24、コンサートで宵っ張り
留学中、週末になると、市内の音楽堂でコンサートが開かれた。
音楽院の生徒で、成績のいい人が選ばれ、前日にいきなり出演依頼が来る。
多分私、全部出ているはず。(勿論出られない人もいる)
出演依頼が来てから、ピアニストにお願いしに行って、すぐに練習しなければならない。
初めのころは、コンサートの伴奏を頼むのは至難の業だった。
まず、伴奏者にコピー譜を渡さなければならないのに、コピーできるお店が分からなかった。
何もかもが手探りで、わけがわからず、違うお店に行ってしまったこともあった。
しかしイタリアの人はおおらかで、全然違う事務所に行ってしまっても、快くコピーをしてくださった。
ピアノとの合わせ練習の時も、こうして欲しいという注文も付けなければならない。
伝わってるのか、私のイタリア語?状態だった。
慣れている伴奏者の方が良いと思い、ずっとR君というピアニストに伴奏を頼んでいたのだけれど、
ある日Dさんというピアニストが「私もマロンの伴奏がやりたい。次回は私を指名して」と言ってくれた。
そうすると、R君に断りを入れて、Dさんには新しく注文しなければならない。
頑張れ私のイタリア語。
色んなところで色んな意味で鍛えられたように思う。
小さな町だというのに、イタリアの人たちはかなりの頻度でコンサートを聞きに来てくれた。
そして、惜しみない拍手をしてくれる。
上手くなければ、拍手はしない。
好き嫌いがはっきりしている。そして、純粋に音楽を楽しんでくれる。
こういうのが、文化の違いだよなー・・・と思う。
コンサートは夜8時から10時くらいまでやるのだけれど、私はたいてい最後(最後の方が上手い人)なので、すごく眠かった。
何が苦手って、私は夜が苦手である。夜の10時に歌うなんて考えられなかった。
だけど、イタリア人は宵っ張りである。
コンサートが終わって、音楽堂から宿舎へ帰る途中、市庁舎前の広場に椅子がたくさん出ていて、大人たちはそこでお酒を飲んでいる。子どもも走り回っている。
ああ、お昼寝したからみんな元気なんだ。
そこを通りかかると、
「Ehi, Ragazzo!」(坊や!)
と声をかけられる。うーん、なぜ町の人まで私を坊や扱いするのか。
でも、私のことを覚えてくれて、親しく声をかけてくれてとても嬉しかった。
次回が最終回となります。最後までお読みいただけると嬉しいです。




