17話 親睦会
「ご、ご主人様……起きてください、朝食の用意が出来ましたよ」
耳もとへ落ちてきた声は、朝の光よりもやわらかく、まだ夢の縁にいた私の意識を静かに揺らした。
「う……ん」
私は曖昧に唸り声を返しただけで、再び眠りの底へ沈もうとする。まどろみは温かく、身体を重たく包み込み、そこから抜け出す理由を見つけられなかった。
すると、小さな手が肩に触れる。
「起きてください、ご主人様」
ゆさゆさ。
底に沈みかけた意識はその揺さぶりに導かれて、少しずつ水面へと浮かび上がっていく。
「あ、お、おはようございます。ご主人様!」
水面から顔を出した私を出迎えてくれたのは、朝日を浴びた花の如く眩しい笑顔の凜ちゃん。
「うん……おはよう、凜ちゃん」
私は寝ぼけ眼を擦りながら、凜ちゃんに挨拶をする。
「ご主人様、朝のお水をどうぞ」
「うん……ありがとう」
意識が朦朧とする中で、私は凜ちゃんに差し出されたガラスのコップを手に取り、冷えた水を喉に流し込んでいく。
ひやりとした感触が身体の奥へ染み渡り、靄のかかっていた思考を少しずつ晴らしていった。
「ありがとう凜ちゃん。はい、ご褒美」
私は飲み干したガラスのコップをベッドのそばにある小さな机に置くと、両手を広げる。
凜ちゃんは、ご褒美と聞いた途端に瞳が眩しく輝き、私の胸に抱き着いた。私は凜ちゃんの頭にあるホワイトブリムを躱しながら撫でていく。
「え、えへへ~ ご主人様~」
凜ちゃんはとろけるような声を漏らし、私が撫でる度に脱力していく。
凜ちゃんの抱き心地ははっきり言って凄く心地がいい。クッションのようなモフモフ感があって、ずっとこのまま堪能したい気持ちよさがある。
凜ちゃんのためのご褒美なのに、私のためのご褒美にもなっていて、これじゃあ、恩を返すどころか、恩が積み重ねていくだけな気がしてならなかった。
このまま凜ちゃんのモフモフを味わっていたいが、授業が差し迫っているので、この辺でご褒美タイムは終了。
「さて、それじゃあ、凜ちゃん私、顔洗ってくるね」
「は、はい。ご主人様。いってらっしゃいませ」
凜ちゃんは流麗な仕草でお辞儀をして私を見送った。
凜ちゃんの佇まいは本物のメイドさんのそれのようで、私は本当のお姫様になった気分になりながら、洗面所に行くのであった。
*
「うわぁ!!」
洗面所にて顔を洗い、髪を結った私はリビングに赴くと、テーブルには華やかな朝食が並べられていた。
サラダ、焼き魚、ご飯、みそ汁、スクランブルエッグに、クロワッサンなどのパン、その光景は日常というより、どこか遠いホテルの朝食を思わせた。
「相変わらず、凄いね……凜ちゃんは」
「あ、ありがとうございます」
凜ちゃんは私の誉め言葉に照れ臭そうに頬を染める。
凜ちゃんが私のメイドになった日から、早三日――いや正確にはその日はそのまま部屋に帰らせたから、メイドとしての本格的な業務に関しては二日が経過していた。
凜ちゃんは献身的に私に尽くそうと、奮起していた。
朝食の品々を見るからにメイドとしての気合の入り用が半端ない。それは料理だけでなく、掃除もそうで、現在私がいる――リビングは塵一つなくキラキラのエフェクトが出ているかのような光沢感で溢れていた。
因みに私は見られて恥ずかしいものなんてないため、全ての部屋が現在のリビングと同じようにピカピカだ。
凜ちゃんがメイドとしての仕事を行う初日、部屋の掃除を行う凜ちゃんの様子を伺っていたのだが、洗礼された手際の良さでありながら、かといって汚れや塵を見落とすことない、徹底した掃除力に感嘆しか浮かばなかった。
私の知らない掃除の仕方もあって、いつの間にか興味関心を抱き、凜ちゃんに事あるごとに聞いていた。
あの時は、関心が深すぎて気にしてなかったが、凜ちゃんの掃除の邪魔でしかないなと、猛省。
凜ちゃんは掃除の邪魔すること私のことを咎めることなく、始終笑顔で対応してくれていたが、深層心理は相当にうざかっただろうなあと思ってしまう。
