報告
――夜遅く。ロペスに到着したデフェルはカリムを連れて、この村で一番大きな邸の門前までやって来ていた。
正面口のベルを鳴らすと、数分と待たずに年若い使用人の青年が顔を出す。
「ルイス、悪い。イエーガー様、まだ起きてる?」
こんな夜分に訪ねたことを謝りつつ、取り次ぎを頼む。
ルイスと呼ばれた青年は、一度奥に引っ込み、次に扉が開いた時には、二人は客間へと通された。
カリムは部屋の入り口から案内された室内を見渡すと、気後れから身体が強張るのを感じた。客間に置かれた高級感あふれる家具や調度品は、黒を基調として調えられており、重厚な雰囲気を醸し出している。
そうやって部屋の入り口で固まっていたら、デフェルに促され、ビロード張りのソファに座らされた。これまで触れたことのない生地の手触りの良さに、汚してしまわないか心配になる。
考えてみたら、デフェルと共に馬に揺られ、村に到着するや否や、汚れを落とす間もなく、馬を預けてここに来たのだ。
(やっぱり座るのはよくないんじゃ……)
慌てて立ち上がろうとしたところで、デフェルが無遠慮に腰を下ろした。デフェルが隣に座ったことで、立ち上がるタイミングを失ってしまう。
「しばらくお待ち下さい」
二人が座ったのを確認すると、ルイスと呼ばれた使用人が一礼して部屋を出て行く。入れ替わりに、メイドの女性がワゴンを押して茶器を運んできた。奇麗な所作で紅茶を淹れると、二人の前に並べて置く。
デフェルが出された紅茶に口を付けると、カリムにも飲めと勧めてくる。
カリムはおずおずと紅茶の入ったティーカップを持ち上げ、慎重に口へと運んだ。手に取ったティーカップも“良いもの”なのだろうな、と思う。
(割っちゃったらどうしよう)
緊張しながら飲む初めての紅茶の味は、よく分からなかった。
そうして二人、通された客間で会話をするでもなく、時間だけが過ぎていった。
所在なしにソファに座っていたカリムが、いつまでここに居るのかな、と思い始めた頃――扉の向こうから野太い男の声と、女の金切り声が近付いてきた。
「だから、部屋いっぱい余ってんだし、こっち泊まっとけって言っただろ」
「何バカなこと言ってるんですか! そんなこと出来るわけないでしょう!?」
何やら揉めているらしい。
隣のデフェルは「変わらないなぁ、あの二人」と苦笑を漏らしている。
男女の声が扉の前まで近付くと、いつからそこに居たのか、ルイスが扉を開けた。
「待たせたな」
デフェルは声の主を認めると、ソファから立ち上がって礼を取る。カリムも慌ててデフェルに倣った。
ズカズカと部屋に入ってきた壮年の男――イエーガーは、どかりとソファに腰を下ろすと、二人に座るよう勧め、隣にジェイダが座るのを待って、口を開いた。
「んじゃ、話を聞こうか」
ソファのアームに頬杖をつき、チラリとデフェルに視線を向ける。間を置かず、デフェルは淡々と話し出した。
カリムの住んでいた村に、塔が立っていたこと。
カリムの他に村人はいなかったこと。
デフェルはいつの間に調べたのか、カリムが知っている事よりも、詳しく村の状況について報告していた。
順を追って報告していき、塔から出てきた人達が村の周囲に森を作っている段に話が及ぶと、それまで黙って聞いていたイエーガーが口を挟んだ。
「森? 苗でも植えてんのか?」
「いえ――えっと……」
それまでスラスラと報告していたデフェルが言い淀む。
「なんだ? はっきり言え」
先を促され、どう言ったものか迷っていたデフェルだったが、ここで悩んでも仕方がないと思ったのか、一度真横に口を引き結ぶと、手振りを交えて見たままを話した。
「こう――自分の手を傷付けてですね。連中が血を撒くとそこから木が――……」
「寝ぼけてたんじゃないのか?」
