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ANgelic of the Dead  作者: 書庫
四章--死の大行進《デス・マーチング》--
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第五十五夜:出発②

――ミルベーナ


出発を前にした数日前、

私たちは、ギルド長のレンハルト殿、そしてアイシス殿から、

ファルムス帝国についての現状を教えていただいた。


場所は、ギルド内の会議室。

陽が沈む少し前の時間帯だったと記憶している。


レンハルト殿は、常の穏やかな雰囲気をやや崩し、

言葉を選ぶようにして話し始めた。


「ファルムス帝国……そう遠くない道のりではあるが、注意が必要だ。

本国は南部にあり、そこへ至る街道までは比較的安全だが――問題はその先だ」


地図を指差しながら語られる話に、私は自然と背筋を正していた。

レンハルト殿は続ける。


「我々が通過するエルドリヴァイン領を越えると……空気が変わる。

そこから先は、ファルムス帝国が“完全に管理する領域”だ」


帝国の本体。

それは、ただの国ではない。

レンハルト殿も、アイシス殿も、そこを“国家”ではなく、“構造”として説明していたのが印象的だった。


ファルムス帝国――名目上、この地方もその支配下にある。

だが、距離が離れるほどに統治は緩くなり、

ここクラウゼンブルク周辺のような辺境では、帝国の影響は限定的だ。


それゆえ、我々が接してきた“帝国の姿”は、まだ“穏やかな仮面”だったに過ぎない。


「……だが、帝国の中心は違う」

アイシス殿がそこで口を挟むように言った。


いつも落ち着いた声だったが、

その時はわずかに抑えられた苛立ちのようなものが混ざっていた。


「ファルムス帝国は――力が全てだ。

有能さ、権力、金……それがあれば、法すら捻じ曲げられる。

逆に言えば、それらを持たない者は“人”として扱われない」


言葉は静かだったが、空気が明らかに重くなったのを感じた。

フォスターも、ジークも、リージュも。

誰もが口を閉ざして、聞き入っていた。


「……人攫い、奴隷……それに、強者による弱者への暴力が“慣習”のように存在している。

民は恐れ、貴族はその恐れを利用して悦に入っている――そんな話も聞いた」


それはもう、“国家”というより“歪んだ檻”だ。


そして――


「“廃壊の信徒”が野放しにされている」


アイシス殿のこの一言に、私の胸は静かに冷えた。


「あくまで噂の域を出ない話だが、情報筋は信頼できる」


この名を、忘れるわけにはいかない。

かつて、滅びと混沌をもたらした信仰。

人の命を、魂を、ただの“糧”として扱う者たち。


そのような存在が、帝国の監視下で活動しているとしたら――


「……我々が向かう先は、剣だけでは通れぬ場所だ。

強くあることより、冷静であること。声を荒げるより、見極めることが求められる」


レンハルト殿の言葉は、まさしくその通りだった。

だが同時に、そんな場所で私たちは――何を“守れる”だろうか。


私は、静かに拳を握った。


それが、数日前の話。

今でも頭の中にはっきり残っている。


だからこそ、私は出発に際し、もう一度心を整える必要があるのだ。




「ミルベーナ」


静かに名前を呼ばれた。

思わず顔を上げると、コーネリア殿が、柔らかな目でこちらを見ていた。


……浮かない顔をしていたのだろう。

旅立ちの空気が胸を締めつけていたのかもしれない。


「これから先、不安かい?」


不安。

そう、それは確かにある。


でも、今は私一人ではない。

仲間がいる。共に歩む者たちがいる。


だから私は、真っ直ぐに答えた。


「はい。……天使といえど、人を斬らねばならない可能性もありますから」


それは、覚悟であり――自戒でもあった。


だが、コーネリア殿はさらに問いかけてくる。


「……それだけかい?」


えっ、と、息を詰める。


それだけ?

