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亡国の王女の初恋  作者: 日野森
白い花の決断
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「…エル…どう、して…そんなこと…」


シャレルはエルフィードの背中に向かって、震える手をそっと伸ばした。

目の前の背中は、何も言わずに静かに佇んでいる。

振り向いて欲しくて、伸ばした手は、その背まで届くことは無かった。


「身分や立場は気にしなくてもいい。シャレルにとって、一番幸せな道を選ぶんだ」


エルフィードはそれだけ言うと、シャレルの方を振り返ることなく、部屋を出て行った。

シャレルが伸ばした手は空を切り、そっと扉に触れるだけ。

残されたシャレルは、そのままその場に座り込む。

足の力が一気に抜けて、立っていられなかった。


昨日の夜、エルフィードの口から紡がれた言葉は、とても幸せなものだった。

なのに…たった一日で地の底へ叩き落された気分だ。


「…幸せ、って…なに…」


シャレルの選ぶ幸せは一つだった。

何年も恋焦がれた相手と結ばれること。

幸せな道を…?そんなものは、何年も前から選び続けている。


エルフィードが許してくれるなら、その胸に飛び込みたい。

なのに…身分や立場は気にしなくていい…

そう言いながら、その背中が物語っているのはシャレルとの「別離」だった。

王太子の手を取った方が良い、とでも言っているかのようだ。


本当に幸せな道は、決まっている。

なのに、どうして。


シャレルは暫くその場に座り込み、声を殺して涙を流した。









「ヴェスアード王太子」


夕日が山際に沈もうとしている。

その姿を馬車の中から物思いに眺めていたヴェスアードに、ハーヴェイが柔らかなな声色で声をかけた。


「…クラーク卿」

「彼女は…シャレル嬢はきっと驚いているのでしょう。いきなり王太子殿下からの結婚の申し入れなんて話になったのですから」

「ああ、そうかな…」


結婚を申し入れる意思を伝える花を渡した時、シャレルは驚いている…というより、困った顔をしていた。

見て取れたのは、喜びとかそういう肯定的なものでは無く、否定だった。


「ダメなら…ダメで良いんだ。もう一度会いたかっただけ、気持ちを伝えたかっただけで…」


あの夜会の日、バルコニーでシャレルが泣いていた理由は、ある人物を思っていたからだ。

シャレルの心が向かう先は、自分ではないということ。

彼女が愛しているのは…そのすぐ隣に立つ、あのエルフィード・フェイルだということ。

失恋の隙をついて、なんて思ったが…どうやらあの二人は上手くいったらしい様子が見て取れた。

ヴェスアードはシャレルのことを諦めるつもりでいた。


もう一度会えただけで、気持ちを伝えただけで十分だ。


そう思っていた。

自分の立場を振りかざすつもりなど無かった。


だが、それはヴェスアードだけの考え方だった。


「いいえ、王太子殿下。シャレルはあなたの求めに応じます」

「…どうしてだ?彼女は…あのフェイル男爵が好きなんだろう…?」

「あれは幼い頃の刷り込みのような恋です。そんなもの、叶うはずが無い」


ハーヴェイは恭しく頭を下げた。

騎士が忠誠を誓う、その作法にヴェスアードは嫌な予感がした。

自分が簡単な気持ちで取った行動が、どういう「力」を持つのか。


「王太子殿下の申し入れを、あの亡国の姫が…いや、今はフェイル男爵令嬢である彼女が断る権利などありません」


ハーヴェイが笑顔でそう言ったのを見て、ヴェスアードは自分の行動を後悔した。


一国の王太子であるヴェスアードの申し入れは、国をも動かす力を持つ。

個人的な行動も、国の意思として捉えられる。国からの命令だ。

きっと、シャレルと会うことを急かしてきたハドリーも、そういう意図があったのだろう。


王家に仕えるフェイル家が、国からの命令と同じ力を持つ王太子の申し入れを断れるはずなどない。


「…そういう、つもりじゃない。ただ純粋に…」

「王太子殿下。きっと彼女も幸せでしょう。王太子妃になれるとなれば」


嬉しそうにハーヴェイは微笑んだ。

厄介な亡国の王女。

枯れた土地と、王女を預かったという肩書きだけが欲しかった。

その厄介な娘は、今となっては金の卵だ。

フェイル男爵家のみならず、これはクラーク伯爵家にとっても大変有益な結婚だ。


「王太子妃になれる…彼女は、シャレルはとても喜んでいるでしょう」


浮かれ顔のハーヴェイの言葉に、ヴェスアードは項垂れた。

ハーヴェイは知らないのだろう、と。

自分が心惹かれたシャレルという女性は、権力や贅沢をいくら振りかざしても…決して靡かない。

だから、心惹かれたというのに。


権力に靡かない女性を、権力で縛り付けることになるのか…

ヴェスアードはエルフィードを思って涙を流していたシャレルの顔を思い出し、胸が苦しくなった。


また、彼女を泣かせることになるのかもしれない、と。




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