二次元の嫁暗殺計画 その一
ヴァルハラには今日も昼にはエリンヘリアル達の声が地下の闘技場より響く。彼らはいずれ訪れるべきラグナロクに備え訓練を続け、日々殺し殺し合う。そしてまた明日には生き返っている。
その叫びを聴きながらロキはフラフラと神殿を歩いていく。さっきオーディンから開放されたばかりだった。約二日間もの間ミズガルズの制服やら私服やらを着せられていた。目には隈もないし髪の毛も普段より整っている。回復を促すルーンとオーディンの妻フリッグが今のロキを飾ったのだ。だがひたすらオーディンに愛でられた疲労はのしかかっている。
「くそ……何故私様がこんな目に合わなくてはならぬのだ……勝算は私様にあっただろ……うげぇ」
まったく躊躇い無くロキはアースガルズで一番神聖な場所を嘔吐で汚す。今の格好も小人によりクリーニングまでされてピカピカしている。気分も悪くなるだろう。さっさとあの陰鬱な家に帰り、ぐたぐだにするまで服を使わなければならない。
しかしロキの怒りはまだ収まらない。もしもこれが単に自分の力が及ばなかっただけならばもう少しだけ緩和されたのかもしれない。だが運要素の強いポーカーで負けたことがただ悔しい。確かにオーディンはポーカーフェイスだったし、ロキは露骨だったのかもしれないが、ロキには偶然負けたような気分だった。
「糞が! 糞! 何故私様が負けねばならぬのだ! 何故あのストレートが負けねばならぬのだ! くそ、なんなんだ! 何故あんな都合よくカードを変えやがったんだ!」
かんかんになるがその怒りの矛先が見つからない。何かに八つ当たりをするか、誰かに嫌がらせでもしなければ気が済まない。だが辺りは硬くてすぐ修理されるような黄金ばかりだし、オーディンへの嫌がらせなどそうそうあるものではない。
「くそ……仕方ない。一度出て、シギュンでも罵倒してやろう。だが罵倒すると喜ぶんだよなぁ」
なんとももやもやしながらロキはヴァルハラの大広間に出る。
そこにはオーディンの玉座があり、広いスペースには剣を初めとした骨董品のような武器や戦車や戦闘機などの近代的な兵器が展示されている。これらを使って暴れるのもありなのかもしれないとロキは想像するが実行には移さない。刃が切れないように工夫されているか燃料と弾薬が切れているからである。
「くそ……くそ、くそくそ……犬っころとか〇わばかりにくそ神殿が……ん?」
ふとロキはこの場所が酷く寂しく静かであることに気がついた。地下からはエリンヘリアルの声が聞こえる。ここに来るまで幾らかヴァルキリーともすれ違っている。ならば、何がそんなに寂しいのか。
「……ああ、この広間に誰もいないのか」
確かにここにはテュールもヴァルキリーも居ない。オーディンのペットであるゲリとフレキも庭に放たれていることだろう。
「誰も居ない玉座の間か。まるでラグナロクの後に滅びた後のアースガルズのようではないか。しかし……この状況ならば工作の一つできないものか」
ロキは呟くと辺りを見渡す。この辺りのものを壊すか? いや、ヴァルハラの備品は壊そうが翌日には直っている。ならば、盗むか? しかし剣や銃を一つ盗んだところで別段困るものではない。むしろ玉座の視界によりロキが犯人であることに気がつけばオーディンは喜ぶのではないか。
そう思うと、ふとロキの脳裏に一つの考えが浮かぶ。そしてオーディンの玉座に視線を向ける。
あの玉座は全ての国の事象を眺めることができる。ラグナロクを防ぎ様々な不穏を解消する目的でオーディンのみが許された神聖な場所だ。その神聖な場所へと興味本位に座ったフレイが『勝利の剣』を失い、ロキが散々大爆笑した挙句未だに煽られネタにしていることはアースガルズで知らぬものは居ない。
同時に過去の災厄の記憶は、再びは起こさないだろうという戒めに近い。
故にロキは考えだ。
自分なら、余裕だろうと。
「なるほど、アースガルズの馬鹿共にはこの玉座は危険なのだろう。しかし、私様にはどうだ? オーディンの権威の一つは、この玉座に耐えうる精神と知性だ。それを私様が踏みにじればそれこそ一番オーディンを泣かせることになるのではないか」
そう考えたロキは真っ直ぐに玉座へと向かう。そして躊躇いなくアースガルズで最も神聖な玉座へと腰をかける。その行為を見られたら例え下っ端のヴァルキリーであってもロキに襲いかかり、テュールなどはリアルに首を跳ねて来るだろう。しかし今は誰も居ない。問題は無い。
すぐロキの脳裏には、様々な国の風景が自由に浮かんできた。トールは普段とは考えられないようなピンクのパジャマを着て自室の布団でごろりとしとしてミョルニルを磨いている。フレイは変わらずゲルズだらけの暗い部屋でひたすらにゲルズの日記を書いている。白い川の辺でブラギが一人流れを眺めながら何か痛い詩を口にしている。テュールは真面目にエリンヘリアル達と訓練をしている。ニヴル・ヘルでは落ちた者達がひたすらに罰を受けているが、与えているヘルは乗る気ではなさそうで、むしろ罪人達は我先にとヘルの罰を恍惚として待っている……
まあまあ面白いな、とロキは思う。