いや、違う。


「リージュ……だけじゃありません。皆を、守れるかどうかも」


そう口にした瞬間、胸が軋んだ。


それは、ただの“使命”ではない。

私にとってこの仲間たちは、もう“守るべき他人”ではないのだ。


コーネリア殿は、ふふっと笑った。


「そうだね、あんたは強い。

でも――仲間を“弱さ”と言わない、あんたが……あたしは、好きだよ」


胸に、じんと何かが染みた。


ふと、視線を馬車の方へ向ける。

フォスターがジークを小突いている。

リージュが何か笑いながらフェリオを追いかけていた。


別れの挨拶と、旅立ちの準備が静かに進んでいる中、

コーネリア殿が、ぽつりと言った。


「まだ話してないんだろ?……あんたの正体」


言葉が、深く胸に突き刺さった。


……そうだ。

コーネリア殿には、打ち明けてある。

私が“魔族”であるということを。


だが――皆には、まだ言えていない。


その理由は一つ。

怖いのだ。


嫌われることが。

軽蔑されることが。

これまで築いてきたものが、崩れてしまうことが。


心の奥に隠していたその弱さを、まるで見透かすように、

コーネリア殿は微笑んだ。


「大丈夫。馬車の中で、ゆっくりおはなし。あんたの仲間を……信じておやり」


そう言って、そっと両腕を広げた。


そして――抱きしめてくれた。


私よりもずっとか細くて、小さな身体なのに。

とても、温かくて。

驚くほど、力強かった。


「なーに、ファルムスが嫌んなったら戻って来な!

