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ANgelic of the Dead  作者: 書庫
四章--死の大行進《デス・マーチング》--
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第五十一夜:歪でいて、予期せぬ出来事

世界の中心。

世界樹――ユグドラシルの根幹。


神々の理を束ねる美しき緑の園は、まるで天上の庭のように静謐だった。

だが今、その静けさを破るように、どこか場違いな――痛々しい音と、断続的な悲鳴が響いていた。


木々に覆われ、仄かに緑光が揺らめく薄暗い一室。

そこに居たのは、二人の少女だった。


ミコトとアルチル。


衣服は与えられていない。

腕と足を拘束されたまま、冷たい蔓床に投げ出された二人の身体には、

無数の傷と、乾ききらない血の跡が浮かんでいた。


静かに震えるミコトは、脂汗に濡れた顔を歪めながら、唇を噛んでいた。

傷の痛みより、隣で聞こえる嬌声のような声が、何より胸を締めつける。


「……あ、ぁ……っ」

呻きにも似た、熱に浮かされたような吐息。


アルチルだった。

彼女の目はどこか濁っていて、痛みを――いや、痛みすらも高揚として昇華するかのように、歪な恍惚を湛えていた。


その光景を、愉悦の笑みで見下ろす者がいる。


フェレス。

少女たちの母を名乗る女。

手には、赤黒く染まったイバラの鞭。


「アルチル、よくやったわね」

フェレスがゆっくりと膝を折り、娘の頬に手を添えた。


「天使は殺し損ねたけど……お腹に穴を空けたのよね。ふふふっ、素晴らしいわ……」

舌を這わせるように、アルチルの頬を舐め上げる。

彼女は目を細め、まるで褒められた子どものように微笑んだ。


だがその瞬間、フェレスの目が変わる。

「でもね……」


今にも崩れそうなアルチルの左腕――フォスターに斬られたその箇所の治りかけている筋肉を、容赦なく握り締める。


「弱者に負けるような、情けない子に育てた覚えはないんだよ!!!!」


「――ぎぃゃああああああああああああああああ!!!!」


アルチルの絶叫が、木々を揺らす。

身体が仰け反り、拘束の鎖が軋む。


フェレスの恐ろしく早口な罵倒が始まる。


「ねぇアルチル……どういうことなの?誰の娘だと思ってるの?私がどれだけあなたに期待して、手をかけて、愛してきたと思ってるの……?それをこんなザマで……恥ずかしいったらないわよ。あの天使のお腹を空けられて、それで満足?ああそう、気持ちよかった?でもね、それじゃダメなの。私の愛はそんなに軽くない。あなたには勝ってほしかったの、殺して、証明してほしかったのよ、私が正しかったって!私はあなたのためを思ってここまでしてるのに、それすら理解できないの?悔しいなら泣きなさい、痛いなら叫びなさい、それがあなたの弱さを削り取る唯一の方法なんだから……分かるでしょ?分かってよ、私のかわいい、かわいいアルチル……!」


