110話 死と聖女
俺は、闘技場の砂を踏みしめ、出口に向かって歩き出そうとしたその時だった。
ドーム全体の照明が一瞬で落ち、薄暗闇に包まれる。
中央の巨大な魔導スクリーンが青白く光を放ちながら開いた。
『どこに行こうとしているのかね、シビ』
ヴァルカス・ド・ロウ伯爵の嫌らしい声が、場内に響き渡る。
「終わっただろうが。見てわからない?怪我してるの。痛えから戻るだけだ」
俺は銀髪を軽くかき上げ、苛立った様子で吐き捨てた。
赤い魔法のドレスが砂埃で汚れ、胸元と太ももが露わになったまま、革ジャンの破れた袖を乱暴に直す。
『言ったであろう。スペシャルマッチだ。どちらかが死なない限り、出られないんだよ』
「もう、あれで終わりだろ。俺は公開リンチをする趣味はねえ」
俺が吐き捨てた瞬間、天から一筋の、あまりに神々しく、そして禍々しい光の柱が降り注いだ。
光に打たれたゼフュランの傷口が、シュウシュウと音を立てて塞がり、肉が不自然な速度で盛り上がっていく。
『ほら、そなたがのんびりしているから、回復してしまったではないか。……さあ、再演だ』
「う……うがぁああああああああああ!」
回復したゼフュランが、喉を掻き切るような絶叫を上げる。瞳は血の海のように赤く染まり、筋肉は血管を浮き上がらせて異様に膨張し、鋼のような硬度を帯びていく。
「伯爵……貴様、何をしやがった!」
『なぁに、少しばかり強制進化らしいよ。……それを殺さぬ限り、永久に終わらぬ踊りを楽しみたまえ』
口から汚い涎を垂らし、かつての誇り高き戦士の面影を失った獣がそこには立っていた。
「実況が聞こえねえ……。市民には見せられねえ「裏メニュー」ってわけか」
俺は半分以上破れた革ジャンを乱暴に脱ぎ捨て、突進してくるゼフュランに向かって思い切り投げつけた。
先ほどまでの奴なら、爪やシミターで一瞬で切り裂きながら突っ込んでくるはずだった。
だが、理性の欠けた獣人はそのまま一直線に突進し、見事に頭からジャケットを被ってしまった。
動きが一瞬止まる。
「断轟!」
俺はグラディウスを両手で大きく振りかぶった。
月夜のエネルギーが充電された刃が淡い青白い光を放ち、俺の視界の端で銀髪が激しく翻る。
全身の力を右足に込めて地面を強く踏みしめた。
次の瞬間、轟音とともにグラディウスが振り下ろされた。
一撃が空気を引き裂き、月光のような青白い軌跡を残しながら衝撃波を爆発させる。
鋼すら紙のように断つ一閃。手応えと共に、ジャケット越しにゼフュランの頭部を一刀両断に叩き切った。
刃から零れ落ちる月夜の光の粒子が、血飛沫と混じって幻想的に舞う中、俺は低く吐き捨てた。
「冥途の土産に持っていきな」
俺は、完全に終わったと思い、出入り口の方へと歩いた。
『残念よの。ほら、指一本ぴくぴくと下賤の者にふさわしく動いておるじゃないか』
伯爵の楽しげな声が響く。
「もうやめろよ! 命を冒涜するのは!」
俺の叫びは無残に無視された。再び光の柱が死者の尊厳を踏みにじる。
「ぎぃぎゃぁああああああああああああああああああああああああああ!」
体が痙攣し、再び再生を始める。
「大公、こんな非人道なことしてるんじゃねえぞ!」
『大公様は今は公務で席を外しておるわ。存分に戦うがよい』
俺はもう一度対峙した瞬間に飛び込んで来た。
奴が飛び込んでくる瞬間に放った火球は、その異常な速度の前に虚しく空を切る。
呪文の硬直を突かれ、強烈な蹴りが腹に叩き込まれる。
二転三転と砂の上を転がりながら、グラディウスを落としてしまった。
「ぐっ!」
奴がそのまま飛び込んでくる。
俺は、地面に手をついて力ある言葉を紡いだ。
「大地よ、我が意に従い、鋭く尖った槍を敵に突き刺せ! 土陣鋼槍!!」
詠唱が終わった瞬間、左手を地面に叩きつける。
大地が激しく隆起し、無数の鋭い岩の槍が一斉に屹立した。
土煙を上げながら上空から突進してくるゼフュランに向かって、凶悪な突起物が伸び上がる。
