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亡国の王女の初恋  作者: 日野森
焦がれる日々
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「ここに来るのは何年ぶりかな…」



馬車の外の長閑な景色の流れに思わず溜息が漏れる。


絵に描いたように美しい田舎道を、朝の爽やかな空気の中、進むのはとても心地が良い。


頬を撫でる春風は暖かさの中に、少しだけ朝の冷たさを孕んでいる。

小鳥たちの可愛らしい鳴き声は、騒がしい王都では聞かれないものだ。



「ハーヴェイ様、エルフィード様にご連絡せずに御伺いしても良かったのですか?」


老年の執事が尋ねると、その主は楽しそうに口角を上げた。


「ああ、構わないよ。私が行くと言った方がエルフィードも身構えるだろうから」


馬車の外の景色を眺めながら、ハーヴェイは今回の訪問の理由を思い、くすりと小さく笑った。

いまだ独り身の従兄弟に、今度こそ相手を見つけてやろうと思っているのだ。


最後にハーヴェイがエルフィードに見合いを勧めてから、5年。

3度目の見合いも、当日に断りを入れられた。

もう、後は無いと思えと言っていたにも関わらず、エルフィードは断ってきたのだ。

その断りの理由がシャレルが関わっているのだと聞いて、暫く放っておくしかないなとハーヴェイは感じた。


最初の見合いもシャレルが虫をばら撒いて台無しにし、

二度目の見合いもシャレルが馬を逃がしてしまっただとか?

