第五十七夜:地下スラム街『スキラム』
地下スラム街スキラム――ファルムス帝国の地下にある貧民街さ。
地図にも乗らないような場所。誰も本気で管理しようなんて思っちゃいない。
でも、生きてる。
いや、生かされてるだけかもしれないけど、確かにそこには“暮らし”があった。
オイラが物心ついた時には、もうスキラムの灰区で生きてたんだ。
薄暗くて、空気はいつも湿ってて、壁の石にすらカビが生えててさ。
天井は時々軋むし、落ちてきたらそこでおしまい。
みんな、毎日が“運試し”みたいなもんだった。
オイラはちっちゃくて、声も高くて、耳も尾も目立つ完獣だった。
だから、プリムラ姉ちゃんがいつも帽子をかぶせてくれて、
耳を隠して、尻尾はズボンに無理やり詰めて……
「今日も“フツーの子”だよ」って笑ってくれた。
プリムラ姉ちゃんは強かった。
“誰かに見つかったら終わり”って知ってるのに、笑って、演じて、守ってくれてた。
オイラたちは、青区に通ってた。
あそこはスキラムの中でもちょっとだけ光がある場所――娯楽街さ。
楽器の音が響いてて、笑い声も聞こえる。
でも、それは全部“金になるから”の笑い。
オイラは母ちゃんの形見――この魔術アンクレットを使って、笛を吹いたり、小さな楽器を鳴らしたりして、通りすがりの客に小銭をもらってた。
魔力を流すと、音がちょっとだけ綺麗になるんだ。
持ってない楽器の音も後から出せるのに気づいた。
“あの人の音だ”って覚えてもらえる。目立つけど、記憶に残る。
姉ちゃんは隣で、ちょっとした踊りや寸劇をしてた。
客に笑われたり、からかわれたりすることもあったけど、
それでも最後まで“演じ切る”のが、プリムラ姉ちゃんの凄さだった。
「うまくやれば、いつか地上に行ける」って、そう信じてた。
実際、青区には“目に止まれば引き上げてもらえる”って噂があった。
演芸師、給仕、運搬手、道化――どれも“地上での仕事”としてスカウトされることがあるって。
オイラたちは、それにかけてた。
笑って、演じて、日々を繋いで。
でも――
笑いながら、いつもどこかで、足元が崩れそうな気がしてたよ。
スキラムには、いろんなやつがいた。
子供だけで集まって、小さな家を作って生きてるやつら。
なにかを失くして、生きることそのものを放棄した人たち。
地上で失脚して、ここに堕ちてきた元貴族もいた。
種族も年齢も関係なかった。
そこにいるのは、ただ“見放された命”だけ。
そんな混ざり合った中に――いたんだ。魔族が。
奴らは見分けがつきやすかった。
額に、小さな角が生えてる。
それだけで、すぐにわかる。
最初、オイラは知らなかった。
というか、スキラムにしか魔族がいないって、外に出るまで気づかなかったんだ。
あとから聞いた話じゃ、百年くらい前に魔族とファルムス帝国の間に戦争があったらしい。
魔族は負けて、ほとんどが追いやられて……それが今、スキラムの最底辺にいるってわけ。
魔族の中でも、力がある奴らは黒区とか特殊な場所に使われるらしいけど、
ほとんどは赤区――つまり“あっち側”に住まされてた。
オイラたちみたいな青区側じゃ、あんまり見かけない。
見かけたとしても、顔を隠してたり、見世物みたいに連れて歩かれてたりしてた。
でも――
一人だけ、よく来てたんだ。青区に。
魔族の、女の子。
目も口も、なにかで覆われてて、喋ることもできなかった。
たぶん奴隷。いや、たぶんなんてもんじゃなくて、確実に。
でも、その子はオイラの演奏を聞くと――身体を揺らして、はしゃぐんだ。
拍子に合わせて手を叩いたり、足でリズムを取ったり。
言葉はなかったけど、ちゃんと“届いてる”ってわかった。
オイラと、同じくらいの歳だった。
体は細くて、小さくて、でも……目隠しの奥に、何かがいた。
忘れちゃいけない何かが、あの子の中にはあったんだ。
最初は怖かった。でも、次第に、その子が来るのが楽しみになってた。
音を奏でると、ちゃんと返してくれる。リズムでも、手拍子でも。
音で会話してた。
話したことはないよ。
でも、そんな気がしてたんだ。
あの子は目が見えなかった。
いつも目元に布を巻かれて、口元にも金具みたいなもので塞がれてた。
声も出せないし、何を考えてるのかもわかんなかった。
でも、オイラの演奏を聴くと、いつも体を揺らしてくれた。
手を叩いて、足で床を叩いて、リズムを返してくれた。
オイラの音を、ちゃんと“聴いてくれてた”。
奴隷だった。間違いなく。
首に繋がれた鎖も、体の所々に刻まれた焼印も、それが物語ってた。
演奏の途中で、連れてかれることもあった。
男たちが無言で引っ張っていくたびに、オイラは何もできずに指を止めるしかなかった。
でも……次の日にはまた来てくれた。
何事もなかったみたいに、いつもの場所に立って、手を叩いてくれた。
それが嬉しくて、何度も演奏した。
音で何かが通じる気がして――
オイラ、たぶん、ちょっとだけ好きだったのかもしれない。
でも、ある時を境に、ぱったり姿を見なくなった。
最初のうちは、また来ると思ってた。
でも、一週間経っても、二週間経っても――その姿はどこにもなかった。
今後はしばらく火、木曜日の11時更新となります。
元のペースに戻せそうになり次第、お知らせいたします。
【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿】リライト企画進行中(牛歩)
現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。
以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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