第十六夜:一時の安息 前編
(……なんだろう、この安心感。暖かい感じ……懐かしい……)
ふわりと意識が浮上する。
ゆっくりと瞼を開けると、ぼんやりとした視界の先に木製の天井が映った。
静かな寝息が聞こえる。
あたしは何か柔らかいものに包まれていて、そっと指先を動かしてみた。
毛布の感触。ほんのりとした温もり。
そして――頭の上に、誰かの手がある。
(……撫でられてる?)
「……ミナ、起きて、ミナ」
小さく揺すられる感覚。微かに聞こえる優しい声。
意識がぼんやりとしている中、その声に導かれるように呟いた。
「ん……?」
目を擦りながら顔を上げると、すぐそばにミルベーナがいた。
あたし、ミルベーナの肩にもたれかかるようにして、寝てたみたい。
「……起きたのね」
ミルベーナがゆっくりと目を開ける。
いつものクールな表情とは違い、少し眠たげな顔。
「あれ?……なんで一緒に寝てたの?」
驚いて身を引こうとすると、ミルベーナが少し口角を上げた。
「……私も寝てたのね。あなたが気を失ってからベッドで寝かせようとしたんだけど、私から離れないんだもの。仕方なくそのまま一緒にいたら、私まで寝てしまっていたようね」
「気を……失って?」
ぼんやりとした頭で、昨夜の記憶を探る。
――そして、思い出した。あの激しい戦い。光に包まれた自分。
アンドレアルフスとの対峙。
「あっ!」
勢いよく飛び起きる。
「ふふっ、思い出した?」
ミルベーナがクスリと笑いながら、そっとあたしの髪を撫でた。
「あなたがいなければ、みんな殺されていたわ。本当に……ありがとう、リージュ」
その言葉に、思わず頬が熱くなる。
「……あたし、役に立った?」
少し照れくさくて視線を逸らしながら尋ねる。
「ええ。あの場にいた誰よりもね」
まるで子猫を愛でるように、ミルベーナがもう一度頭を撫でる。
くすぐったくて、身をよじってしまう。
「さあ、私は外の様子を見に行くけど……あなたはもう少し休む?」
「ううん、大丈夫。一緒に行く」
毛布を跳ね除け、素早く立ち上がる。
「あ、そうそう。ミナって私のこと?」
ミルベーナが不思議そうに尋ねる。
「えっ? あれ……?」
自分でも驚いた。
自然と口から出た呼び方。でも、どうして?
「……なんでかな? いつの間にそんな呼び方してたんだろ……?」
「……不思議な子ね。でも、その呼び方、気に入ったわ」
ミルベーナが小さく微笑んで、軽く肩をすくめる。
外へ出ると、視界がぐんと開けた。
ヴァルストークの上層部、居住区域。
眼下には町の広場が広がり、風が穏やかに吹き抜ける。
日差しは柔らかく、雲間からこぼれる光が、
昨夜の嵐が嘘のように穏やかな朝を演出していた。
(……もう、朝どころか昼かも)
相当寝ていたんだろう。
まぶたをこすりながら、ふわりと息を吐いた。
「お目覚めですか、天使様」
突然の声に振り向くと、そこには見覚えのある男性が立っていた。
昨夜、砦の中で見かけた住人のひとりだ。
「……あっ、昨日砦の中にいたおじさん」
リージュがそう言うと、男性は穏やかに微笑み、深々と頭を下げた。
「はい。この度は町をお救いくださり、感謝いたします」
その礼儀正しさに、リージュは思わず戸惑う。
「え、いや、あたし全然何もできなくて……気づいたらアイツの前に立ってて……」
力になれたという実感がない。
昨夜の出来事を思い返そうとするが、頭の中はまだぼんやりしている。
そんな彼女の様子を察したのか、隣でミルベーナが口を開いた。
「ごめんなさい。まだ少し疲れが残っているの。少し歩いてきてもいいかしら?」
助け舟を出した彼女に、男性はすぐに頷いた。
「はい、お引き止めして申し訳ありません」
二人はその場を後にし、砦地区へ向かって階段を降りていく。
「……あの人、すごく丁寧な喋り方だね?」
リージュが不思議そうに問うと、ミルベーナは小さく笑う。
