つめ
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夜、布団から足を出して寝ると、オバケに爪を剥がされるんだよ。
《どこかで聞いた話》
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善治郎もアシュレイも、夜寝るときは布団に足をしまって寝ます。
例え、夏場暑くても。
なぜそんなことをするのかと言いますと、善治郎とアシュレイがとある噂を信じているからに他なりません。
夜、布団から足を出して寝ると、オバケに爪を剥がされる。
根拠はありませんが、善治郎もアシュレイも、子どもの頃からこの噂をずっと信じ続けています。
けれど、ある日。
善治郎とアシュレイは、夜中に爪を剥がしていくオバケをぶちのめそうと考えたのです。
理由は簡単。
いつまでもオバケに爪を狙われ続けることに怒りを覚えたからです。
「今日こそは爪を剥がすオバケに一撃喰らわせるヨ」
「……おう」
この日の夜。
最初の作戦として、善治郎とアシュレイは靴を履いたまま寝ることにしました。
靴を履いていれば、布団から足を出していても爪を剥がされるまでに時間を稼げるし、靴を脱がせる感触に気付いて目を覚ませるからです。
そうなれば、あとはオバケを殴るだけ。
二人は緊張しながら、同じ部屋に布団を敷いて、掛け布団から靴を履いた足を出して眠りにつきました。
深夜になると、人の爪を剥がすオバケがやってきました。
大きさは人の足ほどしかない、ネズミのような鋭い前歯を持つ、目と鼻のない人間の姿をした毛むくじゃらのオバケです。
目も鼻もないオバケは、自分の足音が物に当たり跳ね返る音を聞いて、人の足の場所を探すのです。
オバケは、布団から二人の男の足が飛び出ているのを見つけます。
けれど、男は裸足ではありません。
オバケは爪を探してぺたぺたと靴を触りましたが、結局、どこに爪があるのか見つけられなかったらしく、しぶしぶ帰っていきました。
翌朝。
「オバケ、来なかったネ」
「……いや、靴を脱がせられなかっただけだろ」
やたら汗をかいて気持ちの悪い足を、靴から解放しながら二人は反省会を始めました。
爪を剥がすオバケは、体が小さいとの噂なので靴を脱がせられない可能性が高い。
それならば、次は裸足で挑戦する他ないでしょう。
そして、この日の夜。
今度は、二人とも裸足で布団から足を出して寝ることにしました。
「……いいか?深夜2時から4時までが俺の見張り時間、4時から6時までがお前の見張り時間だ」
「オケィ。今度こそブチのめせるといいネ」
二人は、昨日と同じように同じ部屋で眠ることにしました。
最初は、善治郎が起きて見張りをする時間です。
善治郎は抜き身のドスを片手に、アシュレイの足元に座り込みました。
アシュレイが眠りにつき、寝息が聞こえてきます。
善治郎は、いつオバケが来てもいいよう気を張りながらアシュレイの足を見張ります。
足を見張るのは、それはそれはもう暇な作業でした。
だんだん、集中力が途切れてきます。
集中力が途切れると、次は眠気が襲ってきました。
「…………」
眠気はどんどん強くなり、善治郎は無理やり瞼を開けている状態で、ふと、アシュレイを見ました。
アシュレイは、気持ちよさそうに寝ています。
善治郎は思いました。
気持ちよさそうに寝やがって、俺がどんな大変な思いをして起きているかも知らないで。
善治郎は怒りを覚えました。
そして、その怒りはすぐにイタズラ心に変わりました。
そうだ、アシュレイの爪を触ってビビらせてやろう。
そう思ったら、善治郎の行動は早いのです。
善治郎はドスを置き、アシュレイの足元へと忍び寄ると。
アシュレイの爪の先に指をかけ、力を込めました。
「ウワアアアアアア!?」
途端、飛び起きるアシュレイ。
善治郎はゲラゲラ笑いながら、まだオバケを探しているアシュレイを指差し腹を抱えます。
「善治郎!オバケ!オバケ来たァァア!」
「……いや、あれは、俺だ。ブフフッ」
アシュレイは、一瞬何が起こったのか理解できず、ポカンとしながら固まりました。
そして。
「何すんダヨ!何してんダヨ!頭狂ったのかヨ!」
まだ落ち着くことができない様子で、アシュレイは怒りを顕にします。
「……わりィ、あまりにもアシュレイが気持ちよさそうに寝てたから」
「ふざけんなヨ!次やったら顔面殴るからナ!オレが顔面殴ったら、善治郎死ぬからナ!」
それだけ言って、布団に戻ろうとするアシュレイでしたが。
「……おい待て。次はお前が見張りだ」
「アー、もうそんな時間?わかたヨ……」
すっかり目が覚めてしまった様子で、布団に入った善治郎の見張りにつきました。
「……オバケ来たら殴れよ?おやすみ」
「オヤスミ」
アシュレイは、布団に入った善治郎を眺めながら思います。
善治郎は、眠りが浅い上に寝つきが悪いんだよな、と。
それが職業柄のことなのかどうかはわかりませんが、眠りが浅いということは、物音がしたらすぐに起きられるということであって、例え敵の襲撃があったとしてもすぐに逃げられる、もしくは交戦できるということです。
