ここが現実
ほんの少しグロ注意
ある日また夢の中では私にすがって泣くセジュがそこにいた。
「僕が嫌いになったの? だから死んで逃げたいの?」
違うと私は言わない。言えるほどもう体力が残っていなかった。口はカサカサで、喉は乾いて張り付いている。
「リュー、お願い、食べて。僕の事が嫌いになったんじゃないなら、生きて。ねぇ……ひと口だけでいいから」
唇につるりとした感触があてられる。それでも私は口を開けずにいた。でも逃げるどころか腕を払う力もないので無理矢理口に入れようとすれば出来るのに、セジュはそうしようとしない。
「リュー……リューイカ、僕の愛しい子。僕の唯一。おねがい」
いつも甘いセジュの、より優しくて溶けそうなくらい甘い声が私を呼んだ。
その可哀想なくらい悲しそうな声に、決心したはずの私の心がグラグラ揺れる。
0か100じゃなくても良いんじゃないか。私の思い込みにしろ、体調が夢と現実に影響してるなら……50と50になるくらいで過ごしたらどうだろう。
現実の私は皆勤賞の健康優良児じゃなくなるけど、この夢の中の前の私みたいないつ死ぬか分からないような病人にはならない。せいぜい、ちょっと体が弱いくらいで、現実もこっちも生きていけるんじゃないか。
これ以上、セジュも……この世界の私の両親だって人達やお世話係の人達の悲しそうな顔を見てるのがつらくて、そう思ってしまっていた。
声の元、いつの間にかセジュの顔がすごい近くに来ている。つるりとした何かを私の唇にあてる手と、もう片方は私の頬に添えられて優しく撫でている。私がこの夢の中で何度も救われた、柔らかくてすべすべの大好きな手。セジュの涙だろうか、温かい雫が降り注いで、目を閉じた私のまぶたにポタポタ落ちる。
「リューの目が覚めてお話しできるようになるのをずっと待ってたんだよ。お願い、僕を……僕のいるこの世界を見捨てないで……」
……私の、夢の中だけど。夢が作り出したほんとはいない人でも、これ以上泣いてる顔は見たくないと思って。
拒絶していた私の心がほろりと解けてしまったのが分かった。
「……ありがとう」
薄く開けた唇に、そのつるりとした感触が押し込まれた。プチトマトより二回り大きい……弾力のある丸い何か。
「お願い、僕から離れようとしないで……リュー、僕からリューを奪わないで……」
口の中でなかなか噛めない大きさの球体がころころ転がる。何も食べてなかった私の体は噛む力もほとんど失ってしまっていたみたいだった。
ちょっとしょっぱい気はするけど、とくに味はしない。セジュは私の唇に指で触れる、そのなめらかな指が触るたびに自分の唇が今すごいカサカサになってるのが分かって少し恥ずかしくなる。
「半分も彼方に渡すなんてもう出来ない」
「え、」
ベッドに横になる私の胸元に、セジュが手を乗せた。
ささやかながら膨らむそこに、指がぐっと沈んで……命を直接握られた、それが分かって恐怖を感じてしまった。
どうして、こんなに。……セジュが、怖いの?
神様だなんて、私の夢の中の作り話じゃないかなんて理性の言う事はもう関係ない。セジュが怖かった。人間ではないと、この世界の両親やお世話係の人達とは違う存在であると、この距離になってはっきりと分かってしまった。
何故そう思ったのかなんて理由は関係ない、セジュの存在が、怖い。きっとこれは本能的なものだ。反射的に私はつぶっていたまぶたにギュッと力を込める。
そうすると口に含んでいる何かが途端に恐ろしくなった。私は、今、何を食べさせられているのだろう?
「リュー、大丈夫、こわくないよ」
「っ……!」
見透かされたような言葉がかけられて、セジュの気配が目の前に迫った。あ、と思う間もなく口から得体の知れない何かを吐き出そうとした寸前で唇を塞がれてしまう。
逃げ場を奪うように、頬を撫でていた手は私の後頭部に回される。抵抗しようとすると余計に口付けが深くなり、手と同じく滑らかな粘膜が私の口の中に入ってきて噛めずにいたままの球体を喉奥に押し込まれた。
お母さん。お母さん、お父さん……誰か、
ああ、あ……どうしよう。
キスをされていると思うよりも、強引にその球体を食べさせようとしてくるセジュに混乱するしかない。
胸を押し返しても何の抵抗にもならない。
溢れた唾液が私の口の端から垂れて耳と首を冷たく濡らす頃に、セジュが強く舌で押しつぶしていた球体がぶちゅりと潰れて中のドロっとした液体が口の中に溢れた。
そのまま口付けを続けられて、こくりこくりとそのほんのりしょっぱいドロドロが私の喉に流れる。球体を構成していた外側の皮のようなものも喉奥に押し込まれて、それも全部、少しえづきながら飲み込むとやっと唇が解放された。
「……やっぱり、神樹の実でゆっくりやるんじゃなくて最初からこうしておけば良かった。そうしたらリューが倒れる事もなかったのに」
おそるおそる目を開けると違和感に気付いた。セジュの金色の瞳が片方しか見えない。暗くて影になってるのかと思ったけど、本来あるべきはずのそこには真っ暗な空洞があって、そこからぽたぽた落ちているのは、涙じゃなかった。
だからと言って血でもない。金色の液体が、目があったはずの穴から血みたいに溢れて私の顔を濡らす。まるで泣いてるみたいだ。
今飲み込んだものに対する恐怖心よりも、ああやっぱり人ではないんだと実感した方が強くて私は片方残った金色の瞳を見上げることしか出来ない。
「……これでもう彼方には戻れないね」
私の心臓があるあたりに手のひらを置いたセジュが、涙の残った顔で嬉しそうに笑う。
私は、遅かったのだろうか。もっと早く気付いていれば、半分ずつ生きていく事も出来たのかもしれない。
セジュを飲み込んだ瞬間から、抱いてた恐怖心はすっかり消えてなくなった。ああ、きっと「馴染んだ」んだろう。
「リューは、これから僕と一緒に生きていくんだよ」
「うん……」
「ずっと、これからずっと一緒だね」
セジュは幸せそうに微笑み返す。かたっぽしかない金色の瞳は三日月みたいに細められて、私の頬に優しく口付けた。