12
残されたエルフィードは、シャレルの額にそっと手を当てた。
まだ熱は下がっておらず、シャレルの苦しそうな息遣いが聞こえてくる。
もし、もう少し見つけるのが遅くなっていたら…もしかすると…
考えれば考えるほど、恐ろしかった。
その時、息苦しそうなシャレルの唇が僅かに動いた。
もしかすると、目を覚ましたのか、とエルフィードはそっと顔を寄せてみた。
そして、シャレルの口から出た言葉に、エルフィードは心臓を鷲掴みにされた気分になった。
「…ごめん、なさい…王妃さま、ぶたないで」
かすれた声で紡がれたその言葉に、心臓が止まりそうになった後、血が一気に逆流した。
シャレルは随分とベリアルで苦労したとは聞いていた。
王妃はシャレルを王族として扱うのを嫌がっていたからだろうと思っていた。
酷い扱いを受けていた、と聞いていたが…それは他の王族と異なって、贅沢とは無縁な質素な生活を強いられているだけだと…そう思っていた。
王族としては酷い扱い、程度にしか考えていなかった。
王妃は、シャレルを…?
噛み締めた唇から、不快な味が広がる。
王妃も許せなかったし、今、シャレルにそんな悪夢を見せる程に苦しめている自分も許せなかった。
エルフィードはうなされるシャレルの頬にそっとキスし、優しくその体を抱きしめた。
「シャレル、もう二度と…辛い思いはさせないから…」
シャレルが来て、屋敷に帰ることが楽しみになった。
必ず出迎えてくれる可愛い存在に、どれほど癒されたことか。
両親を立て続けに亡くし、どれほど悲しい思いをしたか。
それでも、フェイル男爵家の跡取りとして、悲しいとか寂しいという感情に蓋をしなければならなかった。
悲しい、と泣くことも出来なかった。気丈に振る舞い続けなければならなかったから。
両親が居ない生活に慣れても、ずっと心に穴が空いたような虚無感は無くならなかった。
その穴はシャレルが来てから少しずつ埋まっていった。
一ヶ月前まで、厄介ごとだと考えていた少女の存在は、今では何にも代え難い存在になっている。
「…エ、ル?」
自分を抱きしめてくれる優しい感触に、シャレルはゆっくりと目を覚ました。
かすれた声で名前を呼ぶと、すぐにまた抱きしめられた。
「シャレル…」
「エル、ごめんなさい…」
「いいんだ。悪いのは俺だよ。寒かっただろう…すまない」
薄暗い中、エルフィードの表情まで分からなかったが…
その声があまりに辛そうなので、シャレルは逆に心配になった。
「エル、私は大丈夫だよ。エルもしんどいの?」
「…しんどく…無いよ」
「良かった」
シャレルはほっとしたように微笑んだ。
自分はもっと辛いのに、それでも先にエルフィードの心配をする。
そんなシャレルに、エルフィードは胸が締め付けられた。
翌日、シャレルの熱も随分と下がり、いつも通りの元気な笑顔を周囲に振りまいた。
エルフィードも安心したらしく、後のことをコートネイやセイムに任せ、仕事へ出かけることが出来た。
「いってらっしゃい」
「シャレル、寝てないとダメだろう」
ベッドから抜け出して見送りに来たシャレルを抱きしめたエルフィードは、そうは言いつつもどこか嬉しそうだった。
「ごめんなさい」
「早く治すんだ。治ったら、街に買い物に行こう」
「うん、嬉しい」
シャレルの笑顔に、エルフィードも自然と顔が綻ぶ。
街で買い物をすることより、シャレルにとって、エルフィードが許してくれたことや、またこの屋敷で一緒に暮らしてくれることの方がずっと嬉しかった。
出来ることなら…エルフィードには結婚して欲しくない。もちろん、お見合いも。
まだ二人で暮らしていたかったし、自分とエルフィードの間に「妻」や「恋人」という別の女性が入ってくるのも嫌だった。
あと数年。
数年後には、エルフィードの隣に立つことが出来る存在になってみせる。
頑張って素敵な女性になろう。
勉強も、裁縫も、ダンスも、マナーも。
エルフィードの「妻」として恥ずかしくないように教養も磨こう。
エルフィードの背中を見送りながら、シャレルは何十年経っても、こうして見送りたいとそう思った。