が、この二つ以上に気合の熱量が感じるものがあった。それは、凜ちゃんの着用している服装だ。
黒を基調としたワンピースにフリルのついた白いエプロンドレス。
頭にはレースを施したカチューシャしていて、アニメや漫画などでよく目にするオーソドックスなメイド服――俗にいう、クラシカルスタイルに身を包んでいた。
ただ注目すべき点はそこではなく、これら一式、既製品ではなく、なんと、全て凜ちゃんの手作りだと言う。
凜ちゃんは魔法少女キズナのコスプレ衣装をよく自作していたとのことで、メイド宣言したあの日に全て作り上げたらしい。
縫い目一つ一つが丁寧に施されており、とてもじゃないが一晩にも満たない時間で仕立てたとは信じられない程にハイクオリティだった。
私はてっきり既製品だと思い、凜ちゃんに『それ買ったの?』と聞き、自作したと返答が来た時、驚愕以上に、ただならぬ凜ちゃんのメイドとしての気合の熱量に圧倒されてしまった。
「ご主人様、どうぞ」
凜ちゃんは私のために椅子を引く。
「ありがとう凜ちゃん」
私はお礼を言い、凜ちゃんが引いた椅子に座る。
凜ちゃんのメイドとしての徹底ぶりは凄く、私のことは必ず『ご主人様』と呼び、今の椅子を引くのもそうだが、なるべく私の手を煩わせないように気遣う。
食事をするときだって、初めは私の傍らで待機して、飲み物を継ぎ足したり、ご飯をよそったりなどの雑用をすると言い出した。
けれど、私はそれを拒否し、一緒に食事をするように促した。凜ちゃんのメイドとしての矜持があるのか、それもメイドの仕事だから、と意固地になって聞く耳をもたなかった。
だが、私の揺るがぬ意思が、最終的には凜ちゃんの心が折ることに成功し、こうして一緒に食卓を囲んでいる。
私はてっきりおままごと程度のことだと思っていたから、ここまで頑なにメイドの役割を全うするなんて思わなんだ。
本職メイドと言われても差し支えがないくらいに、凛ちゃんのメイド力は凄まじかった。
ある意味、感嘆すらしてしまう域だ。
「いただきます」
私は凜ちゃんの手料理に口を付ける。相変わらず凄い腕だ。凜ちゃんは、どこで習ったのか料理のレパートリーが豊富で、こういった和食はもちろん、中華料理、イタリア料理、フランス料理などなど異国の地でしか味わえない料理も作れる。
しかも、どれも絶品で、美味しい。
「ご、ご主人様。今日は、その、初の任務、何ですよね?」
凜ちゃんは瞳に陰りを落としながら私に言うも、すぐに、「あ、す、すいません! 任務前に不安を煽るようなことを……」と慌てて謝る。
「ううん、気にしないで。どうせ、任務の時間が近づいてくれば、嫌でも不安は出てくるだろうし……心配してくれてありがとう」
今日は、初めての任務。
と、言っても一年生はゴーストと戦うことはしない。
まあ、もしも、の時があれば、戦わざる得ないことにもなるが。
基本的には、先輩たちの任務を見学するのが主だ。
因みに、朝倉先生の叱咤激励により憧れを取り戻した私は、雫さんにもう一度アタックしようと思っていた。
けどその矢先、その週に初任務があることが端末に連絡があった。
任務は命の危機に瀕しているので、任務前に雫さんにアタックしたら、万が一にも私が死んだ場合。
ただ単に雫さんに悲しい想いをさせるだけだと思い、任務が終わるまでは、我慢することに私は決めた。
凜ちゃんは明日が初任務だから、まだ少しだけ余裕があるのだろう。
そのぶん、先に向かう私を案じる気持ちが、痛いほどまっすぐに伝わってきた。
「ぜ、絶対に、生きて帰ってきて、ね?」
震える声だった。
主人に仕えるためのメイドとしての仮面は剥がれ落ち、そこにいたのは、ただ友人の無事を願う、一人の少女だった。
不安を押し隠しきれない瞳が、小さく揺れている。
「うん! ちゃんと帰ってくるよ!」
