39.崩れる街、終わる世界
血と、血と、血。死んでいく天使達の血。死んでいく悪魔達の血。戦場と化した市街では、もはやその両者を見分けるすべはないに等しい。
「──ドロシーっ! 後ろ!」
戦乙女の後ろに、彼女の身長の二倍はありそうな、巨大な黒い悪魔が見えた。赤い目で彼女を捉えた悪魔は、一瞬のうちに──ドロシーに真っ二つに斬り伏せられていた。
「──くッ! いくらなんでも多すぎるぞ!」
私とドロシーは、市街地の中をひたすらに走っている。この街の構造は、中心にある”棟”から阿弥陀のように道が広がり、それが住宅地や市街地へと繋がっている。
つまり、どこか一つでも道を外れなければ、逆走して必ず天使長棟へとたどり着く……筈だ。
「一閃ッ!」
戦乙女の傘は、既に剣へと変質しており、その刃は、通常のものならば刃こぼれしていそうなほどの、悪魔の血に塗れていた。柄に手をかけ、走りながら抜刀し、前方の敵を一薙ぎしたかと思うと、そのまま一回転して元の体勢へと戻る。
「チッ! まるで”肉の壁”ね……!」
天使達の本隊から外れた私達の前には、溢れた低級悪魔達が折り重なった”壁”が形成されている。低級悪魔とはいえ、尋常ではない数だ。力の消耗もかなり激しい。
そんな事を言っているうちに、次の肉壁が迫ってくる。壁といえば動かないように聞こえるが、実態としては、大量の悪魔が互いに押し出しあっている状態なので、無理に進めば力負けする。
「合図したら飛んで! 悪魔たちの”上”を進むっ!」
「なっ……! わ、分かった!」
ドロシーは、今も溢れた悪魔を迎撃中だ。急がなければ──そう思って拳を握る。自らの身体の中に、魔力が巡っていくのを感じる。まるで血管のように肌に浮き上がったその”紋様”は、青い光を帯びてグローブへと魔力を供給していく。
行ける、今なら──。
「”転移跳躍”──ッ! 飛んでっ!」
瞬間。私が言葉を発したのと同じタイミングで、ドロシーが跳躍した。私達の足元に瞬時に魔法陣が生まれる。中心に穴が空いたそれに飛び込むと。
「うわっ……! は、走りづらいぞ!」
「そりゃそうよ! 悪魔の上を走ってるんだから!」
前方。川のように折り重なり、私達へと向かってきていた大群の上に出ていた。少しだけ後ろを確認すると、かなりの距離を進んでいた。まだ中心地からは遠いが、歩くよりはマシかもしれない。
「もう一回行くわよ……って……うわっ──」
そう思い、もう一度”転移跳躍”を発動しようとした直後。足場──つまり悪魔たちが突然動きを変えた。横方向へと進むだけだったものが、突然。
「こ、この悪魔共……まさか」
「……嘘でしょ……」
足場へと伏せる私達の目線が、どんどんと上昇していく。ついには周辺の残っている家屋の高さも越えていた。
「こ、こいつら……」
”転移跳躍”のような転移魔法は万能に見えるが、実際のところはそうではない。まず、縦方向なら縦にしか、横方向には横にしか、一度の使用で移動することができない。
言ってしまえば、高いところへ登ったり、あるいは低所へと下りたりするには、致命的に向いていない魔導なのだ。
「……クソっ。ベリアルの作戦か」
不快極まりないが──あの男は、私達の動きを視ているのだろう。わざわざ転移魔法の弱点を付いてくるなんて芸当は、知能を持たない低級悪魔が行えると思えない。
「ドロシーに掴まって下りる……いや、”悪魔の塔”が倒れてきたらマズイか……。何か、何かいい手があるはず……」
・
・
・
二人の天使が窮地に立たされいたその頃。天使たちの本隊は、天界奪還のために進軍を続けていた。だが、流石に無尽蔵に生まれる悪魔相手では分が悪いのか、天使の数は減らされていくばかりだ──と。
「……ンな、なんだありゃァ⁉」
先陣を切るミカエルの視界に入ってきたのは、”黒い塔”だった。しかも、先程までなかった場所に突然現れたというおまけ付きで。
「……オイオイ、あっちはエインどもが行った方向じゃねェのか?」
緋色の大天使は、巨大な赤色の剣を振るい、街に潜伏して襲ってくる二級悪魔を一撃で倒していく。そのさなか、彼女は器用にも耳につけた通信装置に指を当て、片方の手では剣を、もう一方の手では通信機器を操作していた。
小型のイヤホン型のそれに呼びかけたミカエルに、帰ってきた声は。
『……なんだ、ミカエルか。ボク忙しいんだけど』
「……おい、ラファエル。お前も見えてるか」
通信機器からの声が一瞬途絶え、また戻る。
『……あの”塔”のことでしょ? ま、心配いらないよ』
「あァ? ンでそう言えんだよ」
ラファエルから帰ってきた答えは、ミカエルにとっても、あるいは発言したラファエルにとっても想定外のことだった。
『──だって、もう向かってるもんさ。……ガブリエルと──ウリエルが』
・
・
・
「──ドロシー! これ以上高くなる前に飛び降りるわよ!」
「お、おい! この高さだと確実に死ぬぞ!」
「もうそうするしかない……。落ちる瞬間にもう一度”転移跳躍”を使えば──」
声がした。周りを見渡すが誰も居ない。当然だ。ドロシーと私しかここには来ていないし、周囲に居るのも悪魔のみのはず──。
「──貴女ともあろうものが、不確実な選択肢を選ぶとは、珍しいですね」
眼の前に光が収束する。光を奪われたはずの天界で、こんなことは起こり得ない……のだが、現実に目の前で起こっているのだから信じるほかない。
収束した光は、ヒトの形を模したかと思うと、その背中の部分から身長の数倍はありそうな、巨大な羽根を成した。
「……まさか」
そのまさか、だった。目の前に現れたのは、突入した際に別れたはずだった──。
「ウリ……エル」
「えぇ。お久しぶりです、と冗談を言っているような場合でもないですか」
顕現した大天使の威光が天界中に降り注ぐ。天使たちも、悪魔たちですら、一斉に光の発生源を向く。宙に浮く、巨大な光の羽根のシンボル。
悪魔が怯え、天使の士気が上がる。
「……私も、ミカエルと同じく、貴女に”賭け”てみたくなりました」
大天使ウリエルが、そこに居た。