そんな善治郎が熟睡したと分かるのは、彼が寝言をいい始めたとき。
どんな寝言を言うかはその時その時で違うのですが、アシュレイは善治郎が寝言を言い出すときを今か今かと待ちました。
そして、一時間が過ぎた頃。
ついに善治郎が寝言を言い始めました。
「…………おい、マジでいいのかよ……」
さて、何の夢を見ているのでしょうか。
「…………すげェな……じゃあ、触るぜ……?」
どうやら、健全な夢ではなさそうです。
けれど、夢の内容など、どうでもいいのです。
アシュレイは、この瞬間を待っていました。
狙うは、善治郎の足の爪。
アシュレイは善治郎の足の、親指の爪にそっと指をかけ、ガッと力を込めました。
「うわああああああ!?」
途端、飛び起きる善治郎。
善治郎は焦り慌てた様子で辺りをキョロキョロと見回し、オバケを探します。
アシュレイの復讐は成されました。
「プ、ッ!アハハハハハハ!アーハハハハハハ!」
笑い転げるアシュレイを見て、善治郎は全てを理解しました。
「……っ、お前かァァア!」
善治郎はアシュレイに飛びかかり、投げ飛ばそうとしましたが、逆にアシュレイに隙をつかれ、力技で投げ飛ばされる羽目になりました。
この夜、ずっと物陰に隠れていたオバケは、大きなため息を吐いて帰っていきました。
朝。
善治郎とアシュレイは、布団の上に無言で座り込んでいました。
「…………」
「…………」
寝不足です。
しかも、お互いにお互いの裏切りがありました。
「…………」
「…………」
二人とも、物凄い、鬼のような形相です。
と、ようやく善治郎が口を開きました。
「……なァ、アシュレイ。今回の敗因は何だと思う?」
言うまでもなく、善治郎の最初のイタズラが敗因でしょう。
けれど、アシュレイはそうは思っていない様子です。
「そんなの、もちろん片方が起きてたことダヨ。オバケってだいたい、みんな寝てるときに来るよネ?」
「……だよなァ」
どうやら、この二人にとってお互いの裏切りは大した問題ではないようです。
二人は、再び黙ります。
そして、ひとしきり黙ったあと。
「もう、アレをやるしかないヨ」
「……アレしかねェよな」
二人は立ち上がり、屋敷の倉庫へと向かいました。
そこは、拷問用具のしまわれた倉庫でした。
そして、夜。
ガスマスクをつけた二人が、そこにはいました。
布団の上で、ドクロマークの瓶に入った赤い液体を、足の爪に塗っています。
「……あいつァ、口で爪を剥がすんだ。なら、この作戦は有効なはずだ」
「ゲホッゴホッ、ガスマスク越しでも目と鼻が痛いヨ……」
毒、でしょうか。
いいえ、これは。
「……世界一辛い唐辛子……これを口にすりゃ、オバケは死ぬはずだ。カプサイシンにも致死量ってものがあるからなァ」
「アッ、爪先が熱くなってきたヨ……ていうか痛いヨ」
「……よし。塗り終わったな?」
「オケィだヨ。じゃ、寝よう」
最後の戦いが始まろうとしていました。
二人は、ガスマスクをつけたまま布団に入り、掛け布団から足を出します。
そして、瞼を閉じました。
二人が寝静まった頃。
部屋の隅から、オバケが現れました。
今日は、誰も起きていません。
それに、二人とも裸足です。
オバケは、喜びのあまり小躍りしています。
ようやく、この二人の爪を剥がせる。
その一心で、オバケはまず、アシュレイの足に向かいました。
アシュレイは、ぐっすりと寝ています。
爪を剥がすチャンスです。
オバケは、大きく口を開け。
アシュレイの、足の爪を……
「ギャアアアアア!」
耳をつんざくような、悲鳴が上がりました。
翌朝。
「……おいアシュレイ。夜中、叫んだか?」
「ンーン、叫んでないヨ」
ガスマスクをしたままの二人が、眠そうに話していました。
「……それより、爪は無事か?」
「…………なんか、痛いヨ……」
アシュレイは、自分の爪を見て「ウ、ウワァァア……!」と大げさに慌てます。
「……おい、お前……まさか……!」
「ウソだヨ」
「……てめェ、趣味の悪ィ冗談やめろよ!」
「ゴメンゴメン。でも……オバケ、来なかったネ」
「……だな」
二人は、最後の最後まで、オバケに気づきませんでした。
オバケは、今も部屋の物陰で舌を出してヒィヒィ泣いているというのに。
「デモ、こんなに足を出して寝てても来なかったってことは……」
「……爪を剥がすオバケなんざ、最初から存在していなかった、としか考えられねェな」
「ダネ。オレたち、何と戦ってたんだろうネ」
「……まァ、いいじゃねェか。これからは夜中に足を出して寝られるんだ」
オバケは、二人の中では、存在ごとなかったことにされました。
なかったことにされてしまったオバケは、ヒィヒィ泣きながら、冴崎組の屋敷から悲しそうにとぼとぼと去っていきました。
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爪を剥がすオバケはね、それを信じている人のところにしか来ないんだよ。
《どこかで聞いた話》
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