真夏の狂犬注意報! その二
「何で何で何で何で何で何で…………」
小さくロキは呟く。しかし、それでもこの場を動くことは出来ない。列から外れてしまったら『北欧プリンセス~(略)』を買えなくなってしまうからだ。
ロキは自分の娘のことを思い出す。
縛られながらもテュールの手を噛み千切った少女。狂犬らしくアースガルズで凶暴に振るまった少女。そして今では岩場の家でグレイプニルに囲まれひたすらに引き篭もって通販と出前で生活している、自分の娘……
あのテュールの手を噛み千切ったときの爆笑を未だにロキは忘れているわけではない。だが、逆に自分が噛まれるのは御免だ。そして、おとなしくしていたが、確実に自分を含めてアースガルズの神々に対し、フェンリルは凄まじいほどの怨恨を抱いていることだろう。
「いや、いやいやいや……落ち着くのだ……そうだ、よく似た人間かもしれない……そうだ、ショートロングで眼鏡であれくらいのオタク系女子など、量産型のようなものだ……ならば、他人の空似か……そうだよな?」
もう一度ロキは振り返るが、後ろの少女はやはり凄まじい視線でロキを睨みつけていて、すぐ怖くなって前を向いた。
「い、いや、いやいやいや……間違いなく駄犬ではないか。いや、何で? マジで、何でいんの? いや、まだ私様ってばれてないし……このまま黙って何事も無いように事を済ませよう……」
そう決めたロキの脳裏には既に『北欧プリンセス~(略)』のことなど微塵もなかった。浮かぶのは、狂犬に噛まれる自分の姿ばかりである。背筋の汗は酷くなり、まるでバケツを被ったようにロキはなっていた。
「お母様、脱水は大丈夫ですか」
びくりとロキは跳ね上がりそうになり、ゆっくりと振り返った。
冷たい瞳は変わらずロキを見下ろしていて、そして視線が合い、ロキはまた前へと向き直った。
「気のせい気のせい気のせい気のせい……」
「お母様、どうしてそっぽを向くのですか」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ぶち殺すぞ、糞餓鬼」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」
ついにロキは叫びをあげて腰を落とした。
その叫びに驚いた人々はロキの方を見て、そして何でもないことに気がつくとそのまま元の行動へとそれぞれ戻った。
「大きな叫びをあげないでください。静かに待つのがミズガルズのルールでしょう」
フェンリルの声に何とか自我を保ちながら、ロキは立ち上がり愛想笑いを浮かべた。
「は、あははは、は、いや、な、まあ、ほら……ともかく、その、あれだ、そ、そうだとも、まあ、何だ、わかるだろ、な、そういうことだ」
「具体的にはっきりと言ってください。まったく通じません」
「いや、ひ、人違い、人違いじゃないかなーって。ほら、私様って、幼女じゃん、幼女にお母様って、ほら、まあ、シチュはいいかもしれんけど、ほら」
「まだ惚けるつもりですか。あんまり馬鹿にすると、我慢しませんよ」
「む、無理! いや、そうじゃない! 試した、試したのだ! なあ、あ、あは、あははははは!」
「レモンティーをあげるので飲んでください」
「い、いやーすまないな、フェンリル、我が娘よ。しかし、レモンティーって、なんか聖水っぽいよなーなんて」
「は?」
威圧的な言葉にロキはもう意識が飛ぶ寸前だった。
もしも自分があと数秒後に殺されると予言されたならば、間違いなくロキはその予言を信じ泣き叫んだことだろう。
「いや……あは、おいしいな! おいしいな、レモンティー」
「普段 VCで私のことを糞犬やらワンコロといっているのに、今日は我が娘なんですね」
「そ、それは、ネトゲと現実じゃテンション違うから、な、そういうものだろ!」
「大きな声を出さないでください」
「ご、ごめんなさいいいいいいいいい!」
怖くなりロキはまた前を向いてレモンティーの水分を全身から出しながら黙ってしまった。




