二次元の嫁暗殺計画 その六
会議室の空気はコメディーのカテゴリーと分類されないと思うほどにどんよりとした空気が漂っていた。壁や天井はヨトゥン・ヘイムのように薄暗く染まり、誰もが絶望を抱き、あるものは恐怖している。もしや皆ニヴル・ヘルよりも恐ろしい瞬間を味わっているのかもしれない。
「まさか、あんな状態のオーディン様がロキを見ているとは……いや、今だからこそ見ているのかもしれないが……なんてことだ!」
テュールは怒りと混乱に任せるように叫ぶ。だが叫びはむなしい。どんな叫びも最高神を前にしたときには部屋の隅の埃以下の価値しかない。
「やはり、どうしたら勝利の剣を取り返せるというのだ……いやだ、ゲルズと離れるのだけは絶対にいやだ! くそ、こうなれば事が始まる前にミズガルズに逃げるのか! いや、どこに逃げればいい!」
全ての世界を巻き込む神々の黄昏に逃げる場所はない。そう知っていても既にフレイはラグナロクを諦めたようだ。
「まだ可能性はあるはずだ……だが、どうするというのだ……何か、何か方法があるはずだ……しかし、悪神に近づくことは危険だ……!」
あの雷を思い出したトールは、半ズボンを濡らす寸前だ。思い出すだけで震えが起きそうだ。しかしあのような雷をオーディンが落とすのは初めてだった。それほどに今のオーディンは危険であるということだろう。
「……………………………」
ああ、なんてことだ! あのミズガルズでの恐怖を思い出し、ブラギは椅子と古代ローマのような服を濡らしている! この場にいる全員が哀れなブラギの姿を見て恐怖したのだろう。皮肉屋で優等生なブラギがこんなにも簡単に服を濡らすとは!
「だ、ダメだ、近づくのは危険だ……終わりだ、何もかも、終わりだ……他に対処法なんてあるものか……ああ、どうしてこうなった! どうして!」
騒ぎまわるフレイの声が更にみんなの恐怖を加速させる。もはや、何も方法はないのではないか……
「……やはり、殺すしかない」
外で雷の鳴る音が響いた。まるでオーディンの怒りに触れようとしている音に、護衛のヴァルキリー達の何人かは震えた。
声の主はテュールだ。あまりに思いつめた表情は、もはや覚悟を決めたようにも見える。
「我々は、古来より数々の災いや問題を闘争により解決してきた。ならば、災いの種を殺すしかないのではないか」
「しかし、テュールよ。災いの種を殺すのはまずくはないか。絶対に悪神を殺そうとすれば、その前に我々は母上によりニヴル・ヘルへと落とされることになるだろう。今の母上はガチでヤバイからな……」
「い、いやああああああああああああああああああああああああああ!」
トールが言い終わるよりも前に突然ブラギの叫び声が響いた。彼女の水溜りが再び広がっていく。この光景が皆に『ロキの抹殺』という最高の手段は決してとることができないことを暗示する。
「な、ならば、誰を暗殺するというのだ……いや、まさか……貴様……」
「ち、違います! トール様! 我々の敬う最高神にそのような冒涜的な思考を抱くわけがありません! 私が言いたいのは、その……もえちゃんです」
「……馬鹿か。二次元の嫁を殺すだと? テュールよ、ラグナロクを前にして正気を失ったのか?」
まったくも平然にフレイは言った。
「確かに、そうだが……しかしフレイ、概念や幽霊を殺すような物語は各地にあると昔聴いたことがある。つまり、実際は殺せるのだ。たとえ二次元の嫁であったとしても」
「しかしどうやって殺すのだ。もはや触れること一つ危険ではないないのか」
フレイの言葉に皆の脳裏にはブラギの水溜りが浮かぶ。誰もがこうはなりたくはない。
「故に、ロキに触れずもえちゃんを暗殺しなければならぬ。そうしなければ、ラグナロクが起きてしまう」
「だが……方法など、あるものか……」
全員が黙ってしまう。嫌な静けさに、もう一度雷鳴が響いた。
「……一人だけ、可能性がある」
ぽつりとトールが呟いた。途端に皆の瞳には輝きが取り戻されたようだった。
「誰だ! その一人とは!」
テュールは叫ぶように尋ねたがトールは回答を渋っているようだった。
「確かに、我々より思考の切れる者は沢山いる。最高神も含めてだ。故に……外部の優れた者に訊くのは一種プライドを捨てることではあるが、一番可能性が高い。そして、だからこそ俺は、皆のものに尋ねなければならない」
「何をだ」
「我々全員……ロキより馬鹿であると」
また嫌な沈黙が皆を襲う。トールは指を組んで俯いている。想定通りの沈黙だ。
「あ……いや、それは……な。違うと思うぞ。だって、ほら……悪神より馬鹿ってどんな馬鹿だよ。少なくとも私は馬鹿じゃないからな! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞ!」
必死にフレイは否定した。皆も同じような否定の眼差しをトールへと送っている。
「……わかった。我々よりロキの方が馬鹿だ。しかし場合によっては奴の関係者の方が思いつくことがある。だって、二次元を殺す方法など、よっぽどの馬鹿じゃないと浮かばないからだ……これでどうだ」
「ああ……それなら、その通りだ。二次元を殺す方法など、馬鹿が考えることだ」
フレイの納得に皆も同意した。とりあえず言いたいことは分からないがロキの方が馬鹿なら何でもいいのだろう。
「しかし、トール様。今の言い方では、それはロキの関係者ということでしょうか」
「ああ、テュールよ。そうだ」
「しかし、そんな者に情報を流して大丈夫なのでしょうか。アングルボザもシギュンも、もはや引きこもりを溺愛する母親のような状態と聞く。我々の計画を知られればロキに漏らし対策を打たれるのではないでしょうか」
「大丈夫だ。信頼のできる『部外者』にコンタクトを取るのだから……」