凜ちゃんのその不安が取り除くように私は努めて笑顔で明るく元気よく応えを返した。
その応えに凜ちゃんは「絶対、絶対だから、ね!」と念を押すように言い、私も負けじと「絶対に、絶対に、絶対に帰ってくるよ!」と言い返す、という作業が数回にわたって繰り返さた。
そのシュールさに耐えかねて私と凜ちゃんは思わず笑みを零し、食卓に穏やか空気が流れたのであった。
朝食の後は、授業までの時間が少しだけあったので、二人で思う存分ふれあいを堪能した。
*
任務の日には、午後の訓練は免除される。
それは怠惰を許すためではなく、夜に備えて心身を休めるためだった。
ゴーストが活発化するのは決まって夜八時以降。
近頃では人工衛星〈レイ〉の運用によって、活発化前の段階で出現地点をある程度特定できるようになり、以前のように被害が広がってから出撃する必要はなくなっていた。
かつては、ゴーストが活発化してからではないと、人々(女性)の目に認識することが出来ず、そこから、通報を受けて三つ葉女学院の生徒たちが現場へ向かうのが常だった。
そのため、被害が完全に抑えきれず、負傷者が多発していた。
しかし今は違う。
レイが空から静かに異変を捉え、人々を避難させる猶予を与えてくれる。
そのおかげで、被害は限りなくゼロに近づいていた。
任務に行く際には必ず招集が為され、午後四時までには指定された会議室に行かなければならない。
ゴーストに攻撃が通るのは活発化する八時。レイにより七時には、ゴーストが特定できる。
そのため、七時前までは、まあ、言ってしまえば、私達三つ葉女学院の生徒たちは暇を持て余しているわけで。
にもかかわらず、何故、そんなに早い時間に召集するのかと言えば、生徒たちの鍛錬のし過ぎを抑制するためだ。
先も言った通り、任務の日の訓練は免除され、生徒たちは英気を養うための時間に充てなけらばならない。
かと言って、絶対に鍛錬はしてはいけないと言うルールは無い。
任務には絶対という保証はない。
それは自分たちの命もそうだし、国民の命だってそう、想定外の出来事だって起きる可能性だってある。
任務にはあらゆる可能性が秘めているため、それを一番手っ取り早く潰せるのに適しているのが、自分の強さを少しでも引き上げること。
強くなれば、自分の命も守れる。国民の命だって守れる。想定外の出来事が起きても、対処することだって可能になる。
だからか、訓練所内には、たくさんの生徒が鍛錬に励んでいた。
昼休みが終わり、私は訓練所にて、鍛錬を行っていた。
訓練所は四つあり、訓練所、第一訓練所、第二訓練所、第三訓練所がある。
授業で使う際の訓練所は、数字が付く訓練所を使用している。
なので、今のこの時間は、その三つの使用は一切不可。
ただし、使用できないのは授業中のみで、それ以外だったらいつでも使用可能だ。
そして、私がいるこの訓練所は、授業で使用されることないので、私はお昼休憩が終わり凜ちゃんと別れた後、ここにきて鍛錬を行っている。
二、三年生は、ただひたすらに研鑽を積んでいる姿が目に映る。
ただ、やはりと言うか、一年生は初めての任務と言うことで、多くは任務の緊張や不安などから強迫観念の如く、一心不乱に鍛錬をしている。
傍から見れば熱心に映るが、表情は険しく、もはや狂気すら漂っている。
鍛錬というより、自分の中にある不安や緊張を鍛錬で払拭しようと躍起になっている気概がある。
私もおおむね同様だが、私の場合は少しでも周囲との差を縮めるため、そして、憧れのために、一分一秒でも、強さを求めて鍛錬をしている。
師匠との鍛錬のお陰で刀の振り方の洗練さは良くなったものの、周囲と比べるとまだまだ足元にも及ばない。
刀を振るうことも大事だが、体力作りも大切なので、私は何度か刀の振り方をチェックした後に、訓練所内のトレーニングルームにて、せこせこと体力作りに励んでいた。
本当なら招集時間ぎりぎりまで鍛錬に勤しみたいところだが、二時半から予定が入っている。