サリエルの言うことなんざ、無視したらいいさね!」


その声に、思わず笑みがこぼれた。


「……はい。行ってまいります」


言葉に、決意を乗せた。


そして――

私が、最後に馬車へと乗り込んだ。


木の段差を一歩ずつ登り、揺れる天幕の向こうへ。

仲間たちの声が待つその空間へ。


……さあ。出発しよう。


蹄の音が鳴り響く。


この仲間たちと共に、

私の“真実”と“未来”を携えて――

未知の帝国、ファルムスへ。




街の門前、広場の端に停められた一台の馬車。

荷を積み終え、帷子とばりが揺れるその車体に、四人と一匹が乗り込んでいた。


「じゃ、行ってきまーす!」


最初に声を上げたのはリージュだった。

座席から身を乗り出すようにして、街に手を振る。

その隣ではフェリオが「きゅーっ!」と軽やかな声を上げ、馬車の窓から顔を覗かせていた。


ジークは、少し赤くなった目元を袖で拭いながらも、

大きく「ありがとうございました」と口にし、頭を下げる。

その瞳には、しっかりとした光が宿っていた。


フォスターは背もたれに片肘をついて、静かに手を挙げるだけだったが、

その表情は、かつてより幾分か穏やかだった。


最後に乗り込んだミルベーナが扉を閉めると、

馬車の御者が静かに手綱を鳴らす。


「出るぞー!」


乾いた声とともに、馬車がゆっくりと動き出す。

蹄の音がカツカツと響き、車輪が石畳を滑って進む。


街の人々が手を振り、ギルドの仲間たちが名を呼び、

アイシスやコーネリアも、穏やかな笑顔で見送っていた。


彼らの姿が小さくなるたびに、

空は少しずつ晴れ間を見せ、雲の切れ間から光が差し込んでいた。


それはまるで、旅立ちを祝福する朝の光だった。


誰もが不安を抱え、答えのない道を進んでいく。

それでも――今、彼らは共にいる。


新たな旅路へ。

新たな真実と向き合うために。

生きるという選択を、重ねていくために。


四人と一匹を乗せた馬車は、

ゆっくりと、そして確かに、クラウゼンブルクの街を後にした。




道中。

馬車はゆっくりと揺れながら街道を進んでいた。

それぞれが窓の外を眺めたり、うたた寝をしたり、思い思いの時間を過ごしている。


そんな穏やかな空気の中で、私は――意を決して、口を開いた。


「は、話がある」


……声が、裏返った。


恥ずかしい。

顔が熱くなる。何をやっているのだ、私は。


「どしたのミナ? 声、裏返っちゃってるよ〜」


リージュが無邪気に笑う。

くぅ……その笑顔、今だけはやめてくれ。


フォスターは不思議そうに眉をひそめ、

ジークはフェリオを撫でながら、こちらを静かに見ている。


「わ、私は……」


一度止まった息を、もう一度整える。

覚悟を決めろ。私は、魔王の娘だぞ。こんなことで――


「……私は、魔族なんだ」


ようやく口にできた。

静かに目を閉じる。


――ダメだ、閉じるな。今度は目が開けない……。


しばし、沈黙。


ああ、やっぱり驚かれたか。

怖がられたか――


「魔族って?」


――はっ!?


その声は、リージュ。


(……そうだ! リージュは記憶喪失だ! 魔族の知識すらない可能性があるではないか!)


「魔族ってのは悪魔たちの上位存在だ。

普段は“魔界”ってとこにいるけど、たまにこっちに来るヤツがいるって聞いたことあるな」


フォスターが淡々と説明してくれる。


「そっか、ミルベーナは人間族アダムスフィアじゃなかったんだね。

だからあんなに強いのか」


ジークが、何の抵抗もなく返事をしてくる。

その隣で、フェリオが「きゅるるっ」と相槌を打った。


「話って、それ?」


リージュのきょとんとした反応に、私はまた一瞬だけ不安になる。

こんなにあっさり、いいのか?


「ねぇフォスター、魔族って珍しいの?」


「まぁ、珍しいな。

オレらとは違う感覚を持ってるって話くらいしか知らねぇけど……

別にミナはミナだろ?」


……コーネリア殿の言葉が、心によぎる。


――大丈夫だよ。

あんたの仲間は、そのことを知ったって、あんたを見限ったりはしないさ


「こ、怖くは……ないのか?」


思わず震える声が出てしまった。


「うーん……正直、魔族なんてお伽話だと思ってたから驚きはしたけど、

別にミルベーナはミルベーナだし……」


ジークは、フェリオに話しかけるみたいに優しく言ってくれる。


「きゅー」


(あ、フェリオ、かわいい……)


「もしかして、隠し事だったの?」


リージュが覗き込むように問う。

私は、ゆっくりと頷いた。


「んじゃ、今後はもっと頼らせてもらうぜ?」


えっ……?


「ちょっとフォスター、女の子に頼るのはどうなのかなー?」


「フォスの照れ隠しだよ、リージュ」


……なんだ、この小競り合い。


でも――


でも、温かい。


こんなにも簡単に、あっさりと――

私という“存在”を、受け入れてくれるなんて。


「……ああ。これからも、よろしく。みんな」


私の声は、今度は裏返らなかった。


しかし、彼の心は、全身から凍りつくような言葉を聞いてしまっていた。




――荷台の帆布はんぷが、わずかに動いた。


「……おい、いま、なんか……」


フォスターが眉をひそめると、ジークが手早く荷物をどける。

そこに、ぎゅっと体を縮めるようにして座り込んでいたのは――


「……プルワ?」


「ひぃ……!」


名前を呼ばれた瞬間、プルワは跳ねるように身体を揺らした。

肩をすくめ、視線を泳がせる。

まるで――猛獣を前にした小動物のようだった。


「なんでここに?……それより、なんでそんなに怯えてるの?」


ジークの声に、プルワはただ首を振るだけ。

彼女の視線が、ちらりと後ろに向く。


そこには、ミルベーナがいた。


風に揺れる藤色の髪。背筋を伸ばした静かな姿――だが、その瞳が、不意に揺れた。


「ま……魔族だったなんて……」


彼女は、自分が見られていたことに気づいていた。

そして、プルワの震えが、自分という存在に向けられていることも。


誰よりも静かに、ミルベーナの心に、凍てつく波が走った。


今後はしばらく火、木曜日の11時更新となります。

元のペースに戻せそうになり次第、お知らせいたします。


【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿リライト】リライト企画進行中(牛歩)

現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。

以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。


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https://x.com/r5mswm?s=21&t=YDHDT292BvtoU2Xhs0cHWQ

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