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32.天界

「……な」


 黒居のゲートを通ると、私達は一瞬で天界へと着いた。天使が待ち構えている──と想像していたものの、そんなことはなかった。代わりに視界に入ってきたのは、燃える街。そして、暴れる黒い影。

 一瞬遅れて、耳に入ってきたのは、悲鳴。鼓膜をつんざくような、叫び声が、そこら中に響いている。


「一歩出遅れた……ということかしら」


 暴れている黒い影、悪魔。天界にアイツらを引き込める奴は、ベリアルしか思い当たらない。そしてこの惨状だ。


「……エイン。ミカエルは近くには居ないようだ」


 そう言ったドロシーの剣には、血の跡が付着していた。悪魔のものだろう。ゲートから出た瞬間に襲われなかっただけマシと思うべきか。


「……天界へ来て最初に斬るのが、悪魔になるとはな」

「とんだ想定外、ね」


「行きましょう」


 ドロシーと並んで前へ進む。そこら中に火が放たれており、本来ならば皮膚が焼けそうになるほどの熱さ……なのだが、不思議とそうはならなかった。

 魔法か、あるいは何かで生成されたものか、いずれにせよ、火は熱を周囲へ放っていなかった。


 戦乙女が歩きながら構える剣を握りしめるのを見て、私も手に力を入れる。建物が崩れ、ほぼ廃墟と化しているため、死角が多い。

 おまけに、人間界で戦った悪魔のように、ある程度の知能を持っているなら、待ち伏せされるかもしれない。


 と。そんなことを思いながら慎重に進んでいると──声が耳に入ってきた。といっても、天使や悪魔の叫び声ではない。かすれそうな声で助けを求める声だ。


「……ドロシー」


 戦乙女は、前方へ盾を構えつつ、声のした廃墟へ向かう。その陰に隠れながら歩く私も、いつでも応戦できるようにはしているが。


「ひくっ……えぐっ……」

「聞こえたか? エイン」


 廃墟の中には悪魔の姿はなかった。剣を一旦納めたドロシーと一緒に大きめの瓦礫をどかすと、下に羽根が見えた。

 埃やら煤でくすんではいるものの、それは間違いなく天使の羽根だった。


「周囲の警戒をお願い」

「あぁ。我に任せておけ」


 戦乙女が離れると同時に、治癒のための魔法を展開する。名はない。基礎的な魔法だがまぁ、この”手袋”のおかげで、今はそれなりの傷も治せるはずだ。


「あなた……名前は?」


 羽根が無いことに対してなのか、少女は疑いの目で私を見ていた。幸いなことに軽症ぽい。


「……お姉ちゃんこそ」

「え? わ、私?」


 ……まさか返されるとは考えてなかった。別に、名前なんて減るもんじゃないしいいけどね。


「エイン。天束エインよ。これでもれっきとした天使だから」

「……ふーん」


 なんていうか、冷めた反応だ。もしかしてだけど、信じてない? 心外ね。羽根のない天使だって探せば居るんじゃないの。


「……だってお姉ちゃん」


「羽根もないのに魔法を使えるなんて、”あくま”と同じじゃん」

「……は?」


 この子供が……じゃない。なんですって? 悪魔が私と似てる? だとしたら。あの時、ゲートから見えていた暴れる黒い影は。

 すべて、一級悪魔クラスの──人型。


「──ドロシーっ!」


 感触。少女が私の腕を掴んでいる。爪を立て、体躯に似使わない力で。骨がミシミシと音を立てていた。


「なーんだ。この程度なんだぁ」


 少女の声色が変わった。それまでの甲高い子供の声が一転して、エコーのかかったような声になっていた。──まるで迂闊に近づいた私をあざ笑うかのように、

 もっと早く気づくべきだった。”もうこの街に生きている天使などいない”と。


「くっ……!」


 けれど、ここで終わるつもりなんて毛頭ない。痛みに耐えて掴まれた手をひねる。激痛が走った。当然だ。骨にも傷がついたかもしれない。

 

 だが。痛みに耐えたおかげで──手の平がちょうど、少女に擬態した悪魔の方へと──。


魔導マギカ……ブレイクっ!」


 少女に向けて放たれたそれは、そのまま地面まで貫通し、土煙を上げて着弾する。だから、反応が一瞬遅れた。


「エインっ! 前だっ!」


 ドロシーの声。ハッとして前を見ると、人型の悪魔……いや、もはや人と悪魔のキメラのような”黒い影”が、私に飛びかかろうとしていた。


「しまった──」


 とっさに目を瞑って手を頭の前に出す。”黒い影”の右手の槍のような得物が、私の頭を貫く……ことはなく。


 目を開けた私の前には、先程の悪魔が真っ二つになった死体と、緋色の髪を持つ天使の後ろ姿があった。


「……貸しにしといてやるよ」


 巨大な剣を振る大天使──ミカエルの姿が、そこにはあった。


「”何か”の気配がしたと思って来てみりゃ、まさかお前らだったとはな」

「は? 気配?」


 ドロシーの方を見ると、頭から少し血を流していたが、それよりも、肩に一撃をもらってしまったらしく、盾を持っていた方から出血していた。


「オレが炎を抑えてんだよ。これ以上火が広がらないようにな。で、変化を感じて来たらこれってわけだ」

「……そう」


 ミカエルの装いをよく見てみると、以前人間界へ来た時と違い、鎧はボロボロで、腕も傷だらけになっており、戦いの凄惨さを物語っているようだった。

 剣には、先程のドロシー以上に血がべっとりと付いており、ここに来るまでに、相当な数の悪魔を殺したのだろう。


「その、ありがとう。ミカエル」

「あ?」


 ……そんなに不機嫌にならなくても。


「違ェよ。礼を言うなら」


 ミカエルは指を指す。街が廃墟と化すなか、ただ一つだけ破壊を免れ、天高くそびえる塔のような建造物。その上層部を。


「あそこに居るクソ野郎を潰してから、ってこったよ」


 私とドロシーは上を見る。立ち上る煙よりも高く、黒色の空を突き抜けるその”塔”を。


「あそこにっ……盟友が……っ!」


 戦乙女は廃墟の外へ行こうとする。血と傷だらけの体で。そんな彼女の肩を……ミカエルは叩いた。


「……ッッ! 痛いっ!」


 力が抜け、倒れようとする彼女をミカエルは担いだ。そして私へ言う。


「人間界には、”敵の敵は味方”とかいう言葉があるらしい。──なぁ、いい言葉だとは思わねぇか?」


 一理あるけど、そもそも私はあなたを信頼していないし、あなただって同じ。ならせめて、何か信頼できる材料が欲しいものだけどね。


「信頼なんて知るかよ。この際重要なのは」


 ミカエルは振り向く。その鋭い目で、私の目を見ながら。まっすぐに。



「ベリアルを殺してェかどうか、それだけだろ」

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