ただせいぜい普段とは違う神々の姿を見ているだけに過ぎない。
別段アースガルズの神々が好きではないロキは、すぐに飽きる。もうさっさと降りようと思い、最後に玉座の意識をミズガルズの雑誌『アキバ最新情報倶楽部』に変える。
「……ん?」
しかし、ふとまったく別の光景がロキの脳裏に浮かぶ。
それは聴いたことがあるが読んだことの無い漫画のワンシーンだった。ただ女子の主人公が両手を広げて食堂を走っているというシュールなシーンだった。次に浮かぶのは最新刊の表紙である。更に続くのはその値段、あとレビュー、アニメの声優情報、アニメ版のDVD購入特典、様々なグッズなどである。
玉座から立ち上がるとロキは呆然と前方だけを見る。
「何だ? まるで最後のは、アニメの促販みたいではないか。別にそれだげだが……しかし、何故食堂で走るのだ? 後、声は『フォトンガール』のあやねではないか。原作は一般向けのゲームで、漫画はスピンオフみたいなものだったか。あまり売れたわけではないが……」
「何をしようとしている、貴様!」
「ひいいいいいいいいいああああああああああああ!」
凄まじいほどの怒声が大広間に響き渡り、ロキは少し高い所に設置されていた玉座の段差から落ちた。腰を落としたロキは尻餅をついたまま呆けていたが、さっと近づいて来たテュールは右腕をポケットに入れたまま左腕でさっと剣を抜くといきなりロキの首元に剣を突いた。剣はロキの首からたった数ミリ離れていたが、本当に突かれたようにしかロキには感じなかった。
「……貴様、玉座に座ろうとしたのか」
普段の手加減を持った言い方とは違う。まさに今のテュールは本気でロキを殺すのかを選別しているようである。回答に間違えればロキは殺される。
「っわわわわわわわわっわあわわわわわわたたたたったたあた、し、ししし、さ、さささささまままま、まままままま、なななな、ない、すすすすすすわわわわっててててててななななん、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
回答は恐怖で完全に空振る。ロキの履いているジーンズが言い訳を変わりにするかのように失禁で急速に濡れていく。震えたロキは、全身を硬直させ白目を剥く寸前だった。そこに浮かぶのは、さっきの漫画の定価が489円(税抜き)であったことばかりである。
「……貴様のような悪神はそもそも神聖な玉座には触れることも出来ぬか。だが二度と玉座に触れようともするな。実際に触ったのなら、貴様の首を刎ねていたところだ」
テュールは腰に剣を戻し、一度凄まじい形相でロキを睨みつけると背を向けて歩き出した。どうやらテュールは玉座が十字架か何かと間違っているようだった。
後に続いたヴァルキリー三人がモップと雑巾と洗剤とファブ〇ーズを持ってロキの周りを取り囲んだ。ふらふらと立ち上がったロキを誰一人支えようともせず、ただロキの失禁で濡れた場所を掃除し始めた。
なんとか黄金だらけのヴァルハラの門から抜けたロキは木陰で腰を下ろす。
「まったく……銃とミサイルの時代になあ、剣は時代遅れなんだよ……」
首が繋がったとはもしやこんな気分なのかもしれないとロキは思い愚痴を口にする。そして木陰の闇を見つめる。
見つめるとふと食堂を走っていくさっきのキャラの姿が浮かぶ。
「……しかし気になるな。絶対面白くないってか、がっかりさせられるんだろうなあ……ああ、なるほど。面白いと思わせてつまらないってのが一番がっかりするもんだ。つまり、玉座の災厄って、私様にとってはこういうものか……しかし、気になる。仕方ない、買ってがっかりしようではないか……」
ロキは立ち上がり自分の家に向かう。
二日分の疲労を抱えながら、アマゾンの古本コーナーで100円以下の漫画と新品の漫画を買うために。
この日を境にロキがアースガルズより姿を消したことは、段々と知られるようになった。
悪神が消えたことが信じられず、時々あの暗くじめりとした森を訪れる者もいたがあの陰険な小屋には誰の姿も見られなくなった。
それに確信が持てるようになると、神々は次々に喜びを表した。散々勝利の剣ネタで古傷を抉られまくっていたフレイは泣いて喜んであまりに嬉しさにゲルズが印刷された服のまま夜のアースガルズを走り回った。冷静なテュールもいつも隠している右手を上げては(強烈な黄金の光に隠れているので、市民団体にも安心である)興奮したようにエリンヘリアルを切り倒しまくった。神々はあのくそったれな悪神が消えたことを昼夜問わずに祝った。酒や食事も進んでいった。
だが禍々しい異変に神々が気づき始めたのは、それから二週間ほど経ってからだ。
突然一部では草木が枯れ始め、ユルドラシルの向こうからニヴル・ヘイムの冷たい風が吹くようになった。もはやエンジンの開発により愛玩動物扱いになっているフレイの豚がまるでトンカツにして欲しそうに叫び、スレイプニールまでもが馬刺しにして欲しそうに悲痛な叫びをあげた。
何故そんなことになっているのか。
神々が原因に気がつき恐怖したのに時間は掛からなかった。




