16話 エレナの過去と僧侶になった理由
俺たちは階段から少し離れた場所に寝袋を二つ広げて、間にランタンを一つ置いた。
揺れる灯りが床の模様と高い天井を、ぼんやり照らしている。
「俺も質問していいか」
寝床に潜り込んでから、俺は隣のエレナに声をかけた。
「どうなさいましたの?」
「なぜ僧侶になったんだ? しかも外回りなんて?」
「そうですわね……あまり面白いお話ではありませんが、寝る前のお話程度に思ってくださいます?」
「俺は子どもか」
少しだけ笑い合ってから、エレナはぽつりぽつりと語り始めた。
「僧侶になったのは簡単な事情ですわ」
「アウリス神を信仰してたからだろ?」
「わたくし、アウリス様の教会の前に捨てられた子どもなんですの」
いきなり重い話が出てきて、返事が少し遅れた。
「気にしないでください。わたくしの両親にも、きっと何か事情があったのだと思いますの。育ててもらったからアウリス様の神官になった、というだけでもありませんわ。勉強していくうちに、信じてみたいと思うようになったんです」
「信じる? まあ、信仰だからそうなんだけどさ」
「幼いころのわたくし、恥ずかしいのですがかなりの泣き虫でしたの。でも、アウリス様のお話の本を読むと、なんだか落ち着くといいますか……そばで見守ってもらっているような気がしたんです」
そんなの当たり前だと俺は思った。
物心つく前からそういう教えを浴びてたら、無意識にそう考えるようになるだろう。
「うふふ、シビさん。今そんなの当たり前だろって思いませんでした?」
「あ……えっと……」
「教会で育てられたら、教会のお手伝いをするのは当然ですわ。でも、僧侶になる人はそこまで多くありませんの。ほかの神様のところは分かりませんけれど、アウリス様の教会で育てられた子には、ちゃんと選ぶ自由がありますのよ。育ててもらった恩を寄付という形で返す人も多いですけれどね」
「わりい、別に偏見とか見下してるつもりはないんだ」
めちゃくちゃバツが悪い。何言っても言い訳にしかならない気がする。
「シビさんが本当に聞きたいのは、僧侶になった経歴ではなくて。なぜ巡回加護者になったのか、でしょう?」
「よく分かるな」
「シビさんみたいな方は、宗教そのものは信じていないかもしれませんが、信仰するのは自由。ただし押しつけるな”って感じですわよね」
「まあな。神がいるかどうかは置いといて、心のよりどころは人それぞれだしな」
「前回お伝えした通り、旅で知る景色や出会う人が好き、というのも本当ですわよ」
それは疑ってはいない。エレナが嘘をつくとは思ってないし、そんなことで嘘をついても意味がないからだ。
「わたくしが巡回加護者に興味を持ったのは、街を歩いていた時でしたわ。巡礼者の人たちが来ていて、その中のお一人に話しかけられたんです。“この間、巡回加護者の僧侶さんに助けられて、本当にありがとうございました”って。詳しく聞くと、冒険者に頼んでモンスターの退治はしたんですが、その数日後に、知恵のあるモンスターだったんでしょうね、毒を井戸に投げ込んだらしくて」
生活用の井戸に毒を入れられたのなら、大惨事じゃねえか。ヤバいだろ。
「はい、とても危険な状況でしたわ。その冒険者さんたちも、その飲み水を飲んでしまって倒れていたところに、巡回加護者がやってきたんです。水を清める呪文と、解毒の呪文。それから薬草などを置いていってくれたらしいのです」
一大事にならなくてよかったと思う。下手したら廃村レベルになってたはずだ。
「わたくし、恥ずかしながら、それまで巡回加護者って……言い方は悪いのですけど、アウリス様を信仰しているけれど教会にはなじめない人がやるお仕事だと思ってたんですの」
多分そういう側面もあるだろうな。どう考えても教会の中っていうのは息が詰まりそうだし、大変なことはあるかもしれないけど、出世コースからは外れる代わりに、精神衛生的にはすごくいいと思う。
「うふふ、そうですわね。確かに開放感はあるかもしれませんわね」
なんでさっきから、心を読まれてるんだ?
