浮島に帰る風
新皇・平将門が北山に斃れてから、幾年かが過ぎた。
藤原国豊は、信太浮島の波際に立っていた。
館は再建され、家子・郎党らも戻り、夕風が若い葦を低く鳴らしていた。
霞む水平線の向こうで、遠い日の幻がほどけ、過ぎし歳月が波間に消えてゆく。
宇治の朝靄。母が結び直してくれた襟の紐。忠平の掌のぬくもり。そして、将門と交わした義。どの面影も声なく浮かび、水に沈んだ。
国豊にとって、将門はただ仰ぎ見る英雄ではなかった。実の父に退けられ、母を孤独から救えず、己の居場所さえ定められなかった国豊に、自らの足で立つことを教えてくれた兄であった。同時に、己の義を貫く覚悟を、その生き様で示した師でもあった。
乱の後、残党狩りは苛烈を極めた。将門の一族は次々と追捕の網にかかり、誅殺された。
御厨三郎将頼は、将門が討たれた後も抵抗を続けたが、天慶三年七月七日、相模国で討たれた。下総守・相馬五郎将為、伊豆守・相馬六郎将武、相模守・相馬七郎将文も、残党狩りで捕らえられ、斬首された。
藤原玄明も、多治常明も、あるいは誅殺され、あるいは討死して最期を遂げた。
――将門に与した者は、その名を口にすることさえ忌まれた。
国豊も秀郷に憎まれ、将門の与党と目されて連座しかけた。しかし、忠平卿の後見を受ける身であったため、その罪を問うことは憚られた。
忠平卿は「都には戻る気はないか」と国豊を気遣った。それでも国豊は、浮島の棟梁として生きる道を選んだ。
将門の血は絶えたと思われるようになったころ、その旧領を引き継いだ平良文(村岡五郎)が、子の忠頼を伴って浮島を訪れた。
「国豊殿、久しいな」
「良文殿、忠頼殿も、ご健勝のご様子。かような辺鄙な地へ、ようこそおいでくださいました」
忠頼は一人の童子の手を引いていた。
将門の遺児、正国である。幼い正国は、夜陰に紛れて国豊のもとへ託された。国豊はその童子を、かつて己を守ってくれた将門の義の残り火として迎え入れた。
正国を抱き取ったのは、将門への恩を返すためだけではなかった。受け継いだ義を、今度は己の生で果たすためであった。
将門を討つため、貞盛、秀郷らに協力し、俘囚の兵を送った良文は、低く言った。
「悔いはない」
「されど、正国に罪はない」
その言葉は、呟きに近かった。
忠頼は、将門の次女・春姫を正妻に迎えていた。だが、春姫は父が北山で討たれた後、姉の滝姫(如蔵尼)とともに密かに出家し、如春尼と名を改めた。
忠頼と春姫の間に生まれた子、すなわち良文の孫が、のちに安房国府を襲撃し、再び坂東に乱をもたらす平忠常である。
浮島を包む水霧は深く、世間の目を遮るには十分であった。国豊は正国を我が子として信太浮島に匿い、実子の清名とともに育てた。甘やかさず、されど見捨てず、厳しく養った。
朝には二人の弓弦が鳴り、夕べには泥のついた足袋が並んだ。
叱る声が止むと、館にはしばし風だけが通った。
夕映えの水際で、国豊は懐から水楓を取り出した。笛の淡い木目を指でなぞり、ひと息、吹いた。澄んだ音が葦の穂を渡り、母の袖の香と将門の笑い声を、束の間、呼び戻した。風にほどけてゆく二つの面影を、国豊は己を支える義とともに胸に受け止めた。
音が消えると、清名と正国の寝息が聞こえた。
守るべきものが、健やかに眠っている。
その静けさだけでよかった。
やがて国豊は、浮島の風を聞きながら生涯を閉じた。
水楓は枕辺に置かれ、夜明けまで誰も手を触れなかった。
朝、葦を渡る風は水面を離れ、笛の余韻を遠い後世へ運んでいった。
その響きには、母の記憶も、将門との縁も、民を守り抜いた国豊の義も、分かちがたく息づいていた。
将門の血は国豊の義に包まれ、坂東の土にひそかに守られた。
正国もまた、沈黙のうちに父の血を守り抜いた。
正国の子・文国は、信太の姓を名乗り、乱の記憶がなお人々の胸に熱く残る坂東で生き抜いた。名は変わり、住まいは移り、旗印は伏せられた。されど、将門の血は絶えなかった。文国の裔は相馬氏となり、その血を後世に伝えた。
一方、国豊の嫡子・清名は浮島氏を名乗り、その血筋は相馬木幡氏へとつながってゆく。木幡の家は相馬氏の重鎮となり、主君を支え、その軍配のもとで働いた。時には盾となり、時には家の記憶を守る柱となった。その主従の絆は武家の世に息づき、乱世を経て、相馬藩へと受け継がれた。
かくして浮島で守られた血と義は、ともに後世へ受け継がれたのである。




