45.5話 心配するエレナ エレナ視点です。
私とイヴァンさんは、魔物の街の外周を抜け、森林の方へと走り続けた。
夜の空気は冷たく、乾いた土埃が靴に絡みついてくる。
足元は岩と砂利が混じった荒れた大地で、一歩ごとに小さな音が響く。
背後から魔物たちの怒号が遠く聞こえ、心臓が喉元まで跳ね上がるような恐怖が体を駆り立てる。
金髪の三つ編みが風に乱れ、聖衣の裾がばたついていた。シビさんが撤退できるように、少しでも遠くへ。少しでも早く。焦る心を抑えながら走っていた。
息が上がり、肺が熱くて、喉がからからで、吸うたびに痛い。汗が額を伝って目に入り、視界がにじんできた。足元の砂利が滑って、踏み外しそうになってきた。
ここでは止まれない。今もまだ、シビさんが、あそこで足止めをしてくれてる。私達が一歩でも遅れたら、そのぶんだけ、シビさんが危なくなってしまう。
あの時、私が……見なかったことにできていれば。そう思うのに、胸の奥がすぐに拒んだ。母と子供を、無視なんてできなかった。それでも、手を振り払えなかった。
街の門を離れてから、どれくらい時間が経っただろう。数十分は確実に経っている。私たちは言葉少なに、ただひたすらに走り続けた。
イヴァンさんの足取りは重く、傷は癒えたはずなのに、数日間の捕虜生活の疲労が体を蝕んでいるのかもしれない。彼の息が荒く、やはり動きが鈍いように思えた。それでも私は、自分の心の不安を押し殺して進んでいた。
シビさん……無事でいてください。
祈るような思いで、前を見据える。シビさんは強い。あの人がそんな簡単に負けるはずがない。きっと、すぐに追いついてくる。
ふと、私は足を緩めた。背後、魔物の街の方から、凄い音がしたからだ。
ゴゴゴゴ……!!地響きのような低く重い音が、夜の闇を震わせた。地面がわずかに振動し、遠くの空に土煙が立ち上るのが見えた。
それは、シビさんが集団戦でよく使う呪文の効果。
地面から鋭い岩の槍が複数突き出る、あの攻撃の痕跡だ。
私の心臓が、凍りついたように止まった。土陣鋼槍……?声には出さず、心の中で呟いた。
あの振動、あの土煙。間違いない。シビさんが、あの呪文を使っている。あれからかなり時間は立っているのにまだ戦っているのですか?
そう思った直後、ドオオオオン!!今度は爆発の音が響き、炎の閃光が夜空を赤く染めた。遠いはずなのに、遅れて熱風が届き、私の金髪を乱暴に揺らした。街の方角に、爆発音が聞こえ、鍛冶の様子が見えてる。
「あれは……火炎流ですわ!シビさんの呪文です!!」
イヴァンさんも立ち止まり、驚いた顔で振り返る。
「すげえ爆発だ……あいつ、まだ戦ってるのか?」
「ええ……勝っていますわ!あれだけ暴れられるなら……きっと、抜ける隙も作れているはず……!」
喜びが胸に広がって、涙がこぼれそうになる。人数差なんて関係ない。あの人なら、砂煙と爆炎で目を奪って、するりと闇に消え街から脱出してくれますわ。私は何度も頷いた。
さらに時間が経ち、もうすぐ森が見える位置まで来た時だった。突然、空が暗くなり、遠くの街の上空に雷雲が急速に集まるのが見えた。閃光が走り、轟音が遅れて届く。
「あれは……雷鳴の裁きですわ!」
その瞬間、胸の奥が、すうっと冷たくなった。終わった?本当に?でも、雷が落ちた場所は、まだ街の方角だ。
私、てっきりもう脱出できていると思っていた。なのに、なぜ……まだ、あの位置に。シビさん、人は無限には動けませんわ。それとも、抜けられない状況なんですの……?
「終わったみたいだな。あいつ……本当に人間か?」
イヴァンさんが感心したように呟く。それでも私は今までシビさんと一緒に旅をして知っている。明らかにキャバオーバーしてる。無事でいてください。でも、なぜか胸の奥に小さな不安が残る。
ガルドさんのロッジ近くに着いた時だった。私のヘアピンが、ぱきん、と小さな音を立てて割れた。
私は思わず立ち止まった。金髪を留めていた小さなピンクのヘアピンが、二つに割れて地面に落ちる。拾い上げた瞬間、指先が震えた。胸の奥に、冷たいものがすっと広がっていく。
「どうした?」
イヴァンさんが立ち止まり、私を見た。
「ヘアピンが割れましたわ……」
「劣化だろう。長い旅で、壊れたんだろ」
イヴァンさんが肩をすくめる。
「これは……シビさんと首都で初めて買い物したときに、町などを案内したときのお礼でいただいたものですわ。もしかして……何かあったのかも」
私の声が、自分でもわかるくらい震えていた。さっきまで抱えていた不安が、急に形を持って迫ってくる。ただの偶然。そう言い聞かせたいのに、割れたヘアピンが手のひらで冷たくて、否定できない。
シビさんに、何かあったのでは。いつもあの呪文をかけておけばよかった。そうしたら、すぐに助けに行けるのに。
私は振り返り、街の方へ走り出そうとした。
「戻りますわ!シビさんの所に!」
イヴァンさんが慌てて私の腕を掴む。
「離してくださいませ!」
「戻ってどうする」
「もちろんシビさんの所に!」
「今さら行っても間に合わねえだろ。あいつは強い。あの雷が落ちたってことは、勝った証拠だ。信じるしかねえだろうが」
涙が溢れてきて、止まらなかった。私は唇を噛み、声が震えないように必死に抑える。
「シビさん……無事でいてくださいまし」
イヴァンさんに引きずられるように、私は歩いた。
私たちはガルドさんのロッジに着き、扉を閉めて待つことにした。ロッジの中は静かで、ストーブの火がぱちぱちと音を立てるだけ。私は窓から街の方を見つめ、祈りを捧げ続ける。
シビさん……どうか、無事でいてくださいまし。
慈悲なる女神アウリス様、シビさんをお守りくださいませ。
夜が深まる中、私たちはただ、シビさんの帰りを待った。
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