実は凜ちゃんと別れてすぐ、私の端末に一つの連絡が入った。
差出人は今日の任務でお世話になる先輩――二年生の反町渚先輩からだった。
内容は、任務の前に少しでも親睦を深めようとのことで、二時半にアリノスにあるカフェで集合となっている。
現在時刻はちょうど二時。
私はランニングマシンの電源を早急に落として、トレーニングルームを出た。訓練所内にあるシャワールームで汚れを落とし、制服に着替えて、訓練所を出る。
一度部屋に戻りジャージなどの荷物を置いて、最後に忘れ物がないか指を指しながら確認した後、部屋から出た私はカフェに向かったのだった。
*
「あ、神崎さん! こっちこっち」
カフェの奥から飛んできた明るい声に顔を上げると、窓際の席で桃色の髪の少女が大きく手を振っていた。
春先の陽光を受けたその笑顔は妙に眩しく、私は少しだけ背筋を伸ばして歩み寄った。
「初めまして。今日はよろしくね、神崎さん」
少女はにこにこ顔でそう言いながら、私に握手を求めてきた。私はその手を握り返し、
「は、はい、よ、よろしくお願いします。反町先輩」
緊張ぎみに挨拶を返すと、途端に反町先輩は目を輝かせた。
「むふー! はーちゃん、聞いた聞いた? 先輩だって! ねえ、私、先輩って呼ばれた!」
興奮した様子で、隣に座る青髪の少女の肩を激しく揺さぶる。
「ん!? 揺さぶるなバカ渚!」
「だって、だって。ついに先輩の立場になったんだよ! 後輩を導く立場になったんだよ! こんな喜ばしいことないよ!」
「ん! そんなのどうでもいいから、早く私から離れろ!」
青髪の少女は、反町先輩の激しいスキンシップに嫌気が差し、自身の左肩に置く反町先輩の手を強引に引き剥がす。
二人のやり取りは、まるで長年繰り返されてきた掛け合いのようで、私は口を挟む隙もなく立ち尽くしていた。
その視線に青髪の少女はいち早く気づくと、今の光景を見られた恥ずかしさで顔が少し赤く染まり、その羞恥心を引き起こした根源たる反町先輩に恨めしさたっぷりの視線を一瞬だけ送ると、こほんと咳払い一つ。
「ん。神崎さん、ごめん。先輩の見苦しい姿を見せてしまった」
「あ、いえ、気にしないでください。臼井先輩も今日はよろしくお願いします」
「ん。よろしく。バカ渚の前の席だと色々厄介なことになりかねないから、私の前に座って」
「ちょっとちょっと! はーちゃん今のどういう意味かな!? まるで私が危険人物みたいに」
臼井先輩の発言に、反町先輩は頬にたくさんの不満募らせたふくれっ面を披露する。
臼井先輩は反町先輩の不満顔を一瞥することもなく、
「ん。みたい、じゃなくて、事実だから。神崎さん、安心して? バカ渚の悪行からちゃんと守ってあげる」
「むぅ~」
私にそういう臼井先輩に反町先輩はさらに頬が風船のように膨らませる。
「あ、あはは……ありがとうございます」
私は二人のやり取りに乾いた笑いを浮かべる。
凄い賑やかな人たちだなと思いながらも、しかし、優しそうな先輩方で良かったないう安堵が満たされた。
「さてさて、注文も完了したことだし、改めて自己紹介をしとこうかな~」
反町先輩と臼井先輩も私とほぼ同時刻にカフェに到着したとのことで、必然的に注文は三人一緒に行われた。注文し終えると、反町先輩は気の抜けた口調でそう言うと、右手を自分の方に向けて、
「私は二年Bクラスの反町渚。そして、こちらはパートナーの――」
反町先輩は隣に座る少女に右手を向ける。
「ん。臼井葉月。渚と同じ二年Bクラス、よろしく」
「一年Aクラスの神崎光です。先輩方、今日はよろしくお願いします」
改めて互いに自己紹介を済ませた私たち。先ほどの騒がしさは一変して穏やかな空気が流れている。
それが返って私の緊張感が駆り立ていた。じっとしているつもりなのに、自分でもわかるくらいに全身がプルプルと震えていた。
「そんな緊張しなくてもいいよ~。ほら、深呼吸深呼吸」
