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願い

 打ち合う剣戟(けんげき)の音が次第に遠ざかる。

 二人の姿が完全に視界から消えた今も、ヴァイオレットは振り向くことができなかった。

 どんな理由でも受け止めると、この前決めたばかりなのに――いざこうしてみると、ただ振り向くだけのことが非常に難しい。

 そんなヴァイオレットの背後から、彼女を呼ぶ声がした。


「……ビオレ」


 このままずっとこうしているわけにもいかない。ヴァイオレットはのろのろと、殊更ゆっくり振り返った。

 カリムの姿が目に入り、にわかに胸が弾む。しかし、その手に握られたものに気づいて、ヴァイオレットは瞑目した。

 カリムの胸に抱かれた短剣――それが答えだとヴァイオレットは思った。

 やはりヴァインが言うように、カリムは許せなかったらしい。

 当たり前か。言ってみれば、自分たちは居場所を奪い、親や知人を殺した仇だ。

 どう言いつくろってみても、その事実は変わらない。

 ヴァイオレットは細く目を開けた。じり、と足を動かせば、カリムの身体がピクリと反応を見せる。短剣を握るその手は、これから起こることを想像してか、かすかに震えていた。しかし、カリムの身体は固まってしまっているのか、短剣を構えるどころか、鞘から抜く様子もない。

 ヴァイオレットの口元が、笑みを含んで静かに形を変えた。


「……バカね」


 呆れたようなその声は、どことなく優しそうで、ほんの少し、寂しさが滲む。


 ――それじゃ、当たらないじゃない。


 これでは何のために、危険を冒してこんなところまでやってきたのか、わからないではないか。

 ヴァイオレットは足に力を込め、カリムに向かって地を蹴った。

 少しの命令を添えて。

 ヴァイオレットの命令を受け、カリムの左頬にある痣が青白く光った。

 ほんの少し、手を伸ばせば届く距離。ひと息つけるかどうかの瞬く間。

 カリムの胸に抱かれた短剣が、鞘からその刀身を現し、ヴァイオレットを切り裂いた。




 カリムは始め、何が起こったのか、理解できなかった。

 ヴァイオレットが自分に向かって飛び込んできたところまでは覚えている。

 そのとき、自分はどうしたのだったか。

 脳が理解することを拒んで、どくどくと脈打つ。

 それでも視界に入ってくるのは、変えようのない事実だった。

 カリムの手にした短剣は、たがわずヴァイオレットの肌を切り裂き、そこから(あふ)れだしたのは赤ではなく、銀。色は違えど、命の色であるそれ。

 もう少し距離があれば、勝手に身体が動いたことに、カリムは気づけたかもしれない。

 しかし、それを知覚するにはあまりに刹那にすぎた。

 知覚することもできない瞬く間。その一瞬で、短剣は鞘から引き抜かれ、彼女の柔らかい肌をぱっくりと切り裂いた。

 よく見れば、ヴァインから庇ったときについたものなのか、カリムが切りつけた場所以外にも、少女の白いワンピースは濡れているようだった。

 ヴァイオレットの膝から力が抜け、ゆっくりと(くずおれ)れる。

 カリムは短剣から手を放すと、慌てて彼女の身体を支えた。

 力の抜けた身体をその小さな体では支えきれず、それでも地面に打ちつけないように、ゆっくりと寝かせる。その頭を膝の上で支えるようにして座り込んだ。


「ビオレ……」


 顔をのぞき込めば、そのスミレ色の瞳と目が合った。

 痛みからか、他の理由からか、その瞳は滲んでいた。

 ヴァイオレットの裂かれた肌からは、次から次へと銀色が溢れ出す。カリムはそれを少しでも止めようと、傷口に手を当てた。ヴァイオレットと出会ってから、この色を何度も目にしてきたけれど、さすがにこんなに流れたら、死んでしまうのではないだろうか。


「とまれ、とまれ」


 願いにも似た言葉が、カリムの口から漏れた。小さな手が、すぐに銀色に染まる。


 カリムのとったその行動に、ヴァイオレットは不思議そうな目を向けた。

 カリムの口から(こぼ)れる言葉は、未だに聞き取ることはできない。何と言っているかはわからない、わからないが、これではまるで自分を心配しているようだ、とヴァイオレットは思った。


 ――そんなわけないのに。


 出血過多で、都合のいい幻覚でも見ているのだろうか。ヴァイオレットは、その必死なカリムの顔に手を添える。その左頬につけた印を何度かなぞった。


「これはもう、必要ないかな」


 く、と目元を歪ませて、ゆっくりと印に親指を這わせる。

 それが通り過ぎたあとには、どんなにこすっても落ちなかったヴァイオレットの印が、跡形もなく消えてしまった。

 同時に、カリムから感じ取っていた気配が音もなく消え去る。

 身体の一部が抜け落ちていくようなひどい喪失感に、自然と体が震えた。

 名残惜しくて頬を撫でていたら、その手にそっと、小さな手が重ねられる。

 その場に流れる静かな時間。

 塔がここに立って、起こってしまったことは変えることが出来ない。

 地下からやって来た人たちが、ここから退()くこともない。

 全てをなかったとには出来ないが、仇くらいは取らせてあげられたかなと思う。

 これでひとまず満足してくれないかなと、そのオリーブ色の瞳を見つめた。


 ――どれくらいそうしていたのか。


 じゃり、と土を踏む音が聞こえた。

 カリムはヴァインかデフェルのどちらかが戻ってきたのかと思い、音のした方に顔を向けた。

 そこにいたのは予期した人物ではなかった。

 見知らぬ人だった。

 森の外からやって来た人。

 その片手にぶら下がった剣が、酷く凶悪に見える。


「そいつは……塔のやつか?」


 男はヴァイオレットに視線をくれると、カリムに「大丈夫か」と声をかけながら近づいてくる。

 カリムの頭の中で警鐘が鳴った。

 ヴァイオレットには逃げてほしいけれど、この状態では動けそうにもない。

 カリムが担いでいくことも無理そうだ。

 男は気味悪そうに、カリムの膝に頭を乗せて横になっているヴァイオレットに目を向けた。

 ヴァイオレットが動けそうにないことを見て、大股で近づいてくる。

 二人の真横まで来たとき、男が剣を構えた。剣身は下に、その柄頭を押さえるように握り込む。

 男が剣を振り下ろす瞬間、カリムは動いた。

 理屈はよくわからない。

 それでも何度も目にしたこと。

 もし、今、この場をなんとかしてくれるものがあるとするなら、これ以外にあり得ない。

 カリムは銀に染まった手を振って、辺りに銀の飛沫を散らしながら、ヴァイオレットに覆いかぶさり、叫んだ。


「お願い、助けて!!」

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