第十七話『決着』
速水は考えている。
赤羽は自分の右足の負傷を知っている。それを利用し、近接戦で圧せば右足が限界を迎え、じきに赤羽が勝利する。
そのため警戒すべきは赤羽本体だと。
と、赤羽は想定していた。
実際に速水が何を考えているか分からないし、何を警戒しているかも分からない。
これまで速水は常に赤羽の策を上回り、圧倒的な慎重さで暗殺を回避した。
赤羽は分かっている。自分の策が通用しないことを。
だから仕掛けた。
速水の慎重さで回避しきれないほどの策を。無数に積み上げた。
「赤羽、お前じゃ私は殺せない」
速水は自分の勝利を確信している。
それほどに彼女は対策を積み上げている。だからこそ彼女の想定している外側からの攻撃であれば通用する。
赤羽は自分が恐怖で動けないと、そう印象づけることが目的だった。
一見、赤羽は戦意喪失しているように思えた。
だからこそ仕掛けられる一撃があった。
赤羽はナイフを落とし、千鳥足で走る。速度は落ち、後続で最も速い宮園が追いつきそうなほど。
落ちているナイフを拾い上げ、背後から迫る宮園。
「殺してもいいか」
速水の殺気が向けられる。
赤羽の速度はよりいっそう遅くなり、速水と広く差ができた。
ふらつく赤羽。だが視線は一貫して速水の足元へ向けられる。
「落ちろ」
速水の足が地に触れた。まるで地面が地面じゃないかのように崩れる。
「布か」
地面と同化させていた布で落とし穴を覆っていた。落とし穴の先には幾つもの剣が刺さっている。
と、速水は直感した。
「だがフェイクだ」
落とし穴だと思ってしまうほどのなんでもない場所。一センチ程度の段差を作り、布を敷いた。慎重である彼女は常に最悪を想定するはず。
盲目的に、なにもないという考えは思考の隅に追いやられる。
生まれた刹那の隙。落とし穴に落ちないよう、まだ落とし穴に接していない足で前方に大きく跳んだ。
赤羽はこの一瞬に全てをかけた。
隣接する旧校舎に設置しておいたスナイパーライフル。それは赤羽がポケットに隠し持っているスイッチを押せば、弾丸が発射するというもの。
スイッチが押される。弾丸は音もなく、そっと速水に向けて放たれた。
もし予期していなければ、速水は死んでいる。
スイッチを押してからのコンマ数秒。だがその時間は異様に長く、無限にも感じられた。
弾丸が届くまでの刹那、緊張が全身を硬直させる。
(当たれ。当たれ。当たれ)
思いは通じた。
速水が頭を殴られたように仰け反った。
「ははっ。オレの勝ちだ」
満面の笑みの赤羽は倒れる速水を凝視する。
すぐに笑みは消えた。
「いやっ……」
速水の頭に銃弾は当たっていた。しかし速水は生きていた。血を流すことさえせず。
「ヘルメット!?」
赤羽は仰天する。
それを旧校舎から見ていた女子生徒は呟く。
「また見れるなんて。やはり速水は面白いですね」
眼帯戦で使った時のように、頭に受けた弾丸はヘルメットに阻まれた。
当然そのことを知らない赤羽には予想外だった。
「バランスを崩せば私に隙が生じる。罠じゃない罠を仕掛ければ私に隙が生じる。赤羽、全てが間違いだ」
赤羽の決死の策が通用しなかった。
敵はまだ、遥か格上。
「くそっ」
赤羽はまだ抗い続ける。
赤羽はスイッチを複数所持していた。それは旧校舎に仕掛けてある合計七つのスナイパーライフル。
「速水、オレはまだ負けていない」
「いいや。負けだよ」
赤羽が隠し持っていたはずの七つのスイッチ。その内の六つが速水のポケットから出てきた。
「既に詰みだ」
ゴールまであとわずか。
これから仕掛けようとしていた暗殺は全て封じられる形となった。
赤羽は最後の力を振り絞り、全力で走り出した。隠し持っていたもう一本の折り畳みナイフで襲いかかる。
周りの生徒には視認できない角度、速さで攻撃を浴びせ合う。互いの刃がぶつかり合う度、金属音とともに火花が散る。時折刃が欠け、飛び散る。
激しい攻防は、周囲から見れば持久走で一位を争う二人にしか見えない。だが本当は命の奪い合いをしている。
「お前は私を殺して自分の強さを証明したいみたいだけどさ、それは無理だ」
「まだ負けてない。オレの刃はお前に届く」
「届かない。君の刃はもう、折れている」
赤羽が握っていたナイフは全てグラウンドの砂のように、粉々に砕かれていた。
「これで君の持つ武器は全て喪失した。今のお前じゃ私は殺せない」
速水は加速し、赤羽との距離を一気に引き離した。
圧倒的力の差を目の当たりにした赤羽は、自然と速度を緩め、ゴール直前で足を止めた。
「…………」
結果、赤羽クロウは持久走の記録なしで体力測定を終えた。
全てを終えた先で赤羽に残されたのは、途方もない敗北感だった。