イエーガーがデフェルの言葉を遮って、間髪入れずに突っ込んだ。気が触れたと思われるよりかは遥かにマシだが、それでも正気を疑われている事には違いない。デフェルは頭を抱えて呻き出した。
「ほらっ! も~~~っ! 絶っっ対、言うと思った! だから報告すんの嫌だったんだよっ!!」
口調が素に戻ってしまっている。
それまで大人しくソファに座って様子を見ていたカリムは、そんなデフェルを見兼ねて口を開いた。
「あの――デフェルさんの言ってることは、本当……です……」
皆の視線が集中したことで、身の置き場に困ったカリムは、段々と声が小さくなり、最後は消え入るような声になってしまった。
そんなカリムの小さな両手を、デフェルがはっしと握り込んだ。
「だよなっ!? 俺、嘘言ってないよな!?」
「カリムくん、マジいい奴っ!!」とか言いながら、握った両手をぶんすか振り回す。そんな二人を見て、イエーガーとジェイダは顔を見合わせた。
「お前、名前は?」
デフェルの前に座った男に名前を聞かれ、カリムは身を固くする。
「……カリムです」
喉に声が引っかかって、少し変な声が出た。
カリムにとって「大の男」というものは、自然と緊張させる存在だった。これまで接してきた「大の男」が、ほぼカリムの父親だけだったので無理もない。
ふと、目の前に座った眼鏡の女性と目が合った。途端、痛ましげな表情になる。カリムは内心で首を傾げていると、男が名乗った。
「俺はイエーガーだ。こいつはジェイダ」
イエーガーは眼鏡の女性を顎で示すと、その名前を告げた。
「イエーガーさん……」
「一応、この辺一帯を取り仕切っている」
その言葉に「偉い人なんだな」と思った。
イエーガーは、デフェルの話した内容を確認するためか、幾つか質問してきた。
カリムはこの数日のことを思い浮かべながら、答えていく。
塔の中のことに話が及ぶと、知りませんと首を振った。
ヴァイオレット達といた間は、村にある家で過ごしていたのだ。塔に入ったことはないので、中がどうなっているかは分からない。
大体のことを聞き終えたイエーガーは、語調を和らげた。
「遅くまで付き合わせて悪かったな。また色々聞くかもしれんが、今日のところは休むといい」
そう言うと、テーブルに置いてあった呼び鈴を鳴らす。すると、扉の外に控えていたルイスが部屋に入ってきた。
「この子を休ませてやってくれ」
「かしこまりました」
ルイスはさっとカリムの側までやって来ると、退室を促す。カリムは促されるまま席を立つと、扉に向かって歩き出す。部屋を出ようとしたところで、イエーガーに呼び止められた。
「ああ、そうだ。その頬の……痣か? どうしたんだ?」
カリムはビックリして振り向いた。思わず左頬に手を当てる。
「これは――……」
先日、ヴァイオレットに付けられた物だ。
なんと説明したものか、返答に窮していると、ジェイダが助け船を出してくれた。
「言いたくないなら、言わなくてもいいのよ」
その声音には気遣わしげな響きがこもっている。
説明しないで済みそうなことにほっとしたカリムだったが、ジェイダの発した次の言葉に固まった。
「怖い思いをしたんでしょう?」
――怖い思い?
ふと、ソファに座ったデフェルとイエーガーに視線を移す。どちらも瞳を伏せて沈痛な面持ちを見せていた。
思えば、いきなり村を襲われ、親や知人を一度に亡くし、村を襲った人達に囲まれて過ごしていたのだ。そう考えれば、ジェイダが気遣わしげに声をかけてくるのも、デフェルとイエーガーがこのような顔をするのも、理解できた。
皆のことを見ていると、否定するのは簡単だが、今、それをしてはいけない気がした。
気まずい沈黙が下りる。
「ルイス」
その場で固まって、動かなくなったカリムのことをどう思ったのか。
イエーガーがルイスの名を呼ぶと、その声に反応したルイスが「参りましょう」と背中を押す。
今度こそ、カリムは部屋を後にした。
次回の更新は、1/15㈫の予定です。