111話 インターバル ~柔らかな温もり~
着替えが終わってから、エレナは、優しく微笑みながら俺の前に跪いた。
彼女の両手から放たれる淡い金色の光──聖癒光が、俺の全身を包み込む。
温かく柔らかな光が、砕けた骨や裂けた肉、深く抉られた傷口にじんわりと染み渡っていく。激痛がゆっくりと溶けるように引いていき、代わりに心地よい熱が骨の髄まで満たしていく感覚に、思わず息が漏れた。
「エレナ、ありがとう」
周囲を見回すと、地下牢の薄暗い空間は先ほどよりさらに寂しくなっていた。
戻ってきている囚人の数は、明らかに半分以下に減っていた。
「ここも……かなり寂しくなったよな」
壁に背をもたせかけ、瓶から酒を煽っていた囚人の一人が、濁った声で低く笑った。
「あぁ、だが死んだ奴もいりゃあ、大怪我で収容所送りになった奴もいる。心配なんざしなくてもいいぜ、お前さん」
「別に心配なんかしてねえよ!」
俺は少し声を荒げて返したが、言葉とは裏腹に胸の奥がざわついていた。
「おめえら死刑囚なんだろ。だったら同情の余地なんてねえじゃねえか」
そう吐き捨てたものの、実際にこうして顔を突き合わせて話していると、どうしても情が移ってしまう。
たとえ罪人であっても、命の重みは変わらない。
まぁ被害者の関係者じゃないからそう言えるのかもしれない。
「実を言うとな……冤罪なんかも、結構あるんだがな。仕方ねえわな」
別の囚人が、疲れたような溜息混じりに教えてくれた。
「冤罪?」
「この国は良くも悪くも魔法第一主義だからよ。魔力が強い者、魔法が使える者がすべてを決めちまう。俺らみたいな、魔力なんて欠片も持たねえ奴は……」
「そういう事か……!」
なるほど。
俺が生前にいた世界の学力第一主義と、根っこの部分は同じなのかもしれない。
ただ、こちらは生まれ持った魔力という、努力ではどうにもならない要素がより強く絡んでいる。
「そういう事だ」
男は自嘲気味に口の端を歪めながら、再び酒を喉に流し込んだ。
だからこそ、この国の貴族たちは力を誇示するために、魔力を増幅させる宝石を身にまとい、煌びやかに輝かせているのだろう。
エレナは話の意味がよく掴めていないのか、清廉で美しい首をわずかに傾げて俺たちを見つめていた。
まあ、王国はそういう面は少ないから、なかなか実感しにくいのかもしれない。
なら、これをどうするのかって考えちゃうんだよな。
システムの歯車として生きるか。
それとも、それに匹敵するほどの地位を掴み取るか。
あるいは、この腐った仕組みそのものから逃げ出すか──
もしかしたら他にもっと賢い手段があるのかもしれないが、正直、俺の頭じゃこれ以上は思い浮かばなかった。
「おいおい、そんなことよりよ……お前さんが連れてきたその神官、間違いなく 鈴の聖女のエレナ様じゃねえか?」
がしゃん、がしゃん。
錆びついた鉄鎖が石の床を引きずる耳障りな音が、地下牢に響き渡った。
「なんでお前みたいなアバズレが、聖女様と一緒にいんだよ!」
「聖女様、その下品な女と一緒にいるとろくなことになりませんぞ!」
「そんな傍若無人な女と一緒にいるってことは……お嬢、聖女様に何の呪いをかけたんだ!?」
囚人たちが一斉にわめき散らし始めた。
鎖の音と怒声が混じり合い、湿った空気をさらに重く淀ませていく。
釣り合わないことなんて、俺自身が一番よくわかっている。
「うるせえよ! お前ら、好き放題酒と飯をたらふく出してやった相手に言うセリフがそれかよ!」
俺が声を荒げて睨みつけても、囚人たちは一向に引かない。
「だってよ! 明らかに釣り合わねえだろ!」
「各国の『抱かれたい女』ランキングで、常にトップ5に君臨してる聖女様なんだぞ!?」
……は?