「それはそうでしょう。あなたの力を目の当たりにしたんだもの。覚えてる?」
「……うん、覚えてる……」
リージュは階段を下りながら、昨夜の記憶を探るように目を伏せる。
「……あたし……天使、なのかな?」
「まだそのあたりの記憶は曖昧なのね……。
でも、あの力は間違いなく天使のものよ」
砦の外へ近づくにつれ、町の子どもたちが手を振っているのが見えた。
リージュとミルベーナも、それに笑顔で応えながら手を振り返す。
――穏やかな時間。でも、それが続くとは限らない。
「でも無謀すぎよ」
ふと、ミルベーナの声が冷静に響いた。
「あなたが天使じゃなかったら、あのまま死んでいたのよ」
その言葉に、リージュはぎくりと肩をすくめる。
「……あ、えと……あたし……」
言い訳しようにも、何も出てこない。
ミルベーナは静かにリージュの頭を撫でた。
その手つきはまるで姉が妹をあやすように優しい。
「これからは、あんな無茶はしないこと。約束できる?」
「……うん」
その問いに、リージュは少しの間だけ迷ったが、
ミルベーナの瞳を見て、しっかりと頷いた。
「約束する」
ふわりと、笑顔が溢れる。
「それと、これ」
そう言ってミルベーナが手渡したのは――二本のミセリコルデ。
「……あっ!」
リージュは目を見開いた。
「無くしたと思った……短剣……!」
「脅されていた町の人が持っていてくれたのよ。ほら、持ってなさい」
「ありがとう、ミナ」
大切なものを取り戻した安堵感。自然と心が温かくなる。
そのとき、階段を下りきった先に広場が見えてきた。昨日まで戦場だった場所。
けれど今は違う。新しい朝を迎えた町の、人々の暮らしが戻りつつあった。
砦の上層部から広場を見下ろすと、昨日までの激戦の痕跡がそこかしこに残っていた。
崩れかけた壁、焦げた地面、戦いの爪痕が生々しい。
だが、町の骨組みはまだ健在だった。
「思ったより酷くはないわね」
ミルベーナが呟く。彼女の目の先には、
生き残った住民たちが広場で話し合っている様子があった。
「……でも、死んだ人もいるんだよね」
リージュが静かに言った。
「……ええ、十人ほど、男手ばかりだったそうよ」
ミルベーナは腕を組みながら答える。
「でも、生き残った人たちは無事に暮らせる程度には町の機能が残ってる」
リージュは足元の石畳をじっと見つめた。あの夜、自分の力がもう少し早く覚醒していたら、あるいはもっと多くの人を救えたのだろうか――そんな思いが胸を締めつける。
「生き残った人たちは……これからどうするの?」
「自分たちで何とかしていくそうよ。町の物資は残ってるし、食糧もある。
何より、砦が残ってるのが大きいわね」
ミルベーナは目を細め、広場の端で住民たちが何かを運んでいるのを見つめた。
建物の補修でもしているのだろうか。
「信徒の残党もいないし、これ以上の戦いはない。
いつも通り、ネクロスにさえ気を付ければ生きていけるわね」
ミルベーナの言葉にリージュは少しほっとした表情を浮かべる。
「……でも、ギルドには報告しなくていいの?」
リージュの問いにミルベーナは軽く頷いた。
「そこはフォルスティンがやってくれるらしいわ。
エルヴィルダの町に報告に行ったそうよ」
「フォルスティン?」
リージュが初めて聞く名前に首を傾げる
「もう一人協力してた男がいたの、町の人間が助かったのもそいつのおかげよ」
「それに妙に話がうまい男。ああいう手合いは交渉ごとには向いてるわね」
「そっか……」
リージュは少し複雑そうな表情を浮かべながら、広場を見下ろした。
昨日まであれだけの恐怖と絶望に包まれていた町が、今は静かに新しい一日を迎えている。
それが、どれほど尊いことなのか――少しだけ、彼女にも分かった気がした。
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