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春の歌  作者: えぎゅぇあぅたr
14/20

茶道部−4

生徒会室を出ると、何故か星原が廊下に立っていた。

「ど、どうした、こんなところに」

慌てて聞くと、彼女は答える。

「江田君が、天草先輩に連れていかれてるのを見て。何かされなかった?」

どうやらこいつは、天草が昼休みの借りを返すために俺を連れて行ったのだと思っているようだ。

その考えを、笑って否定する。

「いや、心配するようなことはなかった」

星原は力ない瞳でこちらを見ている。

「そっか、無事ならいいけど」

「ああ、大丈夫だ。それよりも」

応え、言葉を切る。

俺が背を向けている生徒会室にはまだ、天草がいる。もしかしたら今頃、茶道部員を疑ったことを悔やんでいるのかもしれない。

なぜ彼女は俺の推理を信じたのだろうか。「犯人は茶道部ではありません」という、たったそれだけの言葉に、彼女はなぜ信憑性を見出したのか。

これも推理にはなるが、彼女はきっと、自分の推理を否定する存在を探していたのかもしれない。自分の疑いを一切振り払ってくれるような存在を。だから茶室の前であれほど挑戦的な言い方をしたり、「何か隠しているのではないかと邪推してしまいますが」という言葉ですんなりと身を引いたのかもしれない。それは彼女の心の中の話だから、彼女以外にそれがわかる者などいはしないだろう。だが、この推理が当たっているならば、俺はまた、まんまと他人の思惑に引っかかってしまったということになる。

まあ、それでもいいか。踊るのにも、慣れてきたころだ。

「すこし、考えたいことがあるんだ」

そう言うと俺は、歩き出した。星原も、後を追うようについて来ると、隣に並ぶ。

並んで、廊下を二人で歩く。俺の頭の中は、事件の解決のためにフル回転していた。天草にあれだけ堂々と語ってしまったのだ。やっぱり解けませんでした、では忍びない。

そんな俺の横顔を、星原が上目がちに覗いていた。それに気づき、ぎょっとすると、彼女は不思議そうな顔をした。

何も言わずに見つめられるというのも、気分がいいものではない。きっとそれは一般的な感情だと思っているが、どうやらこいつの中ではそうではないようだ。

ここ何日かでやっと俺はこいつと気軽に話すような仲になったが、そんな短い期間の中で気づいたことがあった。こいつはどこか、世間離れしているような面が見受けられる。まあ、今日の昼休みのときのあの緊張感を感じ取っておろおろしていたことや、この間の放課後に、俺に水をかけてしまったことに申し訳なさを感じていたことについては人並みの反応だと言えるが、春休み、それまでほとんど話したこともなかった俺を自分の疑問に易々と巻き込んだり、成り行きとは言え興味があるからといきなりこの事件解決に参加したいと言い出したり、そんな行動を見ていると、どうにも彼女は人の心の隙間に入ってくるのが上手いというか、容易に入ってくるというか、芸術的にすら見えるような気安さを感じる。しかし、そこに嫌悪感を抱かないのはなぜだろうか。

それを言えば、洲上に関してもそうだ。人見知りで人間関係に限って言えばドライな性格のこの俺と、こんなに長く友達としていられる奴というのもなかなか珍しい。あいつもあいつで人に対して大らかで、敵を作りにくく、すぐに友達になるような奴だ。色んな奴らと話しているのをよく見かける。

俺はこいつらを、厄介ごとを運んでくる悪いコウノトリのようなものだと認識している。面倒くさがりな俺に、変な疑問を持ち掛けて解決に巻き込もうという気概をもつ、特異な人種だからだ。だがしかし、なぜだろうか。こいつらほど、俺の心にすっきり収まるような、そんな人間はいないと感じるのは。

面倒なはずなのに、なぜ。

俺は頭を振った。今は事件のことを考えるのが最優先だ。俺の深層心理のことなんぞ、心理学者でもあるまいし、分かるわけがない。

「どうしたの?」

そんな俺の様子を見てか、星原は心配そうにこちらを見ていた。

「い、いや、なんでも」

変なところを見られたという羞恥心がぽつぽつと湧いて出てきた。そんな思いを振り切るように、咳ばらいをした。

「星原、お前、俺の名前は憶えていたか」

自分でも唐突過ぎて、不自然な質問だと思った。

彼女はこちらを見、黒目を天井に向け、また視線を俺に戻した。

「どういうこと?」

ああ、確かに、言葉足らずだったか。

「ああ、いや。あの日、春休みにたまたま会ったときのことだが」

と言って、もう一つ疑問が生まれたので、続ける。

「四方田公園でのことだが、お前と話したんだったよな?」

彼女はあの公園での一件を話題にも出してこないので、もしや忘れたのか、それとももしかしたら別人と勘違いしているのではないかと思っていたのだ。どうやらその無用だったらしく、彼女は「ああ」と思い出したような声を上げた。

