第十二夜:それぞれの思惑 前編
ジークは先程の白コートの信徒が落としたランタンを拾い、火を灯した。
揺れる橙色の光が、冷たい石壁をぼんやりと照らし出す。牢屋の奥は薄暗く、湿った空気が肌に張り付くようだった。
「よし、行こう」
彼はリージュに声をかけ、慎重に歩を進める。
フェリオはジークの肩にしがみついたまま、耳をぴくりと動かした。
二人は廊下を進みながら出口を探す。
しばらくして、リージュがふと足を止め、周囲を見回した。
「……何か変だよ」
ジークも立ち止まり、彼女の視線を追う。
「どうしたの?」
「ここにあった牢屋、空っぽ……」
リージュの声はわずかに震えていた。
彼女が来たときには、ここにはまだ別の捕らわれた人々がいたはずだった。
だが今、そこには誰の姿もない。
「みんな……いなくなってる」
ジークも異変に気付き、慎重に周囲を見渡した。
鉄格子の奥にはわずかに乾いた血の跡が残り、誰かが荒々しく引きずられた形跡もある。
「そういえば、信徒たちが儀式とか言ってたね……」
ジークの言葉に、リージュの表情が強張る。嫌な予感がした。
彼らがどこへ連れて行かれたのか、そして“儀式”とは一体何なのか――考えるだけで胸がざわつく。
「急ごう」
ジークの声が低く響く。リージュもうなずき、二人は足を速めた。
***
同じ頃、ヴァルストークの地下水路では、フォスターが壁に掛けられた松明を片手に、手元の地図を確認しながら進んでいた。
石造りのトンネルの中を、水が細い流れとなって流れ落ちる音が響く。
湿った空気のせいか、奥からかすかにカビ臭さも感じられた。
「……こっちか」
フォスターは眉をひそめ、地図を再確認する。
「道がやたら入り組んでやがるな……」
この地下水路を抜ければ、砦の内部へと通じるはずだ。フォルスティンの幻術による攪乱が成功していれば、敵の警備も手薄になっているはずだが――それでも油断はできない。
フォスターは地下水路の冷たい空気を吸い込み、鼻をしかめた。
湿った石の匂いに混じって、どこか鉄臭い、異様な匂いが漂っている。
「……チッ、変な匂いがしてきやがった」
手にした松明の火がゆらめき、壁際の影が大きく揺れる。
ジメジメとした水路の奥から、どこか異様な空気が流れてくるようだった。
「気のせいか……?」
そう呟いた矢先だった。
水路の先に、何かが沈んでいるのが見えた。
フォスターは眉をひそめ、ゆっくりと足を進める。
近づくにつれて、それが何なのかが明らかになってきた。
「……ッ!」
水の流れに半ば浸かったそれは、人の死体だった。
衣服は破れ、皮膚は紫がかった不気味な色をしている。
異臭の元はこれだったのか――。
フォスターは大斧の柄を強く握りしめる。
「……町の人間か?」
フォスターはそっと屈み込み、死体の様子を確かめようとした――その時。
「――ッ!」
水の中から、何かが飛び出した。
フォスターは即座に身を引き、大斧を構える。
暗がりの中、飛び出してきたのは……人間だった。
「……ったく、野良が入り込んでたか!?」
だが、違う。
フォスターはすぐに異変を察した。
飛び出した男は、虚ろな瞳をしていた。
白目を剥き、口元には泡のような唾液を垂らしている。
「――――ァァァァ」
男は言葉にならないうめき声を上げながら、よろめきつつもフォスターに向かってきた。
ゾンビか?いや――何かが違う。
動きが鈍すぎる。ゾンビならもっと本能的に襲いかかるはずだ。
「おい……生きてるのか?」
フォスターは様子を伺うように一歩踏み出した。
その瞬間、男の体がガクン、と崩れ、膝をついた。
「……ぁ……ぁ……助……け」
掠れた声が、暗闇に響く。
フォスターの眉がさらに深く寄る。
「どういうことだ……?ゾンビでも、正気を保ってるやつなんて聞いたことねぇぞ」
男は震える手を伸ばし、フォスターの足元にしがみつこうとする。
「――ッ!」
その手が、異様に黒ずんでいた。
まるで何かに侵されているかのように。
そして次の瞬間――
「クソっ、離れろ!!」
フォスターが叫ぶよりも早く、男の体が痙攣し、ピクリとも動かなくなった。
静寂が訪れる。
「……いったいなんだ、こりゃ」
フォスターは冷や汗を拭いながら、死体を見下ろす。
男の手の指先には、小さな傷跡があった。
「……?」
「これ……毒……か?」
だが、それだけじゃない。
何かが、普通の毒とは違う「異質なもの」を感じさせた。
フォスターはゆっくりと立ち上がる。