何だよそのランキング。
この世界にも「抱かれたい男・抱かれたい女」みたいな人気投票があるのかよ。
世界が変わっても、人間の下世話な欲望は変わらないらしいな……。
「クスクス……シビさんは、相変わらず人気者ですわね」
エレナの澄んだ、鈴を転がすような笑い声が、澱んだ地下の空気を一瞬だけ優しく震わせた。
人気なのはお前だろうが、聞いてたのか、抱きたい女のエレナ様
その声だけで、周囲のざわめきが少しだけ柔らかくなった気がした。
「エレナ、これは人気とかじゃねえよ。ただやることねえから、からかってんだろ。もう酒は出さねえぞ!」
「図星を突かれると機嫌が悪くなる奴っているよな~」
「いるいる。本当に器が小せえよな」
「はいはい、うるせえよ、あるだけ飲めばいいだろ」
俺はため息をつきながら、エレナに簡単な食事と酒を差し出した。
綺麗に整えたふかふかのソファに並んで腰を下ろす。
すぐ隣にいるエレナからは、ほのかに甘く清らかな花の香りがふんわりと漂ってきた。
その優しい香りは、この薄暗く淀んだ地下牢の中で、まるで一筋の柔らかな光のように感じられ、俺の胸をそっと温かくした。
「悪いけど、何があったんだ?」
一息ついてから改めて聞いてみた。
「お聞きしたいのは、わたくしが上の階に行っていた間のことですわよね」
「あぁ」
エレナは優雅に姿勢を正し、穏やかな声音で答えてくれた。
「各国のVIPの方々が集まっていたことと、シビさんが先ほど戦う前に、会議のために主だった方々はそちらへ移動されたぐらいしか……」
「俺は、自分の番以外はここで飲み食いしてただけだから、様子が全然わかってねえんだけど。他の試合はどうなんだ?」
俺はエレナから次々と話を聞いたが、取り立てて変わったことはなかったという。
危ない試合ではあるものの、降参も認められていて、命の危険はあるが一応はまっとうな勝負らしい。
確かに1回戦、2回戦は普通だった。でも3回戦だけ実況がやたらと騒がしかった気がする。
あれは、実況が始まる前に俺が終わらせたせいか?
まあ、それはどうでもいい話か。
ただ、死刑囚の相手は基本的に魔物らしい。
魔物相手にギブアップなど許されるはずもなく、ほぼ全滅していたようだ。
いわば公開処刑を兼ねた見世物ってところか。
それでも運のいい奴は人間同士の対戦になり、ほぼ死ぬことはなかったらしい。
「そうだ、俺はEクラスと言われたけど、どれだけのクラスがあるんだ?」
「Hクラスまでですわ……そう言えば」
エレナがふと声を止めた。
何かを思い出したみたいに、わずかに視線が揺れる。
「変わったことがあったのか?」
「あ、はい。宰相様が『なぜ彼女がEクラスなんだ?』と小さくつぶやいていらっしゃいましたわ」
ん? 宰相が直接命令したわけじゃないのか?
ならあの伯爵か?
いや、あの小物にそんな力があるはずがない。
なら大公か……?
それだったら、たしかあのバカヤロウが「大公は公務で席を外している」と言っていたはずだ。
自分の目で見に来ないで、そんなことを企てるのか?
まだ不思議な事はある。
あの光は何だったんだ?