豹人間は爪で必死に切り裂こうとするが、次から次へと生まれる鋼のような岩槍に体を貫かれ、空中で串刺しにされた。
「悪いな……それがお前の墓標だ」
俺は岩槍の間をすり抜け、ボロボロに破れた革ジャケットを取りに戻ろうとした、その時だった。
また光の柱がゼフュランに向かって発射された。
先ほどまで串刺しにされていた豹人間の体が、信じられない勢いで膨張を始める。
元の身体の三倍近くにまで筋肉が膨れ上がり、岩の槍が次々と砕け散った。俺は思わず目を見開き、めまいを覚えそうになった。あの忌々しい紋章が、膨張した胸の中心に浮かび上がっている。
『わはははは……すごいぞすごいぞ……これがあれば……そいつを倒せ! 獣よ!』
伯爵の狂ったような笑い声がドームに響き渡る。
ゼフュランは土の槍を筋肉だけで無理やりこじ開けようと暴れていた。動きは以前より遥かに速いが、理性を完全に失っているせいで単調で予測しやすい。とはいえ、この巨体と力は明らかに異常だ。
動きにくい……。
俺は舌打ちしながら、すでに半分以上破れ、動きを制限されていた赤い魔法のドレスを乱暴に引き剥がして脱ぎ捨てた。
照明の光が一気に俺の肌に当たる。
色白の胸が大きく露わになり、細い腰と引き締まった太ももが丸見えになった。
汗で銀髪が肌にべったり張り付き、視界の端で赤い瞳が鋭く光っているのが自分でもわかった。
下着姿とブーツだけを身につけている。
『ギブアップは言わずに死を選ぶのか?』
「は? 死ぬわけねえだろうが、俺はな。俺一人の命じゃねえんだよ」
俺は短く言い返し、すぐに飛翔の呪文を発動させた。
体がふわりと浮かび上がり、砂の上から数メートル離れる。
もちろんこの呪文は本格的な戦闘中にはほとんど使えない代物だが、呪文の制御がしやすい。
「本当は使いたくないが、お前に安らかな死を与えてやるよ」
俺は両手をゆっくりと掲げ、力ある声を唱え始めた。
「魂の天秤は傾いた。抗えぬ者は、静寂なる虚無の底へと沈め。黄泉路の旅路へ誘う、終焉の帳……」
『お主、それは……未だ解明中の失われた呪文……なぜお主が……!?』
伯爵の声に初めて動揺が混じる。
「安らかに眠れ。死の雲」
俺は右の手のひらを巨大化したゼフュランに向けた。
ゼフュランの周囲に灰色の雲が突然現れた。
雲はゆっくりと、しかし確実に広がり、みるみるうちに濃くなり、重く淀んだ塊となって奴の巨体を完全に包み込んでいく。
空気が急に冷たく重くなり、辺りが不気味に静まり返る。
雲が完全に晴れたとき、ゼフュランはもうピクリとも動かなくなっていた。
あの三倍に膨れ上がった筋肉も、充血した目も、口から垂れていたよだれも、すべてが止まっていた。
ただ静かに崩れ落ちるように動かなくなった。
それでも光の柱が再び奴の体に降り注ぐ。
再生を促そうとしているのだろうが、指先一つ動く気配すらない。
『なぜ動かない……なぜ……』
伯爵の声が震えていた。
「当たり前だろうが」
『お前……何をした!?』
「生命力の停止だ。どこかのバカが獣化させてくれたおかげで、呪文への抵抗力がガタ落ちだった。この呪文の内容を知ってるてめえならわかるだろ。あと、あの光の柱はなんだよ!」
俺は銀髪を乱暴にかき上げ、裸に近い上半身を堂々と晒しながら、低い声で吐き捨てた。
そう言った瞬間だった。ドーム全体が再び明るくなり、照明が一気に戻った。
『ああああああああああああああと、何がおきたのでしょうかぁあああ! 機材トラブル復旧です! シビ選手、下着以外何も付けてない! そしてゼフュランは、串刺しになって死んでいる!』
実況の声が興奮で裏返りながら響き渡る。
マジでうるさい。
俺は頭上を鋭く睨みつけた。その瞬間、周囲から大きなどよめきが沸き起こった。
下着姿の俺を見て野次馬どもが騒いでいるんじゃない。もっと別の何かだ。
俺がもう一度空を見上げると、金の錫杖を握ったエレナが、白い法衣を翻しながらまっすぐ落ちてくるのが目に入った。
うん!
