121話 旅立ちの準備
おびただしく忙しい一週間だった。
俺は馬車の座席に体を投げ出し、ガタガタと揺れる車内で天井をぼんやり見つめながら、ついこの間のことを思い出していた。
疲労が骨の髄まで染みついている。
そして、ようやくギルドに戻ったその夜。
案の定、宴会はすでに終わっていた。
だが「主役がいない宴会などありえない」と、連中は勝手に、数日間開くことをしやがった。
まったく、勝手な奴らだ。
冒険者ギルド兼酒場『エメラルドの水晶亭』は、今日も熱気と酒の匂いで満ちていた。
暖炉の火が、パチパチと音を立て、壁に吊るされたランプの橙色の光が、木製のテーブルや笑い合う冒険者たちの顔を照らしている。
問題が起きたのは、二日目の時だった。
俺が、エールを片手に席へ着いたその時。
「何であんたがここにいるんだ?」
思わず声が荒くなった。
カウンターの端に座っていたのは、深く被った帽子と丸眼鏡、粗末な旅装に身を包んだ男がいた。
ゼノス大公その人だった。
ここでは「ゼノ」と名乗ってるらしいが、完全にバレバレじゃねえか。
ゼノは肩をすくめ、ニヤリと笑った。
「まぁ、エクレアには、ばれてるが、他にはばれてないからセーフだ」
「……何かあったら怒られるのはエクレアか俺かよ」
俺がため息をついた瞬間、背後から柔らかな声が響いた。
「あの? シビさん。そちらのゼノさんとは、お知り合いなのですか?」
振り向くと、そこにいたのは、エレナだった。
彼女は、いつものように穏やかな微笑みを浮かべ、青い瞳をきょとんとさせている。
エレナ、マジで言ってるのか……?
帽子を深く被り、眼鏡をかけた程度で「変装」だと思ってるこの大公の姿は、誰が見たって怪しいことこの上ないのになんで気づいてないんだ!
エレナは俺とゼノを交互に見て、嬉しそうに手を合わせた。
「エレナと申します。シビさんに、飲み友達ではなくて、こんな立派なお友達がいたなんて……これからも、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
お前は俺のおかんかよ……。
俺が内心で突っ込んでいると、マスターとゼノが揃ってクスクスと笑い出した。
特にゼノは楽しげに目を細めている。
「こちらこそ、アヤ君にはいつもよくしてもらっている。こらからも、よしなにやっていきたいと思っているよ」
「おれはもう、縁を切りたいぐらいだ!」
思わず本音が飛び出した。
するとエレナが、困ったように眉を下げて俺の袖をそっと引いた。
「シビさん。それは悲しいことですわ……。人と出会ったのなら、その縁は、大事にしていった方が良いと思いますわ」
その優しい声と言葉に、俺は思わず口をへの字にした。
この慈愛の神官様は、相変わらず俺を優しく包み込んでくる。
「……んで、ゼノ。何の用だ? 暇じゃないんでしょ」
俺は二杯目のエールをぐいっと傾けながら、話題を切り替えた。
ゼノは軽く笑って、グラスを回しながら答える。
「このように、膝元ぐらいは歩かないとな。市井の動きとか色々な。そうは言っても、出来ない事もあるんだけどな」
「なるほど」
まるで江戸時代の上様気取りだ。
貧乏旗本の三男坊の真似かよ、ったく。
俺は短く相槌を打ち、再びエールの苦い泡を舌に転がした。
酒場の喧騒が、俺たちの小さな会話を優しく包み込んでいた。
本日二杯目のエールを口に付けた。
苦くて濃厚な麦の味わいが舌に広がる。
喉を滑り落ちる感覚が心地いい。
「でも昼から宴会か?」
「仕方ないじゃん。急に長旅が決まったしね。数日飲み食いするぐらいの宴会の料金、出ちゃったしね」
ゼノが肩をすくめながら、眼鏡の奥で笑った。
「いくら出したのか?」
「金貨100枚」
ゼノがグラスを傾けた瞬間、プッ! と盛大にエールを噴き出した。
……ったく、殿下ともあろうお方が、酒を口から出すとは汚ねえな。
フードの胸元がびしょ濡れになってるじゃねえか。
眼鏡もずれてんぞ。
俺は呆れながらナプキンを投げてやり、声を荒げた。
「おぬしは、金銭感覚がおかしいのではないのか?」
