影揺らぐ晩秋の館
晩秋の風が、葉を落とした木立を渡り、水守館に冷えた落葉を吹き込んでいる。川曲の戦場から敗走してきた兵たちは、その落葉の上に屍のように次々と倒れ込んだ。かつては馬の嘶きと鎧擦れの音が絶えなかった前庭では、血と泥土に塗れ、肩を震わせる兵たちが苦痛に苛まれながら、焚火や炭櫃の赤い光に縋るように手を伸ばす。
女たちは大釜で何度も粥を炊き、折れた矢を抜き、裂けた傷口に布を当て、泣き腫らした目を袖で拭いながら、痛みに呻く兵の背をさすって回った。立ち昇る白い煙が冷気に溶け、敗北の匂いと混じり合って館全体を覆っていた。
(……あれは人ではない……勝てるわけがなかろう……)
承平五年(九三五年)十月、川曲の戦いに敗れた良正の心には、恐怖と屈辱が深く刻まれていた。水守館に辿り着いた良正の胸の奥では、いまだに鬼怒川の水音が反響していた。
前庭に面した主屋の庇の下に、源護は独り、茫然と座していた。背を丸め、火に照らされた顔は土気色にくすみ、すでに精気を失っている。良正が馬から降りたとき、その虚ろな眼差しが、ゆっくりとこちらを向いた。
「敗れたか……」
冷えた声であった。良正は膝をつき、深く頭を垂れた。
「将門の武威と軍略に、わが力及ばず……」
源護は焚火の炎を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「良正殿……其方も見たであろう。将門は人ではない。百の黒騎馬が駆けたとき、我は……あれに“鬼神”を見た」
焚火の火が、源護の憔悴した顔を赤黒く照らした。
「我は将門に侮られたと思い、怒りに任せて密殺の企てに乗った……」
良正の背筋に、冷たいものが走った。
将門は、血の結束を超え、一門の秩序を超え、ただ不義を排除する“力”の権化であった。事の始まりは、早世した良将の跡目を継ぐべき将門が京にあることを奇貨として、国香が源護らと謀り、下総の所領や利権を横領したことであった。国香の“嫉妬”、源護の“驕り”、両者に共通する“強欲”、それらが、将門の“義”によって焼かれたのだ。
「我らは、触れずとも良い逆鱗に、敢えて触れたのだ……」
その声は怨を超え、次第に呪の響きを帯びていった。
「だが、将門は甘くなかった。」
源護は、天に向かって両の手を伸ばした。
「果たして天は……我が血を奪い、高望王との紐帯を断ち、我ら嵯峨源氏の末を滅ぼそうとしておるのか……」
焚火の向こうで、兵たちが粥をすすり、女たちが泣きながら手当をしている。その光景を眺めながら、良正の胸に、これまで押し殺してきた思いが静かに浮かび上がった。
武家は誉れで成り立つもの。ひとたび「臆した」と評されれば、一門は眉をひそめ、郎党は離れていく。まして、棟梁である良兼の意に沿わねば、座の端へ追いやられ、やがて所領も郎党も失う定め。
女婿でありながら館に籠り、近在にあって仇討ちにも赴かぬ――そう一門に囁かれ、居場所を失うことが怖かった。挙兵は見栄に外ならぬ。何よりも一門の棟梁・良兼への忖度――戦わねば何をされるか分からぬ恐怖が、良正の背を押した。
義でも忠でもなく、ただ己の面子を保ち、居場所を守る――保身のために良正は矛を執ったのである。
良正は、焚火の赤い光の中で、静かに決意した。
(この戦には大義がない。良兼殿を説得し、将門と和睦しよう。……まだ間に合う)
良正は、ゆっくりと立ち上がった。焚火の火が晩秋の風に揺れた。
肩の傷が痛んだが、その痛みは、むしろ決意を固めさせるように感じられた。




