雪中の盟
真冬の寒風が海沿いの大地を吹き抜け、乾いた雪が降りしきっていた。貞盛は、秀郷・為憲らとともに常陸を脱し、海道(浜通り)を北上して陸奥国石城へ入った。秀郷の軍と貞盛の残兵を合わせれば、なお五百騎を下らぬ兵力であった。
貞盛は在地豪族・石城国造の末裔・石城泰道の娘を娶り、姻戚の縁を結んでこの地に腰を据えた。兵站を確保するための政略であったはずのこの縁は、後世、海道平氏の隆盛へとつながってゆく。この氏族は、やがて奥州藤原氏との結びつきも深めることになる。
一方、将門は秀郷と貞盛の行方を追い、常陸国内の探索を続けていた。だが、坂東の外にまで追手を差し向けることはなかった。それが、貞盛らには幸いした。
当面の拠点を石城に定めた秀郷は、旧知の俘囚主らに助力を求めるべく、雪の浜通りを北へと発った。将門の虜囚となった常陸介・藤原維幾の嫡男・為憲もまた、石城氏らとともに在地豪族のもとを巡り、将門追討の勅命を伝え、兵の徴集に奔走していた。
石城館――北風が障子を震わせる音を聞きながら、平貞盛はただひとり、叔父・平良文との対面に思いを巡らせていた。
――良文殿は、応じてくださるか。
その答えは、陸奥の雪原の向こうにあった。貞盛が目指すのは、陸奥国・胆沢城。従五位上・陸奥守にして鎮守府将軍を務める叔父のもとである。良文は京に生まれ、穏やかな面差しを持ちながら、武勇と統率においては坂東随一と謳われた男であった。
奥羽でも、坂東の擾乱に呼応するかのように、蝦夷や俘囚ら、いわゆる「まつろわぬ民」の蜂起が相次いでいた。その慰撫と鎮圧は、急を要した。良文は朝廷の命を受け、蝦夷の叛乱を鎮めるべく鎮守府将軍の任に就き、三千の兵を率いて北国の雪原を駆けていた。
かつて将門が良兼らと争った折、良文は将門に温情を示し、味方したことすらあった。良兼とともに将門に敵対していた貞盛にとって、良文を頼るのは賭けにも等しかった。だが、陸奥守・鎮守府将軍として動かし得る兵馬は多い。その助力を得られれば、将門討伐の成算は大きく増す。貞盛は、そこに最後の望みを託していた。
一方、良文も遠い陸奥にあって朝廷との連絡を怠らず、将門がついに朝敵と見なされるに至ったことを知っていた。
(――まさか、あの孝心篤き将門が、「新皇」を僭称し、朝廷に弓引くとは……。お前の義は、どこへ行ってしまったのか……)
にわかには信じがたいことであった。良文の矜持は、主上への忠誠と、朝廷の臣としての節義にあった。その点では、国豊と気質を同じくする男であった。
貞盛は、「新皇」を僭称して反旗を翻した将門に、もはや良文が情をかけるはずはないと踏んでいた。
――この賭け、勝てる。貞盛はそう己に言い聞かせた。
雪は降りやまず、白い荒野は音を呑み込んでいた。その静寂のただ中で、ひとつの盟が結ばれようとしていた。
貞盛は少数の供を連れ、陸奥国胆沢城へ入った。吹雪の中にそびえる城は、北方を守る神のごとく黙然と構えていた。城門を守る兵の鎧には雪が積もり、その姿は氷像にも似ていた。
「平貞盛、参上仕った。陸奥守・鎮守府将軍、平良文殿にお目通り願いたい」
名乗りを聞いた衛兵は、わずかに目を見開き、すぐに城内へと走った。
やがて、広間へ通された貞盛の耳に、奥から近づく足音が届いた。現れたのは、穏やかな面差しに北国の武将らしい鋭い眼光を宿した男――平良文であった。
「……久しいな、貞盛殿。この雪の中、よくぞ参られた」
良文の声は静かであったが、その底には揺るぎない確かさがあった。
貞盛は深く頭を垂れた。
「叔父上……将門は『新皇』を僭称し、ついに朝廷に弓引くに至りました。
もはや、情をかける余地はございませぬ」
良文の眉がわずかに動いた。
「小次郎将門、まさか、そこまで道を外れるとは……」
その声音には、かつて将門に温情を示した男の、深い失望が滲んでいた。
貞盛は続けた。
「我は将門に敗れ、坂東を追われました。されど、まだ終わってはおりませぬ。藤原秀郷殿も、常陸小掾・為憲も、将門討伐のために力を尽くしております。――どうか、陸奥の強兵をお貸しくだされ」
良文は、しばし沈黙した。広間の外では、吹雪だけが唸っていた。
やがて、良文は静かに口を開いた。
「貞盛殿。そなたの父・国香殿も、良兼殿も、桓武平氏高望流の嫡流として、その責務を果たさんと努めた。その志に疑いはない。そなたも同じと見た」
良文はゆっくりと立ち上がり、奥に掲げられた鎮守府将軍の軍扇に手を伸ばした。
「将門が不遜にも『新皇』を僭称した以上、もはや骨肉の情は捨てねばならぬ。我らは朝廷の臣。主上の御心に背く者を見過ごすわけにはいかぬ」
軍扇が開かれた瞬間、広間の空気が変わった。
「貞盛殿。我が兵二千、そなたらに添えて遣わそう」
貞盛は息を呑んだ。
「叔父上……!」
良文は頷いた。
「朝廷の命により、賊徒・将門を討つべし!」
その言葉は、雪原に響く雷鳴のようであった。
貞盛は深く頭を垂れ、その額が畳に触れた。
「……この御恩、必ずや報じます。叔父上のお力を得て、将門を討ち果たしてみせます」
良文は静かに言った。
「貞盛殿。そなたの理は、我と同じである。――我らは、朝廷の臣である」
こうして、雪に閉ざされた陸奥の地で、坂東を揺るがす反攻の火が静かに灯った。北の果てから、新たな戦の気配が立ち上がりつつあった。