「いたいっ、いたいっ、いたいっ、いたいっ、いたいぃぃぃぃ!!!」


「お母様っ!!」


隣でミコトも叫ぶ。

もがき、歪み、涙を流しながら、懇願の声を上げる。


その声が届いたのか。

フェレスの動きが止まる。


ゆっくりと、手を離し。

目に浮かぶ色が――狂気から慈愛へと、あまりにも滑らかに切り替わる。


「ああ……ごめんなさい、アルチル。痛かったわよね。かわいそうに……」

その口調には、本当に愛おしむような優しさがあった。


「でもね、この痛みは……貴女の心を強くしてくれるの。貴女の母の愛よ」


そう言った次の瞬間。

その目に、またぞっとするような歪みが走る。


「今度……その天使に会った時は、必ず殺しなさい」

ぐにゃりと顔が歪む。


悪意と憎悪、欲望と快楽が渦巻く、母ではない“何か”のような顔。


「は……はい、おかぁ……さま……」


かすれた返事をするアルチルは、今にも途切れそうな声の中で、

それでもどこか嬉しそうに笑った。

その表情が、何よりも恐ろしい。


それは愛などではない。

けれども、確かに愛されていると信じてしまった者の笑みだった。



コツ、コツ――。


乾いた足音が、無情にも静寂を裂いてミコトへと近づく。

その音が一歩、また一歩と重なるたび、ミコトの心臓は叩きつけるように脈を打ち、呼吸も苦しげに荒んでいった。


フェレスは、ゆっくりとミコトの前に立ち、鞭の柄を顎にあてがう。

顎が無理やり上げられ、視線が交わる。

その瞳の奥には、笑顔という名の獣が潜んでいた。


「ミコト、あなた……天使を一人、殺したんですってねぇ?」


言葉とは裏腹に、声は甘く、まるで誉めているような響きだった。

だがそれがミコトをより一層苦しめる。

――カミラのことだ。

実際、あれを殺したのはアルチルだった。


「……はい……」


搾り出すようにそう答えると、

フェレスは落ちているミコトのカタナを、すっと抜き取った。

鍔鳴りひとつ響かせ、そのまま刃を、無遠慮にミコトの首筋へと添える。


「どうだった? 初めて人を殺したその感覚は……」

フェレスの声は、まるで恋の話でもしているような陶酔感を帯びていた。


「気持ちよかった?」


刃の感触が、肌に薄く触れる。

ヒヤリとした鉄の冷たさが、ミコトの全身を凍らせる。


黙り込むミコト。

呼吸の音すら押し殺すように、小刻みに肩が震えていた。


「どうしたの、ミコト?」

フェレスが小首をかしげ、笑みを崩さぬままさらに問いかける。


「……ません……」

掠れた声が、唇の隙間から漏れる。


その瞬間、フェレスはゆるやかにカタナの刃を下ろし、ミコトの肩口から胸元、腹部にかけて、まるで恋人の肌を撫でるかのように滑らせた。

それでも、ミコトは必死に目を閉じ、息を堪えたまま耐えていた。


「んー? 今、なんて言ったのかしら?」


なおも聞こえなかったふりをして、フェレスはもう一度同じ問いを繰り返す。

声が、今度は明らかに棘を含んでいた。


「……殺して、ません……」

怯え切った顔で、ようやくそう言った瞬間。


――カタナが、宙を舞った。


金属音と共に、部屋の奥へと投げ捨てられる。


そして次の瞬間。


「この……嘘吐きが……ッ!」


吐き捨てるような声と共に、イバラの鞭が振り下ろされた。

バチン、と乾いた音が、ミコトの裸の背に鋭く叩きつけられる。


「あぁあッ――!!」


叫ぶ間もなく、二撃目、三撃目が容赦なく襲いかかる。

鋭い棘が肌を裂き、血が飛沫のように跳ねた。


「他人の手柄を盗ってまで、愛されようとするなんて……惨めったらしいのよ!

