第六十七話『黄昏の土曜日』
修学旅行最終日も終わり、暗殺者らは旅館でつかの間の休息に浸かっていた。
即座に全員暗殺学園へ帰還したいところだが、負傷者が多いため、旅館で密かに療養を行っている。
そのため帰還までの期間が延長している。
午前七時。
速水は、旅館の屋上で座禅を組んでいた。
それは自身の心臓となっている暗殺者──真紅とじっくり話をするためだ。
「真紅、なぜお前は暗殺者になった」
(初めてナイフを握った瞬間、私は暗殺者になるんだと思った。そんな、曖昧で直感的な理由)
「そう」
速水は端的な返事をする。
表情は変えず、真紅の話を聞いた。
(そろそろ宮園の話をしよう)
「待って」
(いい加減向き合う必要がある。宮園潮、彼女の心臓についてを)
目を逸らそうとする速水に、真紅は現実を突きつけようとする。
(宮園潮は──)
「やめろ。それ以上話すな」
速水は耳を塞ぐ。
だが真紅は心の中で直接話しかけている。耳を塞いでも真紅の言葉は遮ることはできない。
「宮園潮は有栖川麗の心臓によって支配された。その原因は、既にあの時──第Ⅴクラスとの決闘が始まった直後、速水に変装した宮園の心臓を赤羽が貫いた瞬間──に宮園が死んだからだ」
(やめろォォォオオオ)
耳を塞ぎ、声を枯らして叫ぶ。
それでも残酷な現実は速水を蝕んだ。
(ポーカーフェイスはどうした)
「……うるさい」
(敵や仲間の前では誰よりも勇敢で強く、聡明な君が、なぜ暗殺者に欠かせないポーカーフェイスを崩す)
「もう黙ってよ」
速水と記憶を共有する真紅は、速水のこれまでを知っている。
速水がどのように生き、どのような振る舞いをしたか知っている。
だからこそ、今の速水を否定する。
(目を逸らして、心も塞いで、暗殺者としての生き方からさえも避けて、それでお前は何を得られる)
「知らない。もう、どうだっていい。何がどうなろうと私には関係ない」
速水の心は折れていた。
真紅が突きつける事実に、心がぐちゃぐちゃに引き裂かれる。
(改めて言う。宮園潮は死んだ。氷夜は知らぬ間に鳳に利用され、宮園を生き返らせるために心臓を移植した。だがそれは有栖川麗──悪魔のものだった)
「…………」
(その上で、お前がこれからするべきことはなんだ)
「何もない。私は……守れなかった。何も守れない」
悲痛に満ちた声がシャボン玉のように弾ける。
苦悩している。胸が締め付けられるほど。
葛藤している。心が定まらないほど。
「私は、もう……暗殺者をやめるよ」
(待て。その選択だけはするな)
「もういい。私は疲れたんだ。どれだけ慎重さを極めても、大切な人を守れなかったんだ」
空を見上げ、絶望を吐露する。
「真紅。お前の野望は果たされない。だからもう眠っていろ」
(速水、本気なのか。それは……)
真紅は速水の体を乗っ取ろうとするが、その感情を察知し、速水は自分の心臓に拳銃を突きつける。
真紅は青ざめ、硬直する。
「だったら黙って私に従え。私は本気だ」
伝わっている。
同じ体を共有し、精神を共有しているからこそ分かる。
今すぐに引き金を引いてもおかしくない。
それほど速水の精神は魔に飲まれていた。
(斑鳩、鬼灯、二人を本気にさせたのに、逃げるんだな)
「私の心は折れたんだ」
海をひっくり返すほどの悲しみが真紅に伝播する。
(そうか。君も……ただの人だった)
「私は速水碧。ただの速水碧だ」
♤
斑鳩はAクラス担任鴻巣と向かい合っていた。
机を挟み、紅茶を嗜みながら、のんびりと。
「じきに黄昏の土曜日が始まりますね」
紅茶を飲んだ後、そっと微笑む鴻巣。
斑鳩は何も言わず、表情の変化もしない。
「南国は暗殺者によって支配されていますからね。しかし誰も気付いていない。だからこそ今日、十四日の土曜日に仕掛ける」
「古木新は悪魔である有栖川の意思を継ぎ、南国の国王となった。彼の遺言として、自分が死んだら"黄昏の土曜日"を始めるとのこと。結果、今日、世界は再び混沌に落ちる」
鴻巣が南国の話をし、斑鳩は南国の支配者であった古木について思い返す。
これから起きることを考えれば、この過程は非常に最悪なものだったのかもしれない。
「ここ暗殺学園は西国と北国の目を逸らさせるための陽動。南国ではここ東国にある暗殺学園よりも大規模で優秀な暗殺者を多数輩出している。我々は完全な捨て駒だったわけだ」
表情には露にしていないが、怒りに近いものを斑鳩は感じていたのかもしれない。
「それでいいではありませんか。これでようやく私たちの目的が果たされるのですから。この黄昏の土曜日によって世界を再び混乱に落とし、その隙に全世界を乗っ取る。あなたももっと喜んでください。ようやく世界が変わるのですから」
鴻巣は希望だと言った。
これから起こることは希望だと。
「斑鳩、さてはあなた……」
「裏切り者だと? お前がどう思おうと構わない。所詮お前では私には勝てない」
斑鳩は当たり前のように言い放つ。
「そうですね。まあたとえあなたが裏切り者であろうと、もう始まってしまいましたよ」
鴻巣は携帯端末を見て、微笑む。
画面には東国、西国、北国の上層部の顔写真が何人も映っている。
「朗報です。三国の上層部の多くが死亡。これにより西国は六死刑や『見えざる手』を、北国は革命軍を奮起させようと動く」
鴻巣の発言が何を意味しているのか、斑鳩は理解している。
つまり、
「十三日の金曜日を超えるほどの被害が世界に訪れる。我々はこれより世界を奪う。鍛え上げた無数の暗殺者を使い、今度こそ世界を我らがものに」
世界は悲鳴を上げていた。
始まりはもうすぐだ。
「暗殺学園総員に伝達する。海洋都市に停泊している西国の王を暗殺せよ」
「本気か」
「はい。そのために西国を迎え入れたのですから」
鴻巣は辞める気はない。
この作戦を続けるつもりだ。
だがこの作戦が順調に進んでしまえば、とうとう世界は混沌に満ち、世界は悪魔に奪われる。
「既に第Ⅱクラスと第Ⅲクラスが動きました。止めますか。斑鳩」
「残念だけど鴻巣先生、私たちの策はもう動き出している」
「策? 仲間でもいるのですか。これほどの兵力を止めるほどの」
斑鳩と鴻巣が向かい合う部屋。
そこに続々と暗殺者が集結する。
十五人の暗殺者が武器を構え、斑鳩を囲む。
「暗殺学園卒業生、ここに全員集結です。眼帯などは死んでしまいましたので、あくまでも生きている者だけですが」
斑鳩は動揺しない。
たとえ十五人の暗殺者に囲まれたところで、斑鳩にとっては他愛もないことだ。
「私は直接手を下しはしない。裏切りはしない」
「あなたが何を言おうと、あなたはここで止めさせてもらいます。あなたという戦力さえ減らせるだけで十分な効果ですから」
「ああ。それでも信じている」
斑鳩は笑う。
(任せたぞ。速水碧)