たしかに何度か光を受けた瞬間、あの紋章が浮かび上がっていた。
呪文の研究と一緒に過去の文献を漁ってみたが、あの紋章に関する記録は一切見当たらなかった。
ぎゅっ。
いきなり、柔らかく温かいものが俺の顔に優しく押し当てられた。
考え事から意識を覚醒させると……
むにゅうっ。
エレナの豊かで弾力のある胸が、俺の頬と鼻をふわりと包み込むように密着していた。
柔肉の優しい重みと、ほのかに甘い花の香りが一気に顔全体を覆い、頭の中が真っ白になる。
「エレナ……さん?」
「何か辛そうに考え事をしていらっしゃいましたので……」
その瞬間、地下牢の隅々から野郎共の野太い雄叫びが爆発した。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「俺もあの胸にうずまりてぇええ!」
「なにを良い事してるんだよ、見せつけかこの野郎!」
「シビ、お前も立派なもの持ってるんだから、そんなことされなくてもいいだろが!」
俺が持ってようが、自分で自分の感触なんて味わえねえんだよ。
この突っ込みも根本的におかしいだろ。
「ああああああああ、うるさくて考え事もまとまらねえだろ! 静かに飲み食いして駄弁ってろよ!」
俺の怒鳴り声が石壁に反響した。
囚人の一人が酒瓶を片手に、からかうような笑い声を上げて返してきた。
「おうおう、おめえはそうやって傍若無人で偉そうにドンとしてりゃいいんだよ」
「きっとおめえならうまくいくさ」
「ちげえねえ。がはははは……」
からかうような、妬ましげな笑いがあちこちから漏れ、鎖の音と混じり合って地下牢をさらにざわつかせた。
「褒めてるのか、けなしてるのかどっちだよ!」
「そんなのはてめえで考えろや」
俺は軽く舌打ちしながら、エレナの柔らかな抱擁からゆっくりと身体を離した。
まだ頬に残る温もりと甘い香りが、名残惜しく残っている。
一応エレナにも、ここに着いてからのあらましを、ざっと説明した。
周囲の囚人たちにも筒抜けだろうが、この際どうでもいい。
「……そんなことが……」
エレナの声が少し低くなり、清らかな瞳に戸惑いの色が浮かんだ。
「どう思う?」
「どう思うと言われましても……ド・ロワ伯爵様が一番黒いとは思いますが……でも何か引っかかりますわね」
彼女は細い指を唇に当て、優雅に首をわずかに傾げながら考え込む。
その表情の奥に、微かな違和感と不安が混じっているのがわかった。
「だよなぁ。大公に面会しに行った時、あのバカヤロウも周りにいたはずなんだけど、どうにも思い出せねえんだよな」
宰相をからかうのに必死で、周囲の顔なんてほとんど覚えていなかったとは言えないしな……。
「ヴァルカス・ド・ロア伯爵様ですわ、シビさん。あの方は、シビさんにミスリルソードを見せてくれとおっしゃっていた方ですわ」
いたなぁ。なぜか関係ないのに剣を見せてくれとか言っていた貴族が、あいつか。
ならやはり、俺の剣が狙いなのか?
でもあれは刀身がミスリル100%ってだけで、他の特別な能力はないはずだ。
魔法の触媒として杖持ちと同じように魔法が使える程度なのに……ここまで大掛かりにやる価値があるのか?
眉間に皺が寄るのを感じるけど手がかりが無さすぎてわかんねえ。
「やはり少しお疲れで、考えすぎですわ」
エレナはそう優しく囁くと、そっと俺の頭に細い指を添えた。
軽く押されるままに視界が傾き、そのまま彼女の柔らかな膝の上に頭を乗せられる。
後頭部に広がる、ふんわりとした温かく弾力のある感触。
法衣の布越しに伝わる彼女の体温と、ほのかに甘い花の香りが、疲れた体を一瞬で包み込んだ。
思わず全身から力が抜け、肩の力がするりと落ちていく。
「順番が来るまで、少しお休みになってください」
周囲の囚人たちが発狂したように叫び、鎖をガシャガシャ鳴らしているのが聞こえる。
野次や羨望の声が飛び交う中、俺は恥ずかしさを感じつつも、立て続けに消費の激しい魔法を使った疲労もあって、エレナの言葉に素直に甘えることにした。
やがて、彼女の澄んだ優しい歌声が、耳元で静かに響き始めた。
不思議と周囲の騒がしさは遠のいていき、意識がゆっくりと深い眠りへと沈んでいく。
抗うこともなく、そのまま心地よい闇に落ちていった。
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