「多分狂ってると思うよ。でも魔法の研究してたら狂うって」
ゼノは悪びれもせず、グラスを傾けながら続ける。
「それに当分の間は、こんな気楽でうまい飯は、無理だからいいんだよ」
その言葉に、俺は小さく舌打ちした。
確かにこの『エメラルドの水晶亭』の料理は、冒険者にとって数少ない贅沢だ。
焼きたてのパン、香草たっぷりのシチュー、ジューシーなグリル肉……。
次にこんな飯を食えるのはいつになることか。
すると、横から柔らかな声が割り込んできた。
「それでもお酒は、ほどほどにしてくださいね」
エレナだった。
白いヴェールに包まれた金髪がランプの光に優しく輝き、青い瞳が真剣に俺を見つめている。
慈愛の女神アウリス神の神官らしく、まるでお母さんみたいな心配顔だ。
「……わかったよ」
俺が、ぶっきらぼうに答えると、エレナはほっとしたように微笑み、軽く頭を下げて去っていった。
すぐに他のテーブルにいた。
神官冒険者たちに囲まれ、忙しそうに話し始める。
さすが有名人だ。人気者ってのも大変だな。
その後、ゼノが一枚の羊皮紙を俺に差し出した。
厚手の紙は上質で、領地譲渡の文書か何かと思ったが……。
「断っただろ」
「違う件だ」
俺は渋々紙を開いた。
そこに書かれていたのは、会社の設立に関する正式書類だった。
各国からの承認印がずらりと並んでいる。
「これ本気?」
「すこぶる本気だ。各国の了解を得た上で、お前に社長を任せようと思っている」
「だから、俺は自由がいいって断ってるだろ」
俺は、羊皮紙をテーブルに置いた。
ゼノは、静かに息を吐き、声を少し落とした。
「あの武闘大会でお前と同じ休憩室にいた死刑囚が兵隊なのだが」
「俺には関係ねえだろ」
「これから犯罪を犯さず、このプロジェクトに挺身してくれたら、死刑を免除するという話になっている」
「……だからって俺に関係ねえだろ?」
「うちを含めて五ヶ国と1つの自治都市が絡む大プロジェクトだ。その社長にお前の名前が上がっている」
「いや、面倒くせえ。世話なんてできるかよ」
俺はフォークでサラダを突き刺しながら吐き捨てた。
新鮮な野菜の歯ごたえが、苛立ちを少しだけ和らげてくれる。
ゼノは、しばらく俺の顔を見つめ、静かに言った。
「なら仕方ないな。あいつらにはそのまま刑に服してもらうことにする」
その声は穏やかだったが、底に冷たい響きがあった。
「それは、卑怯だろうが。傭兵なんて作らなくても冒険者ギルドがあるから必要ねえだろ。おい、エクレア」
俺が声を張り上げると、エルフの長い耳がピクリと反応した。
エクレアが、カウンターの向こうからこちらを振り向き、銀色の髪をさらりと揺らして近づいてくる。
翠色の瞳がランプの光を映して輝いていた。
「聞こえては、いたけどね」
彼女は軽く肩をすくめ、俺の隣の席に腰を下ろした。
細い指で自分のグラスを回しながら、いつもの余裕たっぷりの笑みを浮かべている。
「あんたも知ってるだろ。冒険者と傭兵は違うって」
「だけど、戦い中心の仕事や山賊討伐、海賊討伐なんかはやってるだろう?」
「そうじゃないんだよ。……ほら、その書類をよく見てみなさい」
エクレアが羊皮紙を指差した瞬間、俺はようやく気づいた。
「なんで……って、当たり前か。もう計画内容は各ギルドに回ってるってことかよ」
俺は書類をもう一度睨みつけた。
そこに書かれていたのは、ただの傭兵会社なんかじゃなかった。
人と魔物の大戦が起きた時のための、戦闘特化型傭兵集団。
死刑囚を戦力に組み込むという、かなりヤバいプロジェクトだ。
そりゃ死刑囚を使うわけだ……。
「喧嘩売ってるのか?」
俺が、低い声で吐き捨てると、殿下が、小さくため息をついた。
「あんたらって、人の血とかないわけ? んで、俺の命はカウントされてないと」
「言い過ぎじゃないのかい、シビ。もしかしたら起きる可能性があるから準備するのは当然でしょ」
「エクレア、そうなんだけどよ……俺が言ってるのは、その囚人どもに強制呪文がかけられてるってことだ。しかも解除不能の強力なやつ。そして入れの命はカウントされていない」