女性が空から急降下で落ちてきやがる。
ボケてる場合じゃねえ!
俺は即座に太ももに手を当て、力ある言葉を短く発した。
「跳躍!」
膝を深く曲げ、地面を思い切り蹴り上げる。
体が軽くなり、風を切って100メートル近く跳ね上がった。
髪が激しくなびき、ほとんど下着だけの色白の肢体が照明に照らされる。
落ちてくるエレナを空中でしっかりと抱き止めた。
「この馬鹿!何をしてる?」
そう言った直後、ぎゅっと強い力で抱きしめ返された。
柔らかい白法衣と、慈愛に満ちた温もりが俺の胸に押しつけられる。
今俺下着姿だから、ダイレクトにな。
胸とか当たってるわけで……じゃない。
「シビさんが泣いてる気がしていてもたってもいられませんでしたので、飛び降りました」
エレナの声は優しく、でも少し震えていた。
「飛び降りたって、俺が気付かなかったら死んでるんだぞ!」
「シビさんなら気づいてくださいますわ」
さようですか。
これも信頼の証なんだろうか?
その時、日の光が俺たち二人を優しく包み込み、ちょうど闘技場の地面に着地した。
実況の声がさらにヒートアップする。
「スペシャルの名に恥じない! 最後は下着姿の美女がダイブした聖女を抱きしめ、光のカーテンと共に降りてきたぁあああああああ!」
いい風にとらえすぎだ、バカ。
俺はエレナを抱いたまま小さく舌打ちした。
「俺の服が……」
「シビさんはあの時購入した服とかありますし」
あったけど……まあいいか。
俺は、エレナを腕に抱えたまま、どよめきが渦巻く闘技場から急いで待合室へと向かった。
上での詳しい話を聞かないといけないな。
今の戦闘はバカヤロウの独断か?
それとも宰相か大公の仕業なのか?
何が目的なんだ?
まず、俺の処刑にしてはやり方が変だ。
殺すのが目的なら、集まった瞬間に捕まえればいい。
多分、俺は自分で思っている以上に強いのかもしれないが、多人数で一気に襲われたら勝ち目はない。
VIP席でエレナを人質に取られたら、それこそおしまいだ。
なのにエレナはこうして自由に動けている。
マジで意味が解らん。
息を切らしながら待合室に戻ると、凄まじい歓声と野次が鼓膜を震わせた。
そりゃあ、死闘を終えたばかりの、下着同然の格好をした銀髪の女が飛び込んできたら、野郎どもも興奮するだろう。
「なんで嬢ちゃん、女連れて来てやがるんだ!」
「しかたねえだろ、降ってきやがったんだから」
「くそっ、死ぬ前にあんな女共を抱きてえ!」
うるせえよ。それだけ元気なら大丈夫そうだな。
俺はエレナに周囲をガードさせながら、バッグから青色のドレスを引っ張り出し、豊かな胸を無理やり押し込めるようにして、乱暴に袖を通した。
この「茶番」の代償は、必ず高くつかせてやる。
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