第35話 奇跡の一雫
「それじゃ、“いち、に、さん”の掛け声で一気にひくぞ」
「ああ、わかった」
「いち、に、さん!引け!」
「おー!」
いく人もの町の人たちが集まって、一斉に縄を引っ張る。
ミシ……ミシミシっと軋んだ音をたてて、レオンの足を覆っていた大木が僅かに持ち上がった。
「ほら!今だ!」
「レオン、ちょっとだけ我慢してくれ。引っ張るぞ」
二人の男性がレオンの右手と左手をそれぞれに持ち、勢いよく引きずり出した。
「抜けたぞ!
レオンはもう大丈夫だ」
それを合図に町の人たちは縄を掴んだ手を緩める。
たった数十センチ持ち上がっただけの大木が、ゴドンっと鈍い音を響かせて地面を打った。
「レオン!
レオン、あぁ良かった。みんな、本当にありがとう……」
仰向けに横たわるレオンの頭や顔、胸や足についた土をはたきながら、息子の無事を確認するマルタ。
「か……母さん。ごめんよ、心配かけて。
町のみんなも、本当にありがとうございました」
マルタの手をぎゅっと握って、それから上半身を起こしたレオン。
彼は町の人たちを見回すと、ゆっくりと頭を下げた。
「レオン、気にすんな」
「そうだ、無事でよかったよ」
次々とレオンに温かい言葉をかける町の人たちの間を、割って前に出てきたヨルク。
「レオン、礼は嬢ちゃんに言いな。
嬢ちゃんが、“お前を助けたい”ってみんなに訴えたんだ」
「ディセルネちゃん……が」
少し離れた場所に、小さな影が薄らと佇む。
辺りの薄暗さで、レオンからディセルネの顔は見えない。
「ディセルネちゃん」
レオンが小さな女神の名を呼ぶと同時に、影が走り寄ってきた。
「レオン!」
必死に走って倒れ込んできたディセルネを、両手でしっかりと受け止めたレオン。
彼が優しくも、ぎゅっと抱き止めた小さな肩が震えている。
胸元から聞こえる鼻を啜る音に、レオンはそっと声をかけた。
「ありがとう、俺の女神さま」
ハッとして顔を上げたディセルネの目元は真っ赤で、次々とその群青色の瞳から雫が溢れ落ちている。
「其方、女神……って、
妾のことただの“ごっこ遊び”だと思うとったんじゃなかったのかぇ?」
「ディセルネちゃんが、神でもそうじゃなくても、俺には希望をくれた女神さまなんだよ」
「無事で良かったのじゃ……」
再びぎゅっと抱きついたディセルネに、少しだけ上体を捩ったレオンの口から微かに「ゔっ……」と声が漏れた。
「レオン、どこが痛いのじゃ?」
「足がね、多分折れているんだと思う。
でも、そんなに痛くないから心配ないよ」
そう言って笑って見せるレオンの額には、じんわりと汗が滲んでいる。
「妾にまだ、ちゃんと力があったなら……、
ごめんなさい……なのじゃ、レオン。
妾は、其方に何もしてやれん。
痛みすら取ってやることもできんのじゃ……」
俯き肩を落としたディセルネの双眼から、再び雫が溢れ始めた。
「なんで、ディセルネちゃんが謝るんだよ。
俺の怪我は俺のせい」
「じゃが、妾は神じゃった……」
「ねぇ、ディセルネちゃん。俺も含めて、ここの人たちは神様に祈る事をするよ。
でもね、それって“何かをどうにかして欲しい”って事じゃなくて……、
うぅん……、上手く言えないけどさ、
心の拠り所って感じなんだよ」
「拠り所……かえ?」
「そうだよ。
祈る事で、自分の内面を知ることだったり、気持ちが落ち着いたりさ」
———あぁ、人の祈りは……
妾は何も見ずに、聞かずに居ったから、それすら知らんかったんじゃな。
神の力がのうなった妾にでも、誰かの拠り所にはなれるだろうか。
ふと明かりをなくした空を見上げたディセルネ。
キラリっと何かが光る。
まるでスローモーションのように、だんだんと近づいてくるそれに、ディセルネの瞳が大きく見開かれた——————
それはかつて、ユーデルが彼の世界に落としていた雫。
そして過去にユーデルに言われるがまま、自身が落としていた雫。
「希望の……雫?」
掠れたように紡がれたディセルネの言葉は、誰の耳にも届いていない。
ディセルネの胸元まで落ちてきたそれは、彼女の手のひらで止まった。
両手で優しくそれを包み込んだディセルネは、レオンに問いかけた。
「痛むのは、右足かえ?」
「っえ?あぁ、右足だよ。でも心配しないで」
ディセルネの様子に気を取られていたレオンは、少し驚いたように返した。
ゆっくりと立ち上がって、微笑んだディセルネ。
レオンの右足の前に屈み込むと、そっと両手を添える。
「レオンの痛みが和らぎますように」
小さな女神の指の間から、淡い光が僅かに漏れた。
レオンがヒュっと息を呑んだ音が聞こえる。
*****
「デウスさま?」
「なんじゃ?」
「今……」
「わしは、何もしとらん」
素知らぬ顔で水鏡を後にする創造神デウス。
顔を見合わせたアースとセレナは、二人して水鏡を覗き込む。
そこには穏やかに笑い合う、ディセルネとレオンが映っていた。




