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応接室に通されたハーヴェイは、扉が閉まると同時に口を開いた。
シャレルがどれほど無理をしているのかなど、どれほど昨日泣き明かしたのかなど…全く構いもしなかった。
「王太子からの結婚の申し入れ、もちろん受けるつもりだろう?」
回りくどいことなど言わずに、すぐに本題を切り出す。
目の前に立つシャレルの表情が一層曇ったとしても、構わずに捲し立てた。
「受けない、なんてことは出来ない。分かっているだろう?君には選択肢なんて無いよ。あったとしても、受けないなんてね…そんな選択をするほど、君は愚かじゃないだろう?」
「…私は…」
「ラベルトの王太子からの申し入れだ。国からの命令のようなものなんだよ。断るなんてしたら、ねえ?フェイル家を潰すことになるよ」
先ほどまで、上機嫌で笑っていたハーヴェイだったが…今は少しも笑っていない。
厳しい表情で、シャレルを見定めるかのように睨みつけていた。
「…分かっています」
「そうだろう。君は礼儀をよく弁えている。貴族のことやラベルトのことをよく学んできたんだろうね。頭が良い君なら、分かってるはずだと思っていたよ」
ぎゅっと唇を噛み締め、涙を堪えるシャレルの髪をそっと撫で、ハーヴェイは今度は穏やかな表情と声色で話を続ける。
「いきなり王太子妃なんて不安だったんだろうけど…大丈夫だよ。君が王太子妃になればね、フェイル家も豊かになる。君が国母になれば、フェイル家は王族の親戚として末代まで富と名声が手に入るんだ。君も不自由無く暮らせて、エルフィードも今よりずっと豊かに暮らせる。それがずっと続く、末代まで。それが、一番幸せな未来だとは思わないかい?」
いつの間にか、シャレルの目から涙が零れ落ちていた。
隣に立つその人…ハーヴェイは優しい表情と口調で、とても残酷なことを言ってくる。
残酷な…真実だ。
本当のことだからこそ、それは酷くシャレルの心を抉った。
エルフィードのことを、フェイル家のことを思えば、断るなんてことは出来ない。
「エルフィード、フェイル家の子孫たちの幸せなんだよ。だから、君は王太子妃になるんだ。きっと君も幸せになれる。フェイル家もずっと続く幸せを手に出来るんだ」
断れば、フェイル家を潰すことになる。エルフィードも不幸になるだろう。
受ければ…末代までの幸せが手に入る。エルフィードも幸せだろう。
ハーヴェイはシャレルの耳元でそのことを何度も言った。
追い詰められたシャレルを、ハーヴェイはいとも容易く自分の望む答えへと導いていく。
「捨てられた王女だった君が、大好きなエルフィードに恩返し出来るんだ。そうだろう?」
それがとどめとなった。
捨てられた王女。
そうだ、自分は…何の価値もない、厄介者だったはずだ。
シャレルは目に涙をいっぱい溜め、隣に立つハーヴェイを見上げた。
「泣かなくて良いんだ。優しいヴェスアード殿下は君を心から愛してくれるよ。何も不安は無いんだよ」
優しく頭を撫でられ、シャレルはぐっと唇を噛み締め、涙を止めた。
最後に一粒だけ、涙が頬を伝う。
これが、最後だ。
シャレルはゆっくりと顔を上げ、ハーヴェイに告げた。
「分かりました」
その答えに、ハーヴェイは満足げな微笑を浮かべた。
エダンのお茶が運ばれて来た時には、シャレルの涙はすっかり止まっていた。
すっと背筋を伸ばし、シャレルはコートネイからお茶を受け取った。
そして、少しだけ笑みを浮かべながら告げる。
「私、王太子の申し入れを受けるわ」
「お嬢様…!」
それを聞いたコートネイは、持っていたポットを叩きつけるかのようにワゴンに置いた。
「素敵な話ですもの。私にとっても、フェイル家にとっても素晴らしい話よ」
カップに口をつけ、お茶を飲む。
いつもは美味しいと思えるコートネイのお茶も、今はその味が分からない。
お茶なのか、水なのか。
温かさすら分からないなんて、自分でもおかしな話だ、とシャレルは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「お嬢様は…本当にそれで良いのですか?」
優雅にお茶を飲むシャレルをじっと見つめながら、コートネイが語尾を強めながら尋ねる。
それに対し、シャレルより先にハーヴェイが答えを返した。
「もちろんだよ。そう何回も問い詰めないであげてくれ。シャレル嬢も疲れるよ」
大げさに両手を挙げ、首を傾げるハーヴェイに邪魔をされ、コートネイはそれ以上何も言えなくなった。
思っていた通りの展開になってしまった。
ハーヴェイにかかれば、シャレルの意思を自分の導きたい方向へ向かわせることなど簡単だったのだろう。
エルフィードの為だとか、そういう言葉を並べれば良いのだから。
エルフィードを盾にされると、シャレルは従うだろうと、コートネイも分かっていた。
それでも、涙一つ見せずに淡々と告げるシャレルが、逆に痛々しかった。
「コートネイ、心配しないで。私は一番幸せな道を選んだの」
シャレルが笑顔で言った。
微笑んでいるのに、その目は何の感情も乗っていないようで…
そんなシャレルの姿に、それ以上何も言えず、コートネイは項垂れるだけだった。




