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「シャレル」
何度かノックしたが、シャレルからの返事は無かった。
「シャレル、入るぞ」
エルフィードが扉を開けても、中からは何の反応も無い。
明かり一つ灯っていない、真っ暗な部屋を見渡すと、ベッドの隅に影を見つけた。
ベッドの隅で蹲って小さく震えるその姿に、エルフィードは胸が痛んだ。
「シャレル…悪かった」
エルフィードはそっとベッドに腰掛け、顔を隠して蹲ったままのシャレルの髪をそっと撫でた。
びくり、と大きく震えた肩を抱き寄せ、柔らかな髪にそっと唇を落とす。
「楽しみにしてた夜会を台無しにして悪かった。シャレルが…綺麗だったから…貴族の汚い連中に見せたく無かったんだ」
もう一度、その髪に唇を落とす。
まだ顔を上げてくれないシャレルの頭を撫でながら、エルフィードは続けた。
「ハーヴェイに…シャレルを貴族に嫁がせることが幸せだとか言われたよ。シャレルは礼儀も弁えてて綺麗だから、公爵家でも迎え入れてくれるって」
シャレルを有力貴族に嫁がせれば、家名が上がる。
フェイル家の為に、その為に引き取ったのだろうと。
それは違う。
なら商人や農夫の妻にさせるのか、と言われて不快感が増したのを覚えている。
シャレルが誰を好きになり、誰の元へ嫁ぐのも…それはシャレルの自由だ。
フェイル家の名を上げる為に引き取った訳じゃないのだから。
シャレルが幸せだと思うなら、どういう選択をしても、それに賛成してやりたいと思う。
そう思いながらも、不快で仕方が無いし、どこにも出したく無い。
シャレルを手放すなんて、考えられない。
エルフィードはようやく自分の気持ちと向き合うことを覚悟した。
「シャレルをどこかに嫁がせるなんて、ご免だな。考えただけで気分が悪くなって寝れない」
薄々、気がついていたのだが、エルフィードはずっとそれは父性愛のようなものだと思っていた。
昔も今も、シャレルが可愛いことは変わら無い。
シャレルに対する感情が変わったことは無い…そう思っていた。
少しずつ、時間の中で変わっていったことに、気がつかなかったし、気がつかないふりをしていた。
エルフィードは、今になってようやく、自分がシャレルにどういう思いを抱いているのかを自覚した。
「…私」
シャレルがゆっくりと顔を上げた。
まだ涙が滲んでいるその瞳は、真っ直ぐにエルフィードを捉える。
「…エル以外の人の所に嫁ぐつもりは無いわ…」
「そうだな。シャレル以上の奥さんは見つからないだろうな…」
「私…頑張るわ…誰より賢くて綺麗で、我がままも言わない…贅沢もいらないわ…頑張る、から…」
腕の中で小さく震えるシャレルが愛しくて、エルフィードはそっとシャレルを抱きしめた。
「頑張らなくて良いよ…シャレルは、シャレルのままで良い。そのままのシャレルが、好きだよ」
エルフィードがそう言い終わらない前に、シャレルが泣きながらその背中に手を回した。
上手く息が出来ないほど、泣くシャレルをエルフィードは黙って抱きしめた。
「エルッ…、わ、たし…」
泣きながらも、一生懸命に言葉を繫げようとするシャレル。
エルフィードは急がなくて良い、と言う代わりに涙が伝うその頬にそっと唇を落とす。
「エル…エルが、大好き…」
「嬉しいよ…シャレル」
エルフィードはシャレルの頬をそっと撫で、その唇に触れるだけの口付けをした。
シャレルはまた大粒の涙を流しながら、エルフィードの首に自分の腕を回し、今度は自分から唇を近づけた。
十分な広さのベッドに、二人で寄り添うように横になりながら…
シャレルは隣にいるエルフィードの首筋にそっと額を寄せた。
「…エルの奥さんになりたい」
「そうだな。ちゃんと花を送って、指輪を買って…結婚を申し込むよ」
「そんなの…無くて良いのに」
擦り寄ってくるシャレルの髪をエルフィードはそっと手で梳いた。
柔らかな金色の髪がエルフィードの指の間を流れる。
シャレルは小さく丸まりながら、エルフィードにぴったりと寄り添った。
「…エル、ベッドに横になるだけ、なの?」
「…どういう意味?」
「私…エルの奥さんになりたい。エルの子供だって欲しい」
シャレルが言おうとしている意味を理解し、エルフィードはそっと腕の中のシャレルを抱きしめた。
「シャレルが大切だから…結婚するまで、手は出さないよ」
「いいのに…!そんなこと…気にしなくても…!」
「気にする。シャレルが大切だから」
「…エル、やっぱり…お人好しね。昔から変わらない」
押し付けられた厄介者の、亡国の王女である自分を馬鹿みたいに可愛がってくれた。
出会った日から変わらず、エルフィードは真っ直ぐでお人好しだ。
出会ったあの日、自分を抱きしめてくれたエルフィード。
初めて感じた人の温もりが、どれほど嬉しかったか。
7年前から、エルフィードの温かさは何も変わらない。
昔を思い出し、シャレルはエルフィードの手を握り締めた。
「…ずっと、好きだった」
握り締めた手から伝わる心地よい温もりに、シャレルはゆっくりと瞼を閉じた。
「俺もだよ、シャレル」
エルフィードは腕の中のシャレルを包み込むように抱き締めた。
厄介ごとなんて思っていたけれど、本当に救われたのは自分だ。
両親が死んで、ただ空しい気持ちを引きずっていた…心の穴を埋めてくれたのは、シャレルだ。
シャレルと過ごした日々は、心から笑っていた。
エルフィードは誤魔化し続けていた自分の気持ちに、素直になることを誓い、瞼を閉じた。
ハーヴェイに伝えよう。
シャレルを妻として迎えるということを。
そんなことを思いながら、エルフィードはシャレルと共に穏やかな眠りについた。