「外に出しました。悪さをし始めたら各国が困るからな。お前ならもし命が危なくなったら逃げる方法はいくらでもあるだろう?」
ゼノが静かに、しかし重い声で割り込んできた。
眼鏡の奥の瞳が、いつもの軽さとは違う。
大公としての冷たい光を宿している。
俺は、胸の奥がざわつくのを感じた。
何か引っかかる。妙に胸糞が悪い。
「俺は嫌だよ。自由がいいし、先ほども言ったけど面倒なのは嫌いなんだ。他にも適任がいるだろ」
「いたら頼まんよ」
「何でいねえんだよ! 世界各国にだって優秀な奴は山ほどいるだろうが!」
ゼノは大きくため息をつき、グラスをテーブルに置いた。
酒場の喧騒が一瞬だけ遠のいた気がした。
「もちろん、実力では、そいつらより上じゃなきゃダメだ。ここには大勢いるだろう。……だが次が問題だ」
「なに?」
「囚人を見下さないこと」
あ……。
「状況が悪くなったら自分だけ逃げないこと」
あ……。
「こいつなら命を預けてもいいと思える人材であること」
あ……。
「大概の人間はレッテルを貼る。『犯罪者だから』とな。命を懸ける戦いになったら、そんなものはただの足枷でしかないんだよ」
その言葉に、俺はナッツを口に放り込みながら視線を逸らした。
エールの残りをジョッキごと一気に飲み干す。苦い液体が喉を焼くように落ちていく。
「……だけどなぁ。運営なんてしたくねえし、面倒なのも嫌なんだよ」
「いますぐとは言わないさ。ただ、この仕事が終わって帰国する時までに、正式な返事が欲しい」
ゼノが、グラスをゆっくり回しながら、静かに言った。
「あそこの城壁を攻めるのかい?」
「それもあるが……お前も危惧している、あの紋章のことだな」
ゼノの声が少し低くなった。
「情報では流れていたが、あれが付いたゴブリンの強化を聞いたときは正直、大げさだと思ったんだ。だが現実だった。そうなると、国としても考えないわけにはいかない」
俺は無言でジョッキを握りしめた。
「今は目の前のことで手がいっぱいなんだよ」
「一応、耳に入れておこうと思っただけだ」
ゼノはそれ以上押しすぎず、肩を軽くすくめた。
だがその一言が、俺の胸にずしりと重くのしかかる。
この遠征で決めりゃ、こんな傭兵会社なんて必要なくなるんだけどな……。
俺は内心で毒づきながら、ナッツの殻を指で潰した。
あの時の死刑囚たち。
最初は、ただのけだものだと思った。
血走った目、荒れ果てた表情、獣のような唸り声。
女とみれば性欲に走る姿。
でも、ちゃんと話してみたら……普通の人間だった。
家族の名前を口にし、故郷の話をし、震える声で「もう二度とやりたくない」と吐露した奴もいた。
そして馬鹿話をしながら飲み食いしたり、俺の心配もしてくれた。
犯罪者というレッテルを貼られた瞬間、人間扱いはされにくくなる。
それが、どれだけの理不尽か、俺は嫌というほど知っている。
やはり目立つとダメなんだよな。
俺は空になったジョッキをテーブルに置き、ため息を吐いた。
酒場の喧騒が、まるで遠い世界の音のように感じられた。
宴会は結局、数日間もだらだらと続いていた。
朝から晩まで酒と笑い声が絶えない『エメラルドの水晶亭』。
だが俺は、そんな浮ついた空気から一歩引いて、武装備の最終準備に没頭していた。
大公から貰った防具——【クエルシエラ】。
これが本当に凄かった。
漆黒を基調とした軽量の胸当てに、流れるような銀の魔術文様が浮かび上がっている。
ブーツとグローブも同系で、全体の重量は革鎧並みなのに、防御力は一流の金属鎧を軽く凌駕する。
物理耐性、魔法耐性、状態異常耐性……どれも異常な数値だった。
そして最大の特徴が変幻機構だ。
意志1つで形状・デザインを自由に変化させる機能がついている。
俺がイメージした通りに、服の見た目がまるで魔法のように変わる。
戦闘時には重厚な黒の戦装束に、街中では軽やかな普段着に……と、状況に応じて最適な姿を取れる優れものだった。
そうはいっても、結局これに落ち着いた。
「……やっぱり、これが一番しっくりくるな」