それを見かねた反町先輩は、柔らかな声の調子でそう言って私の緊張をほぐそうとする。
私はその言葉に従い、
「は、はい! ひっひっふ~」
「ん。神崎さん、それラマーズ法」
「ふぇ!? っ~」
緊張から頭一杯一杯で、深呼吸ではない別の呼吸法を実践してしまい、それを臼井先輩に指摘された私は羞恥に悶える。
「よし! じゃあ、私が深呼吸のお手本をするから、それに倣ってやってみよう。はーちゃんもいい?」
「ん!? どうして私まで」
完全に蚊帳の外だと思っていた臼井先輩は、反町先輩から急に振られてどぎまぎしていた。
「はーちゃんだって後輩ちゃんと対面して緊張してるでしょ?」
「そ、そんなわけ……!?」
図星だったのか、今まで淡白な調子の言い回しだったのが、少しだけ感情の起伏が生じていた。
「そんなわけあるの。約一年間ほぼ毎日一緒にいたんだよ? はーちゃんのことなら何でもお見通しだよ!」
反町先輩の真っ直ぐな眼差しに当てられたのか、臼井先輩はわずかに目を見開き、どこか胸を打たれたような表情で見つめ返した。
「ん。渚……!」
「はーちゃん」
二人の間に流れる空気は、長い時間を共に過ごしてきた者だけが纏える、穏やかで温かなものだった。
その光景はどこか神聖で、見ているだけで胸が締めつけられるほど尊い。
私は思わず息を呑む。
まるで愛の告白を目の当たりにしているかのように、緊張とは別の高鳴りが胸を打っていた。
固唾を呑んで二人のやり取りを見守っていると――
「ん。何でもお見通しは、流石に気持ち悪い」
と、臼井先輩は白けたようなジト目で反町先輩を見ながら、雰囲気ぶち壊しの爆弾発言を投下した。
今までの神聖さの塊だった空気感は一気に霧散し、私の高鳴る鼓動も落ち着きを取り戻していた。
「ちょっとはーちゃん! 今のは、『ん……本当はね、凄く緊張してた。あまり緊張を表に出してなかったつもりだったけど、渚には敵わないなあ』って言うところでしょ!」
「ん。何その気持ち悪い妄想。渚はやっぱり気持ち悪い。改めて再認識できた」
「むぅ~はーちゃんの意地悪。そんなに気持ち悪いって言わなくても」
「ん。気持ち悪いって言って何が悪い? 事実を述べてるだけ」
「うぅ……はーちゃんの言葉のナイフが、私の乙女心をズタズタにする……。もういいもん!」
反町先輩は頬を膨らませてぷんぷんと怒ったようなそぶりを見せる。
怒りに身を任せて弾むように席を立った反町先輩は迷いない足取りで、空いていた私の隣にどかりと腰を下ろし、そのままぎゅっと抱きついてきた。
「神崎さ~ん。はーちゃんのせいでずたずたに切り裂かれた私の心を癒して~」
「ええっ!? い、癒すってど、どうしたら……!」
「ん!? バカ渚。後輩にみっともない姿を晒すだけでなく、困らせるなんて! この恥知らず! 神崎さんから離れろ!」
反町先輩の突然な行動に私は完全に動揺していた。一方で臼井先輩は怒り声高々に張り上げながら、こちらへ向かってくる。
私はどうしたものかと焦りながら、反町先輩の傷を癒す方法を頭で考えた結果、いつも凜ちゃんにやっていることを――つまりなでなでを実行した。
「ん……ふう、こ、これは……や、やばい」
反町先輩のこらえるような喘ぎ声が聞こえて、咄嗟に私は撫でていた右手をぱっと離す。
「す、すいません! 癒す方法がこれしか思いつかなくて……!」
「あ、やめないで。気持ちよかったからもっと撫でて~」
甘えた声で私の手首を掴んで、自身の頭にぽんっと乗せる。
リクエスト通り私が頭を撫でようとしたとき、ここにたどり着いた臼井先輩は反町先輩の腰を回して、引き剥がそうとする。
「ん! もういい加減神崎さんから離れろ! 後輩に迷惑かけて、同じ先輩として恥ずかしい上に、みっともないから!」
「やだやだ~私の心はまだ癒えてないもん。神崎さんに癒されたい、なでなでをもっと味わいたい~!」