「……クソッ、なんなんだよ、わっけわかんねぇ!」
ここで時間を食ってる場合じゃない。
フォルスティンは別行動、ミルベーナも上空から様子を探っている。
ジークたちがどうなっているかも分からない。
フォスターは松明を掲げ、奥へと進む。
***
ヴァルストークの夜は静かだった。
だが、その静けさの中に、確実に“異常”が潜んでいる。
白いコートを纏った男が、悠然と石畳の上を歩いていた。
彼の足音は、誰の耳にも届かない。
フォルスティンはゆるりと微笑みながら、周囲を見渡した。
そこにいる者たちは、彼の存在にまったく気づいていない。
「いやはや、幻術とは便利なものですねぇ」
まるで空気のように、彼は白コートの群れの間をすり抜ける。
信徒たちは誰一人、彼の姿に目を向けることはなかった。
ヴァルストークの広場に足を踏み入れると、そこには十数人の信徒たちが集まり、
まるで聖なる儀式のように、低く祈りの声を捧げていた。
「……この広場が儀式の場所でしょうか?」
フォルスティンは目を細め、中央に立つ一際特徴的な男に目を留めた。
その男は両手を高々と掲げ、恍惚とした表情で七色に光る小瓶を拝んでいた。
「おや、あれは……?」
フォルスティンの口元が、より一層楽しげに歪む。
彼はゆっくりと男に近づき、その手の中にある小瓶をじっと見つめた。
七色の液体が揺れ、月明かりを受けて妖しく輝いている。
「ほほう、ソロモンの小瓶……これは調査した甲斐がありましたねぇ」
フォルスティンは内心、感嘆の息を漏らした。
信徒たちがどこからこれを手に入れたのかは知らないが、彼にとっては幸運なことだった。
「なかなかに興味深い……」
まるで芸術品を眺めるかのように、彼はその小瓶に見入った。
だが、その視線をゆっくりと別の方向へ向ける。
ふと、遠くの建物の一角が、かすかに光を放っているのに気づいた。
「……おや?」
フォルスティンは片眉を上げ、興味深げにそちらへ歩みを進める。
広場を離れ、白コートたちの間をすり抜けながら、その建物へと向かっていった。
その先に何があるのか――彼自身、心が高揚する感覚を楽しんでいた
***
地下牢の薄暗い通路を進んだジークたちは、突き当たりで足を止めた。
道は二手に分かれていた。
一方は上へと続く階段、もう一方は下へと緩やかに傾斜している通路。
これまで信徒たちと出くわしていないことからも、彼らが最後の生贄だった可能性が高い。
「道……分かれちゃってるね」
リージュが不安そうに呟いた。
ジークは上の階段を見上げる。おそらく外へ繋がる道だろう。
だが、その先には多くの信徒が待ち構えている可能性が高い。
一方、下の道からは、かすかに水の流れる音が聞こえた。
(もし外で信徒に囲まれたら……僕一人じゃ、リージュさんを守れない)
彼は息を飲み、決断した。
「下に行こう」
「上、じゃないの?」
リージュが不思議そうに問いかける。
ジークは小さく頷きながら、上の道を指さした。
「多分、上へ行けば外には出られると思う。でも、そこには大勢の敵がいるはずだ」
彼は少しだけ迷いながらも、正直に言葉を続けた。
「僕一人じゃ……君を守れない」
ドキッ!
リージュの胸が高鳴った。
(こんな状況で何考えてるのよ、あたし!?)
こんな時にときめいている場合じゃない!
彼女は内心で自分を叱咤しつつ、すぐに冷静さを取り戻す。
「ごめんなさい……足手まといになっちゃって……」
「大丈夫。この狭い場所なら守ってあげられる」
ジークの声は、迷いなく優しかった。
まるで、これが当たり前のように。
「早く逃げ出して、友達に会いに行こう」
リージュの心の奥が、温かくなるのを感じた。
こんな状況でも、彼は見ず知らずの自分を本気で気にかけてくれている。
「ありがとう」
その一言を皮切りに、二人は下の道へと進んだ。
進むにつれて、水の音が次第に大きくなってくる。
どうやら、この通路はどこかの地下水路へと繋がっているらしい。
だが、それと同時に――
足音が聞こえた。
ジークはリージュに向かって、声を出さないように手で合図をする。
そして、そっとランタンを彼女に渡した。
(人か?それともゾンビか?)
足音は次第に近づき、ランタンの灯りが揺れる。
緊張が張り詰め、ジークは息を潜めながら身構えた。
その時――
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