↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
星を蝕む怨み火

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
80/161

怨火、山中に立つ

 下野国境の戦いに敗れた良兼は、その後も本拠地の武射(むしゃ)には戻らず、常陸国内に留まり、執拗に反撃の機を窺っていた。陣を置いたのは筑波山西麓の真壁郡にある服織宿(はとりのやどり)にある別邸である。

「……小次郎将門殿、平真樹殿。朱雀帝元服の大赦を受け、すでに下向(げこう)の途にございます」

 使者が息を切らして告げた。

 良兼の顔から、すっと血の気が引いた。だが、次の瞬間、血が沸き立つように頬が紅潮し、握りしめた拳が震えた。

「赦免……だと。あれほどの狼藉を働きながら、何事もなかったかのように坂東へ戻るというのか」

 声は低く、野太い響きを帯びていた。その眼には、将門への底知れぬ怨嗟(えんさ)と嫉妬が、黒い螺旋を描くように渦巻いていた。

 良兼は大太刀(おおだち)の鞘尻を床板に突き立て、ゆっくりと巨躯(きょく)を起こした。それは、まるで眠っていた獣が目を覚ますような動きだった。


「筑波の山へ入る。護摩の支度をさせよ……」

 家司は深く頭を下げた。

「承知いたしました」

 筑波山は、古くから神が鎮座する神体山として山岳信仰の対象とされた霊峰である。西の男体山と東の女体山から成る「双耳峰(そうじほう)」から、加波山、足尾山に続く尾根筋は険しく、巨石や奇岩、岩窟が点在し、やがて僧や行者たちが祈り、籠もり、本格的な霊場へと変わっていったという。

 伝承では延暦元年(七八二)、徳一が山腹に堂宇を開き、千手観音を安置したとされる。千手観音を本尊とする主拝殿を中心に、護摩堂、経堂、庫裏があり、修行僧が居住する僧房や岩屋(修行場)も数多く点在したと伝わる。


 ――筑波山中、護摩堂。

 五色の幡(はた)が天井から垂れ、正面には、火焔光背(かえんこうはい)を負った不動明王像。その背後には曼荼羅(まんだら)が薄暗い壁の一面を覆っている。

 法螺貝(ほらがい)の音が響くと、暗闇に包まれた山々が震え、修験者たちが松明を掲げて続々と堂内に入った。

 護摩壇(ごまだん)には沈香(じんこう)と白檀(びゃくだん)の香煙が立ち昇り、堂内を満たしている。最奥の曼荼羅から飛び出したかのように見える不動明王像。その双眸は、灯明の揺らぎを受けてまるで生きているかのように鈍く光った。

 平良兼は塗香を受け、五鈷杵(ごこしょ)を執り、低く真言を唱えはじめる。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

 真言が響くと同時に、護摩壇の火が爆ぜ、火柱が天井へと伸びた。

 火柱の中に、利剣(りけん)の影が浮かび、羂索(けんじゃく)の形が揺らめいた。

 修験者が護摩木(ごまぎ)を差し出す。

 良兼はそれを掴み、火柱へと叩きつけた。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

 瞬間、火焔が裂け、轟音とともに火柱が脈打ち、炎が獣のように唸り声を上げた。

 その異様な唸りに、修験者たちは、胸の奥に冷たいものが走るのを感じた。

 堂の外では、風もないのに木々がざわめき、獣たちが一斉に逃げ出した。

 修験者の一人が、思わず後ずさった。

「……これは、護摩の火ではない。怨みの火だ……!」

 別の修験者たちが震える声で言った。

「怨火(おんか)じゃ……!」

「……これは、呪詛じゃ!」

 だが、良兼はためらわなかった。

 護摩木を火中へ投じる。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

 火柱の中に浮かぶ影を見つめ、狂気にも似た光を眼に宿していた。

 一人が叫んだ。

「な、なんじゃ! 影が火の中に……!」

 別の者は、膝をつき、額を地につけた。

「ち、違う……これは御仏に供える火ではない!」

 皆が恐怖に顔を強張らせるなか、ただ一人――

 良兼だけが、笑っていた。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

 人の怨念が、尾根の龍脈と結びつき、“地の焔(ほむら)”となって噴き上がっている。

 この儀式は、もはや人の手に負えるものではなかった。

 その夜、護摩堂を出た者は、誰一人として口を開かなかった。ただ黙したまま、闇に連なる尾根を見つめ、恐怖を押し殺していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。