31.そして物語は彼女へ還る
「──それじゃあ、準備は良さそうですかね?」
ここがどこか。そう聞かれても、私が答えるのは難しい。理由は簡単。私自身も、ここがどこだか分からないから。ただ一つだけ知っているのは、”ここ”が黒居の術によって生み出された、現実世界の鏡写しであること。それと、私達以外の生命が全く存在していないこと。
「私じゃなく、ドロシーに聞きなさい」
「我はいつでも行けるぞ。溢れる力を抑えきれないぐらいだ」
……そう言ったヴァルキリーは、剣を天高く掲げてみせた。刃が太陽の光を反射して光り輝く。なんでもいいけど、敵と戦うまで、ちゃんと力を温存しておきなさいよ。
「無論だ。我の敵はミカエル。貴公が盟友を救出するまでの間、持ちこたえてみせるさ」
彼女はそう言うと、剣を傘に戻す。黒居の考えた作戦は、至ってシンプルなものだった。つまり、ドロシーを囮にしている隙に、私がアンジュを助け、戦乙女を連れて現世に一瞬で戻る、という感じね。
私達は確かに、互いの技を学んだ。でもそれは、付け焼き刃のもの。大天使に正面から立ち向かえるような代物じゃない。
だったら、前衛の役割をドロシーに任せて、私がアンジュを助ける、という作戦の方が、成功率が高いし、なにより私がミカエルの相手をできる気もしないし。
正直な話、黒居に聞きたいことは山ほどあるし、ミカエルにもそう。でも今は控えておく。これが終わったら、質問責めの刑、だけどね。
「おやおや。ただの人間に、今更聞くことが?」
「へぇ? どーだかね。ってか、いくらなんでも無理があるでしょう、今更」
”彼”は、白色の塗料が入ったスプレー缶を使って、地面に模様を描いている。……魔導の術式だろうか? あいにく、私は見たことがないものだけど。
星の模様が施された黒色の穴開きグローブをはめる。自分の中にあるエネルギーが、それによって活性化されていくのを感じる。魔導砲用に作ったモノだったけど、意外と使えるわね。
「エインさん、鍵を」
ミカエルに渡されたそれを、黒居に預ける。彼は空になったスプレー缶を地面に置くと、今度は地面に描いた模様の中心に鍵を置いた。
ドロシーは少し準備することができたらしく、つまり空き時間が少しだけ生まれたので、私は黒居の横に立って質問してみた。
「これ、魔法?」
しゃがみこんで作業をしている黒居と同じように、私も座り込む。……別に、近くで眺めたところで、この術式が構成する魔法が分かるわけではないけど。
黒居は、しゃがみこみながら、地面においた鍵に手をかざしていた。その腕の周囲には、”魔法文字”がふわふわと浮かんでいる。
「ま、あなたの魔導砲と似たようなもんです。オリジナルの術式ですよ」
「ふーん」
もう一度、足元の魔法陣を見る。既視感があるわけでもないわけでもない感じがする。なんだろうか。どこかで見たような。
「……コレのせいでは?」
黒居は、私の前にある物を出した。なるほど合点がいった。道理で既視感があるわけだ。彼がその手に持っていたのは、あの”悪魔達”から回収した、何冊かの魔導書だった。
表紙に描かれた模様が、青白く光っている。魔法陣の中の模様にには、かつて私が見た、幾何学的で意味不明な模様が入っていたのだった。
「それ、解読できたのね」
私にそう言われた黒居は、”そんなまさか”とでも言いたげに、顔の前で手を振る。……じゃあ何で魔導書の力を引き出せてるのよ。
「そりゃあ、アレですよ」
だから、その”アレ”が何なのかを聞いているんだけど。
「……おや、ドロシーさんが来たみたいですよ」
……はぁ。はぐらかされるのに慣れてきた自分が嫌になるわね。なんてことを思っていると、戦乙女──ドロシー・フォン・ヴァルキュリアがやってきた。特に、服が変わってるだとか、傘の柄が変わってるだとか、そういう風には見えないけど。
「待たせたな。今度こそ、いつでも行ける」
ドロシーはまっすぐに黒居と私を見つめると、視線を戻して傘を掲げ、そのまま肩の上に置いた。私は、座っていた状態から立って、手袋をしっかりとはめる。少しだけ深呼吸をしつつ。
黒居は座ったまま、私に問いかける。
「で、あなたは”どう”なんです?」
不安がない……わけじゃない。天界の様子も分からないし、ミカエルからのコンタクトも、あれ以来なかった。向こうへ行った途端に、天使から襲われる可能性だってある。
けれど、そんな理由で”友人”を助けるのを諦めるほど、私は落ちぶれていない。羽根を失っても、天使としての在り方を忘れたつもりもない。
ミカエル達のように、世界の為に戦う。違うやり方で。あの”ベリアル”を、倒すという方法で。
「……今更、聞くようなことでもなかったですね」
黒居はふっと笑うと、その場に立ってドロシーを呼んだ。手をスーツのポケットに入れながら、私達に言う。
「向こうがどうなっているのか……すみませんが、分かりません。何が居るのか、何が起こっているのかすらね」
「承知のことだ」
ドロシーは、全く怖気づくこともなく、肩の上に置いていた傘を、そのまま地面へ突き刺し、両手を持ち手の部分へ置いた。
「……どうか、ご無事で」
黒居は、再びポケットから手を出して、”鍵”の上にかざす。すると、地面に描かれた魔法陣に、まるで水が流れているかのように、無地の模様に青い色がついていく。
隅まで色が行き渡ったかと思うと──大きな音とともに、その魔法陣が爆発した。
「……これが……ゲート、か」
煙が晴れて、ドロシーが言葉を漏らす。”そこ”に現れたのは、かつてミカエルが生み出したものと全く同じ外見のトビラだった。
「黒居」
「私達が居ない間、頼んだわよ」
ドロシーがトビラに手を触れると、自動で開き始めた。急いで彼女の隣へ行く。隙間から見えるのは、黒。天界の光景が見えるわけではなく──。
「──わ、わっ!」
自由がきかない。体が、トビラの方へ吸い込まれていく。開いた空間の中へ、一瞬のうちに、私達は吸い込まれてしまった。




