真夏の狂犬注意報! その三
販売が開始されるまであと10分というアナウンスが流れた。
それからもロキはなるべく喋らないように前を向いていた。今祈るのは、ただこの列が動き出してくれることばかりだ。そしてその間に後ろの狂犬が自分に襲い掛からないようオブラートに対処していく他にない。
「お母様も北欧プリンセスを遊んでらしたのですね」
不意に後ろからフェンリルの声がして、ロキは振り返り、しどろもどろに頷いた。
「あ、ああ、やっているぞ。全キャラの全エンディングと隠し要素もコンプしたくらいには……」
「そうですか。フェンリルが一番お気に入りなんですか」
「へ……と、当然だ! お前のことは我が娘の中で一番お気に入りだぞ! ほら、な、だって他は皆糞っ垂れなアースガルズにいないだろ、な!」
「私のことではなく、北欧プリンセスのフェンリルのことです」
「あ……ああ、そ、そうだな! 一番お気に入りだぞ! いや、だって、グレイプニルに縛られているところとか、ほら、マジで可愛いだろ! 主人公に放置されて、それで闇落ちしたシーンは名場面だしな!」
「そうですか」
ふう、とロキは胸を撫で下ろした。どうやらフェンリルを刺激しないで済んだようだった……
「私は嫌いです。生意気な犬なんて」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
何てことだ!
完全に地雷を踏んでしまったではないか!
汗で濡れたジーンズは少しだけレモンティーで補充された水分により再び黒く染まった。
「どうかなさいましたか?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいいいいいいい!!!!! 知らなかったのだ! 我が娘が、フェンリルを嫌いだったは! 今すぐグッズを燃やす! 燃やすからなああああああああ!」
「やめてください。今でさえシャツが透けているんですから。これ以上は公然わいせつ罪で死刑になりますよ」
「な。ななな、し、しかし、まだ今死ぬよりも、脱いだ方が……脱いだ方がああああああああ!!!!」
「やめろって言ってるだろ、糞餓鬼が」
ああ……これほどニヴル・ヘルを感じることがあるだろうか。
怒りが混ざったような言葉に、ロキはもうどうすればいいのか分からずに唖然としてしまっているではないか。
「お母様の趣味は知りませんが……私は嫌いだというだけです」
「あ、あは、あはは、はは」
出来事はもうロキのキャパシティを酷くオーバーしていた。真夏の直下の中で、ロキは別の自分の娘……女王ヘルが橋の向こうから招いているのを眺めているような気分だった。