三度目の見合いの時はもう理由なんて聞かなかった。

シャレルが…と言ってきた従兄弟に、ハーヴェイはもう言わなくて良いと言ったのだ。


結婚が嫌で見合いから逃げていたのだと、ハーヴェイはそう思っていた。

シャレルが…という理由は、逃げたいが為に理由をそこにこじつけたのだろうと。


そうこうしている内に婚期を逃し、今年で25歳になったエルフィード。

そろそろ結婚しなければならないと、態度には出さないが…本人も相当焦っているだろう。

もういい加減、シャレルがどうの…という理由をつけて見合いから逃げる真似はしないだろうと。

むしろ、喜んで結婚したがるのではないかとハーヴェイは思っていた。


見合いだと言うと、固くなる傾向があるらしいエルフィードに、自然な形で相手を引き合わせてやろう。

ハーヴェイはここ数ヶ月、ずっと考えていた計画を実行させるべく、エルフィードの屋敷を訪れたのだ。


「そういえば…7年ぶり、かな?」


王都から近い街に住むハーヴェイは、この田舎街にあまり足を運ぶ機会も無かった。

何かあれば、エルフィードがハーヴェイの元を訪れる。

かれこれ7年はこの屋敷に来ていなかったな、と改めて思い出した。


東西に広がる森の間にある、屋敷に繋がる一本道を通り、ハーヴェイの乗った馬車はエルフィードの屋敷へとやってきた。



「それでは、お待ちしておりますので」

「ああ。暫く待っていてくれ」


ハーヴェイは執事たちを屋敷の門の外に待たせ、一人で馬車を降りた。


鉄で出来た殺風景な門を通り抜け、無機質な石造りの屋敷にゆっくりと近づいていく。

貴族の華美な装飾の屋敷より、ずっと騎士団に勤める者らしい造りのこの屋敷の方がハーヴェイは好きだった。

7年前と変わらぬ造りの屋敷…だが、その庭は7年前と様子が違った。

ハーヴェイの叔母にあたる、エルフィードの母が亡くなってからは殺風景な庭だった。

最後にこの屋敷に来た日も殺風景な庭だったことを思い出した。

今は、色とりどりの小さな花が咲いている。

随分と可愛らしくなったものだな、と思いながら庭を眺める。


すぐに屋敷には入らず、ハーヴェイは様変わりした庭を少し散策した。


あの亡国の王女を迎えてから、ここの庭は変わったのだろう、そんなことを思いながら歩いていると…

庭の一番隅…ハーヴェイの位置から一番離れたその場所に、淡い水色の何かが見えた。


ゆっくりと近づいていくと、それが女性のドレスだと言うことが分かった。

淡い水色の飾り気の無い服を身に纏った女性が、庭の隅で何かしている。


近づくにつれ、その女性がまだ若く、その後姿だけでも美しいということが分かった。

頭の上で無造作に纏め上げられた髪は輝く金色で、日の光を反射して輝いている。

その首筋は白く、背中から腰にかけてのラインも今まで社交界で出会ってきたそのご令嬢の後姿よりも綺麗だと思った。



「お嬢さん?あなたはこの屋敷のお客さんかな?」


ハーヴェイが声をかけると、庭の隅で作業をしていたらしいその女性がゆっくりと振り返った。

首筋と同様に白い肌に、淡い緑の瞳が美しい。

厚化粧の貴族令嬢と違って、化粧を施していないのに、今まで出会ったどの令嬢よりも綺麗だと感じた。

飾り立てる必要が無い。そう思うほど、何も無くとも美しかった。


ハーヴェイは不審がられ無いよう、出来るだけ穏やかに笑みを浮かべながら話しかけた。

だが、相手はハーヴェイを見るとすぐに誰であるかを把握したようだった。


「…ハーヴェイ・クラーク様。お久しゅうございます。覚えておりませんか?シャレル・ベリアルです」


そう言ってシャレルは深々と一礼した。


シャレルはハーヴェイを見た次の瞬間にはもう頭を下げていた。

対するハーヴェイは、暫く開いた口が塞がらなかった。

記憶の中のシャレルは小さな子供だった。

ただ、「子供」とだけしか記憶していなかった。

どういう風に育ったかなんて興味など無かった。


必要なのは、シャレルの肩書きと報奨の土地だけだったからだ。

それが今、驚くほど綺麗になっている。


肩書きに土地。その次も持ってきてくれるなんて…この子は本当に引き取らせて正解だった。


「ああ、見違えたよ。こんなに綺麗になってるなんて」


ハーヴェイは作ったような笑みを顔に貼り付け、シャレルの手を取った。



「今年で17歳か」

「ええ。あと1年で私を引き取って下さった頃のエルフィード様の年になります」

「そうだな。ああ、エルフィードに今度の夜会に参加するように言いに来たんだ」


庭をゆっくりと歩きながら、ハーヴェイはシャレルの仕草や返答をじっくりと吟味した。

亡国とは言え、元王族だけあって、どこに出しても恥ずかしくは無いだろう。

そう思わせる程にシャレルは礼儀も弁えているようだった。

それを試すために、わざとシャレルの隣を歩こうとすると、シャレルは黙って一歩下がる。

相手を立てるこの行動に押し付けがましさが全く無いのも、洗練されているとハーヴェイは感心した。


「…夜会ですか。エルフィード様がそういったものにお出かけになるのをあまり見た事がありません」

「ああ。あんまりそういうのが好きじゃないみたいだね。でも、今回は仕事柄、参加しないといけないだろうから」

「そうなんですか…」


礼儀作法はかなり学んできたシャレルだったが、エルフィードが夜会に参加すると聞き、声のトーンが少し下がってしまった。

ラベルトでは、自分より上の身分の人との会話の中で、声のトーンを落とすことや落胆を表情に出すことは失礼に値する。

どれだけ感情が落ち込もうとも、それを隠し通すのが美徳、というのがラベルトの貴族間の考え方だ。

自分の感情を隠しきれなかった甘さを、シャレルは後悔した。

それでも、エルフィードが夜会に行ってどこかのご令嬢とダンスを踊ることを考えるともやもやした気持ちが増すばかりだった。


「…そうだ、シャレルも来れば良いよ」


俯き加減で歩くシャレルに対し、ハーヴェイは穏やかな笑みを浮かべた。

シャレルは驚いて、ハーヴェイの顔を見返す。


「…お誘いありがとうございます。ですが、私のような者が行くべき場所ではありませんので」


これは社交辞令だ、と判断したシャレルは深々と頭を下げ、断りの言葉を述べた。


「いや、これは社交辞令なんかじゃないよ。そう畏まらなくてもいいんだよ、シャレル嬢」

「…いえ…ですが…」

「フェイル家の養女としても、そろそろ夜会に行って色々学ぶ方が良いだろう」


ハーヴェイの言葉に、シャレルは小さく頷いた。

色んな感情が頭の中を巡っていたが、一番強く思っていたことは、エルフィードと一緒に夜会に行きたい、一緒に踊りたいということ。

恐る恐る顔を覗き込むと、ハーヴェイは満足そうに微笑んでいた。

この誘いは本当に社交辞令で無く、参加しても構わないのだと、シャレルは少し安堵した。


「あ、エルフィードには内緒にしておいてくれ。当日、会場で会った方がびっくりして楽しいだろう?」


夜会は単調でつまらないものだからね。

それぐらいの驚きがあった方が盛り上がるんだよ、とハーヴェイは続けた。


シャレルは当日まで秘密にすることが出来るかと、不安に思いながらもハーヴェイの言葉に何度も頷く。

ハーヴェイはこういう風に隠せばばれない、こう言えば不審がられないだろう、ということをシャレルに話した。

言われた言葉の一つ一つを頭の中で整理しながら、シャレルはハーヴェイの策士っぷりがどこか不安にもなった。


何か、何か思惑があるんじゃないか。

そう一瞬疑いそうになったが、ハーヴェイはそんな隙も与えず、次々に色々な話を語ってみせた。

かつて夜会で体験した面白い出来事や、普段の夜会はまるでつまらないことも、それでも社交の場として、騎士団の情報源として利用出来ることも。

それらを饒舌に語るハーヴェイに、シャレルは何度も相槌を打った。


そうこうしている内に、何か思惑があるのでは…という疑いはどこかへ消えてしまった。



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