14話 地下迷宮2
ダブりが見つかったので書き直しました。
ごめんなさい
階段を下りきったところで、靴裏が石の床を舐めた。 乾いているのに、指でこすると白い粉がつく。壁は粗く積んだ石の目地に細い金属線が埋め込まれていて、その線を伝う淡い光が、部屋全体を夜明け前みたいにぼんやり照らしていた。
行き止まりだ。 横長の小さな部屋で、正面の壁は一枚の岩みたいに滑らか。その手前、ちょうど中央に丸い台座がひとつ据えられている。
台座の上には二つ、物があった。 片方は灰色の石碑。古い文字が、上から下へみっちり刻まれている。 もう片方は、その横に寝かせるように置かれた薄い板だ。石でも木でもなく、金属とも少し違う。縁だけが鈍く光っていて、表面は不自然なくらいなめらかだった。
ここで行き止まり、ってことは、どこかに出口の仕掛けがある。 でも何かを間違えたら、扉が閉じきったまま二度と開かない、なんてオチも普通にありそうだ。 背中のほうの暗闇を振り返る。さっき通ってきた通路の気配は静かだが、完全に安全って保証はない。
「……やるしかないか」
小さく息を吐いて、俺は剣の柄から手を離し、まず石碑に近づいた。
一番上のあたりに、見覚えのある線がいくつか混ざっていた。 俺が本で覚えた古代魔導語に近い。でも、そのままじゃない。途中から急に書き方が変わる。 すっと読めるところと、まったく別の文字にしか見えないところが、同じ行の中でごちゃごちゃに並んでいた。
隣に立ったエレナが、石碑の下の方を細めた目で見上げる。
「下の段……はっきり読めるわけではありませんけれど、神殿で見た古い神聖語の文字に、少し形が似ていますわ。このあたりは、“開く”とか“導く”に近い祈りで使う字の、ずっと前の形かもしれませんの」
「つまり、上は古代魔導語の親戚みたいな書き方で、下は神聖語の親戚。どっちも、今俺たちが使ってる言葉より、だいぶ古いってことか」
口に出してみても、状況が楽になるわけじゃない。むしろ「ちゃんと知ってる奴なんて、もうほとんど残ってないんだろうな」という現実が、じわっと重くなる。
読み取れるところだけ、島みたいに浮き上がる。 俺は上の方から、「光」「門」「影」「鍵」っぽい形をなんとか拾い、エレナは下の方から、「開く」「封じる」「導く」に近い形を、いくつか指さしていった。
全部を読むのは無理だ。でも、完全に手がかりゼロってわけでもない。
「いったん、読めたと思えるやつだけ並べるか」
床の粉っぽいところにしゃがみ込み、指先で線を引く。 俺は「光/門/影/鍵」を書き、エレナがその横に「開く/封じる/導く」を足していった。
「封印の文っぽいのは、このあたりですわね。“門を封じ”“開くことを禁じる”……そんな響きに近い気がしますの」
「ってことは、逆をやれって話だろ。“門を開く”“鍵を外す”側を選べってことか」
素直に考えれば、そうなる。ただ、それがこの石碑の意図と同じとは限らない。 もし違う意味だったら。もし“開く”と思っていた字が、実は別の何かで、「開けてはいけない場所」の封印だったら。
舐めるような冷たい汗が、背中を伝う。 敵にしろ、罠にしろ何とかは出来る。今目の前にあるのは、見えない相手との、言葉遊びみたいな殴り合いだ。
「……とりあえず、板のほうも見てみるか」
俺は石碑から目を離し、台座の上の黒い板に視線を移した。 表面は静かで、何も映っていない。指先をそっと近づけると、冷たい水に触れたみたいな感触が皮膚を走り、中央に細い横長の枠がひとつ、淡く浮かび上がる。その下に、石碑の文字を崩したみたいな線のかたまりが、いくつかゆらゆらと揺れていた。
「……文字を入れろってことか。親切なんだか、不親切なんだか」
「間違えた時にどうなるか、書いてくれていないのが一番の問題ですわね……」
その一言で、喉の奥がきゅっと詰まる。 そうだ。やり直せるかどうかも、本当はわからない。間違えた瞬間に、扉が完全に閉まってしまう可能性だってある。
石碑と板を、何度も見比べる。線の太さ、曲がる向き、端の払い。上段の「光」に近い形が、板の中にもかろうじてひとつ見つかった。