クエルシエラが淡く光を放ち、瞬時に衣装を再構成する。
真紅のワンピースに、黒のショートレザージャケット。
腰を締める太いベルト、膝下まで流れるスカート、そして左手に握る魔剣。
いつもの俺の姿だ。
剣と鎧だけ見たらアーティファクトじゃねえか。
絶対にこれが無いと、対抗できない奴らが出るんだろうなぁと思うと頭が痛くなるレベルだ。
数日後、いつもの薄暗い研究室に柔らかな光が差し込んだ。
「シビさん、どうかいたしましたか? 最近、お悩みをしているようにお見受けしましたが……」
エレナだった。
白いヴェールに包まれた金髪が、研究室のランプに優しく輝いている。
青い瞳が真っ直ぐに俺を心配そうに見つめていた。
俺はため息をつきながら、この間の宴会の出来事をすべて話した。
ゼノの正体、傭兵会社の話、死刑囚の件……全部。
「あの……ゼノさんって、ゼノス殿下でしたの?」
「気づかなかった?」
「あ、はい。これっぽっちも……」
エレナは目を丸くして、珍しく頰を赤らめた。可愛い反応だ。
俺は苦笑しながら、ゼノに言われたことを正直に伝えた。
「困ったよな。この件は、今回の依頼が終わったら、各国の人間を集めて会議だな。俺みたいな一介の冒険者が、なんでそんな大役を……めんどうくさい」
「一介の冒険者が、このような大仕事を受けることは、普通はありませんわ」
「違いねえ。……もし俺が本当に、そういう流れになったら、エレナはどうする?」
エレナは指先を顎に当て、しばらく真剣に考え込んだ。
やがて、穏やかだけれど力強い声で答える。
「変わりませんわ。それでも、シビさんのそばでお手伝いをいたしますわ」
確か巡回加護者とか言ってたよな。
本来は、個人と旅をする業務ではないはずだ。
なのになんで当たり前にいつもついてきてくれる?
「……なんでだ?」
「なんでとは?」
「嬉しいのは嬉しいんだけどよ。なんで俺にそこまでこだわる?」
これは俺自身の本心だ。
エレナがそばにいないのはもう考えられないレベルだしな。
エレナはふわりと微笑んだ。
その笑顔は、慈愛の女神アウリスそのものを思わせる優しさだった。
「そうですわね……一種の神託ですわ。今はまだ言えませんが、もしお知りになりたいのなら、シビさんの隠していらっしゃる事と交換ですわ」
「ならいいわ」
伝えたら俺が殺される。これは墓場まで持っていく。
「はい」
エレナは悪戯っぽく目を細めて、柔らかく笑った。
準備が全て整い、馬車に乗り込んだ時、荷台の中には余計なものが一杯見えた。
「なんだこれは?」
馬車の中は荷物で結構な量だった。
食料、雑貨、布地、魔法薬……明らかに商売用の荷物が山積みになっている。
「いえ、行商です」
柔らかく、しかしどこか計算高い女性の声が返ってきた。
後部座席に座っていたのは、二十代半ばくらいの落ち着いた雰囲気の女性だった。
栗色の髪を簡素にまとめ、旅装に身を包んでいる。
見た目は普通の行商人風が一人いた。
「は?」
「馬車で、目的地に行くだけではもったいないと思いまして。街に、寄るたびに商売を……」
俺は、こめかみを押さえながら吐き捨てた。
「これ、下手したら世界の危機に関わる任務なんだぞ? わかってるのか?」
女性は微笑みながら、悠然と答えた。
「もちろんわかっていますわ。でも、街に着いたら宿を取ることになりますし、何もしないのはもったいないですもの。任務は優先いたしますので、ご安心ください」
あの野郎、これ実は、護衛も兼ねてるじゃねえか。
それに、商売まで兼ねさせる気満々じゃねえか。
相変わらず余計な気遣いをしてきやがる。
俺はため息を1つ吐き、座席に深く体を沈めた。
「非戦闘員二人追加ね。了解……した」
こうして、アヴァリス首都から、北の険しい山脈を目指す、長い道のりが始まった。
第4部完。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
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