そんなの、私の娘として恥よ! 恥、恥、恥!!」


フェレスの罵声と共に、鞭の音が重なる。

まるでそれは、愛の言葉のように繰り返された。


ミコトの意識が、真っ白に塗り潰されていく――。



――また鞭が振り下ろされる、その瞬間だった。


ヒュッと音を立てて軌道を変えたイバラの先端が、ミコトの頬に触れようとした刹那。


床から這い上がるように伸びた“樹の根”が、ピタリと鞭を絡め取り、寸前でその動きを封じた。


「――顔は、おやめなさい。フェレス」


空気が変わる。

それだけで、この場の支配者が誰かがわかるほどの存在感だった。


現れたのは、薄緑の衣を纏い、悠然と立つ女神。

この地を治める唯一神のひとり、ユミル。


その美貌には冷たい慈愛が宿り、声には揺るがぬ理の響きがあった。


「教育に口出しをするつもりはありませんが……」

ユミルは、鞭を握るフェレスを静かに見据えながら続ける。


「同じ“女性”として、大事な部分は、守りなさい」


声音は穏やかだった。だが、場の空気が一段と冷え込んだようにも感じた。

それは命令でも警告でもない、“当たり前”という絶対の理のように。


「……うるさいのよ、このアバズレ女神が」


フェレスが舌打ち混じりに吐き捨てた。

にたりと笑みすら浮かべているその顔は、どこか楽しげですらある。


すると――ゴォ、と大樹が低く鳴った。

部屋を包むように伸びる巨木の枝葉が、わずかにざわめき揺れる。


それは、ユミルの静かな怒りに自然そのものが反応した証だった。


「アバズレ、ね……。言葉が過ぎますよ、フェレス」

微笑んだまま、ユミルは左手をゆるく振った。


次の瞬間。

イバラの鞭がフェレスの手から引き剥がされ、床を滑り、遠くへと弾き飛ばされた。


「お尻の軽い淫売には敵わないですね」

ユミルは肩をすくめ、皮肉も忘れない。


二人の間に流れるのは、神々とは思えぬほど俗っぽく、

それでいてどこか底知れない――明確な“確執”。


「本来の仕事に戻りなさい」

ユミルは視線を逸らさず、冷たく言い放つ。

「教育は……その程度で、十分でしょう?」


その声には、押しつぶすような威圧が込められていた。

ただそこに立っているだけで、空気が凍りつくような気配。


「言われなくてもそうするわ」

フェレスは踵を返し、ゆっくりと歩き出す。


「お前と同じ空気を吸うなんて、反吐が出る」


最後にそう吐き捨てた瞬間――。

彼女の身体は、もわりと黒い霧に包まれ、闇に溶けるように姿を消した。


まるでコウモリが霧に還るように、禍々しい瘴気を残して。


そして、再び静寂が戻る。


カチャリ、と金属の軋む音を最後に、鎖が外れた。


身体の力が抜け、ミコトとアルチルはほぼ同時に、その場に崩れ落ちる。


仰向けに倒れたミコトは、荒い息を繰り返しながら、焦点の合わない瞳で天井を見つめていた。

その顔に、ひときわ強い光が差し込む。


ユミルがそっと膝をつき、手をかざしていた。


彼女の掌から溢れ出るのは、緑がかった温かな輝き。

それは高等魔導すらも凌駕する、神の力。


光が触れた瞬間、ミコトの身体に走る痛みが、まるで夢だったかのように和らいでいく。

開かれた傷口が、瞬く間に塞がり、血も痕も消え去った。


「……ありがとうございます。ユミル様……」


声は震えていたが、そこに確かな感謝の色があった。

ミコトは、近くに置かれていた羽織を手に取り、肩に掛ける。

肌を覆う布の温もりに、ようやく人心地がついたようだった。


「気にしなくて良いのです」

ユミルは静かに微笑む。


「私にできるのは、これくらいですから……」


優しげなその目には、どこか“諦め”のような陰りがあった。


ふと隣に目をやると、アルチルも倒れたまま、仰向けに微笑んでいた。


「アルチル……は、大丈夫そうですね」

ユミルが、少し戸惑いながら口にする。


彼女の反応はあまりに異質だった。

傷のひとつひとつを慈しむように、痛みを味わうように――ゆっくりと、ゆっくりと快楽に身を預けるように回復していく。


「ええ、お母様の愛を感じていたいから、大丈夫です♪」


口元にはうっとりとした笑み。

その笑顔に、常識的な安堵はなかった。あるのは、歪んだ満足と恍惚。


だが、その左腕だけは違った。

フォスターの剣に裂かれた箇所――そこだけは、回復の兆しが極端に遅い。

肉の裂けた跡がまだ生々しく残り、再生中の筋肉繊維が見えていた。


「アルチルもしばらくはまともに戦えないでしょう」


ユミルが表情を変えぬまま、淡々と告げる。

「貴女も……無理はしないように」


その声には優しさと同時に、“距離”があった。

言葉以上の意味が、そのわずかな温度差ににじむ。


明確な断絶ではない。

だが確かに、一線が引かれている。


ユミルの姿勢も、ミコトの受け答えも、どこか“最低限”に留まっていた。

互いに踏み込まぬよう、互いを見誤らぬよう、触れるのはほんの輪郭だけ。


そこにあるのは――慈悲ではなく、“摂理”だった。


「……想定外ですね……」


ぽつりと、ユミルの唇からこぼれた呟き。

それはあまりに小さく、空間に沈み込むような音だった。


「えっ……?」


ミコトが顔を上げる。

だがユミルは、もういつもの女神の表情に戻っていた。


「いえ、なんでもありません」

静かな声で返すと、ふと目を伏せ、肩の埃でも払うように言った。


「フェレスには……オルヴァルグから言い聞かせておきます」


その時だった。



空気が……変わった。

今後はしばらく火、木曜日の11時更新となります。

元のペースに戻せそうになり次第、お知らせいたします。


【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿リライト】リライト企画進行中(牛歩)

現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。

以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。


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https://x.com/r5mswm?s=21&t=YDHDT292BvtoU2Xhs0cHWQ

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