「あの時の、三人組の人たちの関係を考えたときのことね。あの時に江田君の名前を憶えていたかっていうこと?」

「そうだ」

彼女はくすっと笑った。

「憶えてたよ。だって一年間同じクラスだったんだし」

「ああ、そうか。それはそうだよな」

彼女は笑顔をこちらに向けた。

「なんでそんなこと気になったの?」

「そういえばあの時、一回も名前を呼ばれなかったよな、と思い出して」

「そうだっけ」

そう言うと星原は、天井に目線を向けた。どうやら考え事や何かを思い出そうとするときには、こんな仕草をするらしい。

「そういえば、江田君もあの時私の名前、呼んでない気がする」

ああ、そんなこと、覚えていたのか。これはまずいな。見れば、彼女は挑戦的な目で俺を捉えている。なんとか誤魔化さねばなるまい。

「そうだったか。すまん、覚えていないんだが」

「そう」

彼女はまた笑って、足を止めた。それから数歩歩いたところでそれに気づき、俺も立ち止まって、後ろで立っている星原に半身振り返った。

俺は今の一瞬、星原から目を離せずにいた。彼女はただ数並ぶ教室の扉を背景にリノリウム質の床に突っ立っているだけの、背の低い女子高生だ。何ということはない、ただの一人の女子。

ただ、そんな彼女の、笑みを帯びた顔を正面から堂々と見たのは初めてだった。そのせいなのかもしれない。いつもとは違う姿を目にした、その時の俺は、それこそまるでハシビロコウのように固まった。それはたった一瞬の出来事だった。だがその一瞬は、一生のことのように脳裏に焼き付いた。

 ただでさえ生徒の少ない北棟の、ましてや三階の廊下には俺たち二人以外に誰もいなかった。窓の外には青空が広がり、丸みを帯びた白雲が数多浮かぶ。その下にはグラウンドで動き回る運動部の姿があった。彼らから聞こえる青春の叫声が、開け放たれた窓を通してこの廊下にまで微かに響いている。それすら届かぬほどの、二人の間に刹那あった静寂を、一吹きの春風が揺らした。

 風で揺れた星原の長い髪先に視線が向いたことで、俺は魂を取り戻したようだった。

青春の音が、思い出したかのようにボリュームを増して耳に入ってきた。

 俺は、やっと口を開くことが出来た。

「どうした」

 窓ガラス四枚分ほど先にいる星原は、揺れた髪を手櫛で整えながら、言葉を紡いだ。

 「なんで江田君が私にそんなことを聞いたのか、当ててあげよっか」

 その挑戦的に笑う目は、この事件で探偵役を任せられている俺への、一種のアイロニーの顕現だろうか。それとも、心算を見抜いたことによって現れた、悦楽の噴出であろうか。どちらにせよ、俺は彼女の提案を否定することはできなかった。

 「ああ」

 「江田君、私が同じクラスだったってこと、憶えていなかったでしょ」

 自信ありげに言う。しかし、それは違う。

 「いや、お前の顔と、同じクラスだということは憶えていた」

 「じゃあ」

 一言おいて、続ける。

 「名前、忘れてたんだ」

 挑戦的な目が、少し陰った。予想が外れていたこと対する落胆か、それとも。

 さっき天草に言われた言葉を、思い出す。

 「なるほど。江田さん、あなたは本当に正直者のようですね」

 天草の言った通り、俺は正直者なのかもしれない。決して嘘をつかないというわけではないが、思った事や考えたことをすぐに言動に出してしまうところがそうなのだろう。こいつと解いた四方田公園の件もそうだ。俺は素直に推理をしたせいで、あんな悲しい結末を彼女に示すことになってしまった。そしてなにより、この面倒くさがりの性格もそうだといえるだろう。俺は自分の気持ちに対しても正直なあまり、あらゆることを厄介だ、面倒だと感じるようになってしまっているのだ。このまま俺は口の開くまま、心の向くままに行動していていいものなのだろうか?

 星原は、翳りを見せながらも表情は明るく見せようとしている。無理をしている。自分が知っている相手に、「すまん、お前の名前知らないわ」などと言われたことに対するショックは、きっと大きいだろう。これは俺の性質が招いた悲劇だ。謝ったところで、彼女の気が晴れることはないだろう。だから。

 「そういえば星原は、すごく勉強ができたよな」

 「えっ」

 暗雲を忍ばせていた顔を上げた。目を真ん丸にして俺を見た。

 「今度教えてくれ」

 俺がそう言って体の向きを変えて先に歩き出すと、しばらく突っ立っていた星原は足早に追いつき、隣に並んだ。

 「江田君は確か、数学が苦手だったよね」

 隣でふふっと笑う彼女から、顔を背ける。それをYESの返事と受け取ったのか、続ける。

 「足し算引き算から教えてあげるね」

 「それぐらいわかる」

 星原の冗談に、素早く突っ込みを入れると、二人して笑った。

 渡り廊下で北棟三階から教室棟三階に渡り、階段へと向かう。その頃になると、生徒が廊下を歩いているのがちらほらと散見し始めた。

 一年生の頃の数学のここがわかる、ここがわからない、と話しながら、俺は頭の中で別のことを考えていた。

 彼女の名前を憶えていなかったということを正直に露わにしてしまったのは、はっきり言って失敗だった。だが、それによって、俺は一つの閃きを得ていた。無理やりだが、ありえないことではない。あとは、それをどうやって知ったのか。


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