「簡単ですわよ。シビさんの顔が、今、百面相みたいにいろいろ変わっているので、読みやすいだけですわ」
俺は自分の顔が熱くなっていくのが分かる。めっちゃ体温が上がって、寝袋の中が暑いぐらいだ。
「それから、いろいろ調べてみたんですの。時々、旅の僧侶たちが戻ってこないのです。魔物に襲われたとか、盗賊に遭ったとか、そういうのも多かったんです」
僧侶だけだったらカモだしなぁ。
「それでも、彼らは外へ出るのをやめませんでしたわ。“外には、待っている人がいるから”って」
「危ないのに、か?」
「危ないから、ですわね」
エレナははっきりと言った。
「神殿で祈ることも、もちろん大切ですわ。でも、誰かが怪我をしたり、病気になったりする場所は、たいてい神殿の外ですもの。祈りが届くより先に、誰かの手が届いたほうがいい時もある……そのことを、外回りの僧侶たちが教えてくれましたの」
「それで、自分も行きたいって言ったのか」
「はい。“優秀なのだから、外で危険な真似をする必要はない”と、何度も止められましたわ。ありがたい言葉ではありますけれど……それでも、わたくし、どうしても納得できませんでしたの」
エレナの指先が、毛布の端をいじっているのが分かる。こんな暗い中でも、落ち着かないときの癖って伝わってくる。
「それで、ある日、少しだけ駄々をこねましたわ。“わたくしが外へ行かないなら、神殿も出ません”って」
「それ、普通は順番逆じゃないか?」
「ふふ、自分でもそう思いますわ」
わざとらしく肩をすくめる気配がする。たぶん本当にそうしたんだろう。
「結局、折れてくださったのは、わたくしの師にあたる方でした。“危険な場所に行くなら、逃げ方も覚えなさい。生きて戻らないと、助けた人が悲しむから”と。あの方の言葉は、今でも宝物ですわ」
「なるほどな、だから補助とか防御呪文が得意なのか?」
「それもありますわ」
「呪文の手際がめちゃくちゃいいからな」
「それを言ったらシビさんもじゃないですか?」
「俺は魔術師だからな」
「答えになってませんわ」
「魔法は手段なんだ。どれだけすごい破壊呪文覚えていたとしても、使う場面じゃなければ意味がないだろ」
「そうですわね」
「どれだけレベルが低い魔術師でも、場面に合わせて魔法を使えるのなら、そいつは一流の魔術師だと俺は思ってる。エレナもそれに近いよな」
「わたくしは魔術師ではないですわ」
「本当に必要な時に呪文を使ってる感じがする」
「そうですわね。もちろんこのようなお仕事の時は魔法は使いますが、普段は必要以上に使用いたしませんわね」
「なぜだ。理由はあるのか?」
「魔法は便利ですわ。わたくしはアウリス様のお力を借りて使用してますので私利私欲に使いたくないのと、それに慣れてしまうと一般の人との感覚がずれる可能性がありますから」
「なるほどな」
「外回りを選んだ一番の理由は、きっとわたくしが、誰かの手遅れを少しでも減らしたかったからだと思いますわ。間に合わなかった人を、何度も見てきましたから」
一瞬だけ、言葉が途切れた。暗闇の中で、エレナがどんな顔をしているのか、想像するしかない。
「重くないか?」
俺がそう言うと、エレナは小さく首を振る気配を見せた。
「いいえ。重いものを、少しずつ分けてもらっているだけですわ。わたくし一人で全部背負うわけではありませんもの」
「……そういう考え方、俺はあんまり得意じゃないな」
人の人生を背負う感じなんて、俺は嫌いだ。そんなの絶対に潰れてしまう。人をひとり背負うのでさえ大変だというのに、こいつはそう言いながら全部背負うんだろうな。
「シビさんって、自分で全部抱え込もうとしてしまいますよね」
「その代わり人様の荷物は背負わないしな」
「そうでしょうか?」
「何が言いたい?」
図星を言われてなんかむかつく。
「いいえ、少し言い過ぎましたわ」
エレナが笑う。その笑い声が、さっきまでより近く感じた。気づけば、俺も体の力が抜けている。
「……それで、シビさん」
「あん?」
「わたくしが外回りの僧侶になった理由の最後に、ひとつだけありましたわ」
エレナは小さく息を吸った。
「旅をしている誰かのそばで、祈り続けたいと思ったからですわ。今までは分からないままでしたけれど……今は、少しだけ分かる気がいたします」
「まるで謎かけだな。魔術師だったら、いい魔術師になってたかもな。人の人生まで背負わないですむのにな」
少し心配になって言ってみた。この人のためだと思ったら、たぶん命かけるタイプだしな。大丈夫か。
「そうですわね。これがシビさんの質問の答えですが、よろしかったですか?」
「あぁ、俺はほとんど答えなかったのに、いろいろ話してくれてありがとうな」
「隠して困るものはありませんので。そろそろ、ゆっくり休んだほうがいいですわ」
「そうだな。“明日”って言えばいいのか分からないが、ゆっくり休むか」
「そうですわね。おやすみなさい」
「おやすみ」
外のかすかな風の音だけが聞こえる。暗闇の中で目を閉じると、さっきまでより、少しだけ眠りやすそうな気がした。
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