臼井先輩は強引に反町先輩を私から引きはがそうとするも、銅像のようにびくともしない。
反町先輩のわがまま加減に、臼井先輩は辟易し、子供を叱る母親のように腰に手を当てて、「ん。もう!」と言って睨みを利かせた後、私の方へと向いて、申し訳なさそうに目を伏せる。
「ん。ごめん、神崎さん。バカ渚のせいで迷惑をかけてしまって」
「あはは……気にしないでください」
「神崎さんは優しい~」
反町先輩は私の肩に猫のように頬をすりすりと摺り寄せながら、嬉しそうに笑う。
「ん。バカ渚はその優しさに甘えるな。神崎さん、嫌だったら、嫌だってちゃんと言った方がいい。先輩だからって遠慮することない」
「あ、えっと、私は別に嫌ではないので、大丈夫です」
最初こそ急なスキンシップに戸惑っていたけれど、不思議と今はそこまで嫌ではなかった。
それに、静かよりもこうやって少し騒がしい方が緊張を意識しないで済むので、私としてはこの雰囲気を維持していたい。
「神崎さ~ん。なでなでして~」
「は、はい」
反町先輩の要求に私は止めていた手を動かして、頭を撫でる。
ちゃんと手入れされているのが分かるくらいに、さらさらしていて、凜ちゃんとはまた違った気持ちよさがあった。
「うへへ~」
「ん。渚の顔が凄くだらしない。後輩にそんな醜態を晒して、先輩としての威厳はないの?」
「とか言って~ 本当ははーちゃんも羨ましいんじゃないの? 神崎さんのなでなで凄く気持ちいいよ。ほんとこのままずっと撫でられていたい~。ふみゃあ」
反町先輩は猫が喉を鳴らすみたいに気の抜けた声を漏らして、甘えるように目を細めた。
「羨ましくないし、仮に羨ましいと思っていても、神崎さんに迷惑が掛かるだけ」
反町先輩の言動を、臼井先輩は腕組をして、顔を明後日の方向へ向けながら淡白な返事で一蹴。
やせ我慢ではなく、本当に羨ましくないのだろうと私は思っていた。ただ、
「言ったでしょ、はーちゃんの事は何でもお見通しって。本当はすごーく羨ましいんでしょ?」
長年連れ添ったパートナーである反町先輩は臼井先輩の機微な感情の揺れを指摘する。
「羨ましくない」
「ふ~ん。はーちゃんは気づいてないかもしれないけど、嘘をつくときのはーちゃんって、最初の『ん』を言わないんだよ~」
「そ、そんなわけない」
「まあ、別にはーちゃんがそう言い張るならいいけど? はあ~ほんとに気持ちいい。この気持ちよさを体験できないのは、人生の半分は損してる」
湯船につかっているかの如く気持ちよさそうな声音で、反町先輩は大げさすぎる表現を使って、臼井先輩に挑発めいた発言をする。
「別に損してもいい。そんな醜態を晒すくらいなら」
とそっぽを向く臼井先輩だが、ときおりこちらをちら、ちら、と盗み見る。
羨ましくなどないと言い張りながら、その視線だけが少しずつ素直になっていき、ついには、じいっと羨ましそうにこちらをずっと見ていた。
「はーちゃんも体験してみる?」
「!? いい!」
その誘惑するような反町先輩の言動に、臼井先輩は我を取り戻したのか、その誘惑を振り切るように、ぷいってそっぽを向くと、本来の反町先輩を引き剥がす目的も忘れて、席に戻った。
その時にちょうど注文の品が届くも、反町先輩は撫でることを止めないでほしいと懇願したため、半ば流されるまま頭を撫でながら、片手間でアイスラテを堪能し、反町先輩はご機嫌よく、ブラックコーヒーを堪能。
そして、臼井先輩はジト目でじーと私たちの動向を伺ったまま、オレンジジュースを堪能。
思い描いていた『親睦会』とは、少し違っていたのかもしれない。けれど、賑やかなその時間の中で、張り詰めていた緊張はいつの間にかほどけていた。
騒がしくて、少し変で、それでもどこか温かい。
そんな二人の先輩との距離が、ほんの少しだけ近づいた気がした。
メイドさんは、作者の性癖です。
ご主人様に献身的に尽くそうとする姿がいいですね〜
凛ちゃん、君は一体どこでメイド術を学んだんだ?