「……たぶん、これが“光”だな。たぶん、だけど」
「わたくしも、そう見えますわ。完全に同じではありませんけれど」
俺は枠の中に指を滑らせ、石碑の「光」をなぞるつもりで、板の上の線を一本ずつ拾っていった。 線を一つでも外すと、枠の光がくぐもった色に濁って、跡形もなく消える。やり直しだ。
一回、二回、三回。 息を詰めてなぞって、失敗して、またやり直す。 そのたびに、胸の奥がびくっと縮む。壁が動く気配はない。それでも、「次で何かが起こるかもしれない」という予感だけは、ずっと首筋にまとわりついて離れない。
指先がじんじんしびれてきた頃、ようやく「光」に近い形が枠の中に残ってくれた。
「……一文字目、たぶん通った」
声に出してみても、安心にはつながらない。ここで油断して笑っていたら、その瞬間に石が閉まる――そんな嫌な想像が勝手に浮かぶ。
「次は“門”か“影”ですわね。意味としては“門”が自然に思えますけれど……」
「素直に行って、罠ってパターンもあるからな」
そうぼやきながら、俺はもう一度石碑に顔を寄せた。 同じ「門」に見える形が、少しずつ違う線でいくつか刻まれている。右肩の角が強いもの、左に傾いたもの。さっきは気にしなかった、上下の並び方に目をやる。上の「門」のすぐ下に、「開く」に近い線が刻まれている場所があった。
「エレナ。この“門”と“開く”、祈りの文で一緒に使うことって、あったか?」
「……ありますわ。“門を開き給え”という古い祈りで、似た並びを見たことがありますの。ただ、まったく同じとは言い切れません」
「まあ、ここまで来たら、当てずっぽうよりマシだろ」
俺はさっきとは別の「門」を選び、枠の隣にゆっくりとなぞり込んだ。 今度は光が消えずに残る。二文字目も、通ったらしい。
三つ目は「開く」だ。ここはエレナのほうが、まだマシな目を持っている。 怪しい線の組み合わせをいくつか試しながら、「この形が一番“開く”に近いと思います」と言われたものを選んでいく。失敗するたびに枠の光が消え、そのたびに心臓が一拍、余計に強く打った。
三つ目まで入ったところで、一度深く息を吐く。 最後は「鍵」だ。これが外れたら、また最初からやり直しになるかもしれない。あるいは、本当に最初からやり直せるのかどうかも怪しい。
「鍵……鍵、ね」
石碑の中で「鍵」に見える形は一つだけだ。 それでも、綴りを間違えれば別の意味になる可能性はある。俺は慎重に線を拾い、四つ目の位置にゆっくりとなぞり込んだ。
指先が離れた瞬間、枠の中の四つの文字が同時に強く光る。 細い光の筋が枠の外へあふれ、板の縁を走り、台座の側面に沿って流れていく。床に埋め込まれた金属線へ、さらに壁の線へ。
低い音がした。石がこすれ合う、腹の底に響く音だ。 思わず身構える。剣の柄を握り、いつでも動けるように足に力を込める。もしこれで天井が落ちてきたら、避ける暇もないかもしれない。
正面の岩のような壁の中央に、細い亀裂が一本走る。 その亀裂がじわじわと広がり、壁が左右に引きずられるように動き出した。粉がぱらぱらと落ち、隙間から冷たい風が流れ込んでくる。
崩れ落ちてくる気配は、ない。代わりに、細い通路が一つ、口を開けていた。
「……どうやら、正解だったらしいな」
息を吐いてみて、ようやく肺にちゃんと空気が入っていることに気づく。知らないうちに、ずっと呼吸を浅くしていたらしい。 隣でエレナも、胸に手を当てて小さく息を整えていた。
「外れなら外れで、もっとわかりやすくしてほしいですわ……」
「同感だ。二度目があるかどうか、正直賭けたくなかった」
開いた隙間の向こうは、また細い通路だ。淡い光が奥まで伸びていて、その先にもまだ続きがありそうだった。 剣の柄を握り直す。体の奥に残っている疲れは、戦いの後とあまり変わらない。
「じゃあ、行くぞ」
「ご一緒しますわ」
一歩目を階段に落とす。石がきしむ気配に、心臓がもう一段深く潜る。 俺たちは、新しく開いた下り階段へと足を踏み入れた。
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