で金貨五百枚ですもの」
「……おい。本気か?」
イヴァンの声が一段低くなる。
「本気だ。だからこうして、扉を閉めて落ち着いて話ができる。先行投資ってやつだな」
言い切ってみたけど、言えば言うほど自分で苦しくなる。
エレナはそれ以上そこを突っ込まず、部屋の片隅にある小さなキッチンへ向かった。
火を起こして湯を沸かし、茶葉を落とす。湯気が立って、甘い香りが少し濃くなる。
白いカップに紅茶を注いで、静かにこちらへ運んできた。指先の動きが丁寧で、やっと呼吸が戻ってきた気がした。
「作戦会議したいのは山々だが、まず休息をしたい」
俺がそう言うと、二人とも黙って頷いた。
「俺はどこで寝ればいい?」
イヴァンが当然みたいに言う。
「俺のベッドで寝ればいいだろ」
「じゃあお前はエレナと一緒に寝るのか?」
俺は首を振った。
「俺はそこのソファで寝る。客にソファは使わせられん」
「シビさん!」
エレナが非難的な声を上げた。それなら同じベッドで寝ればいいみたいな感じだ。あんな生殺しみたいな体験はもう2度としたくなかった。
「エレナの名誉のため理由は言わない。けど一緒は無しだ」
ご丁寧に拒否させてもらったら、何かに気づいたようでイヴァンが眉を寄せて近づいてきた。
「さすがに俺も気にする。女のベッドで一人は落ち着かん。エレナと同じじゃ駄目か?」
「ああ。寝相が悪くてな。迷惑をかける」
「なら俺がこの宿で部屋を借りる」
エレナに聞こえないように小声で相談をして越智応納得はした。
さすがに、イヴァンなら不覚は取らないだろう。
「二、三日休んでから炎の民のアジトへ行く。それでいいな」
二人の返事を聞いて、俺はようやく肩の力を抜いた。
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