第30話 神としての決意
窓辺に置いた椅子に膝立ちして、ずっと外の喧騒を窺うディセルネ。
聞こえてくるのは、町の人々の混乱と恐怖。
「ディセルネちゃん、こっちにおいで。私とお茶でも飲んで待ってようかね」
茶器をテーブルに置いたマルタの眉は、ほんの僅かに下がっている。
「おぉ、そうじゃのう。妾がお茶を淹れるから、マルタおばちゃんは座っててよいぞよ」
タンっと、椅子から飛び降りたディセルネはマルタの側まで駆け寄ると、ティーポットに手を伸ばした。
「おや、まぁ。
こんな小さな子に、気を遣わせるなんて。
……心配かけたね、でも、もう私は大丈夫だよ。
ありがとう、ディセルネちゃん。
ほら、ヤケドするといけないから、私がやるよ」
そっとディセルネの頭を撫でて、小さな手からティーポットを受け取ったマルタの目尻が下がる。
ディセルネは彼女の真意を測るかのように、じっとその瞳の奥を見つめた。
ふと、小さな女神の真剣な視線に気付いたマルタ。
彼女も真っ直ぐにディセルネの瞳を見続ける。
そう、それは、まるで“にらめっこ”。
ディセルネもマルタの視線を受けて、何かあるのかと、より深く彼女に注視する。
すると突然、マルタがパチっと片目を閉じて戯けて見せた。
「マルタおばちゃん……」
「ディセルネちゃんは、心配性だね。
言っただろ?私は大丈夫だって」
そうじゃのぅ……、それじゃぁ……、
妾は、マルタおばちゃんの美味しいお茶が飲みたいぞよ」
少し大袈裟なくらいに、明るく話し始めたディセルネ。
マルタもわざと腕まくりのポーズを取り、腰に手を当て胸を張る。
「よし、任せてちょうだい。
とびっきり美味しいお茶を淹れるからね」
互いに顔を見合わせて、どちらともなくクスッと笑いが漏れた。
まだ夕方には少し届かない、太陽の位置が下がり始めた午後。
少しだけ肩の力を抜いた二人は、寄り添うように時間を分け合っていた。
*****
熱々のお茶にフゥフゥっと息を吹きかけて、温度を下げるディセルネ。
数回繰り返して、ようやく口元へカップを運ぼうとしたその時――――
『おい、ディセルネ。聞こえるか?』
聞き慣れた相棒の声が、頭の中心にスッと入り込んできた。
大きく目を見開いて、動きを止めたディセルネ。
次の瞬間、勢いよく椅子から飛び降りると、玄関目がけて走り出す。
「ディ、ディセルネちゃん!どうしたんだい⁉︎」
マルタの裏返った声にも振り返らずに、慌てて扉を開くとヤーナの姿を探した。
『……っ⁉︎
ヤーナ、ヤーナ!
其方、どこに居るのじゃ?
皆は、皆は無事なのかぇ?
ヤーナ、何があったのじゃ?
レオンは?
シェリール……、シェリールは?』
キョロキョロと辺りを見回しては、次から次へと念話を飛ばすディセルネに、ヤーナの落ち着き払った声が届く。
『おい!落ち着け、ディセルネ。
いいか、今から現状を説明するからな。とりあえず、黙って聞け』
『おっ、おう。わかったぞよ』
『まず、レオンは無事だ。ただ、今は折れた木に挟まって動けない』
『怪我しとるのかぇ?大丈夫なのかぇ?意識はあるのかぇ?』
『ディセルネ、お前俺の話聞いてたか?
とりあえず、黙って聞け』
『すまぬ……』
『レオンは今は眠っている。息はしてるし、目立った怪我もない。でも、もしかしたら木に挟まれた足は折れているかもしれない。シェリールが到着した時には、意識があって会話したらしいが、すぐに気を失ったみたいだ』
『折れた木は……、レオンが挟まっている木は、ヤーナが元の大きさに戻っても取り除けないのかぇ?』
『一本なら何とかできたんだが、何本も折り重なっているんだ。俺だけじゃ無理だ。
それと、黒いモヤにおおわれた……獣。
魔獣は本当に居るぞ。かなりデカい。それに、弱ってもなぜか再生するんだ。一度蒸散した黒いモヤが……、うまく説明できないけど、町の方から流れてきたモヤが、弱って小さくなった魔獣を包んで、回復させているんだよ』
『ヤーナ、情報量が多すぎて理解が追いつかん。
とりあえず、妾もそこへ行くぞよ』
『わかった。レオンの救出は任せてもいいか?
俺はシェリールのサポートに向かう。どうやら、今回の魔獣はいつも討伐しているモノとは違うみたいだ。
とにかく再生する前に、一気に核を砕く必要があるんだ』
『今から向かう。ヤーナ、シェリールをお願いするぞよ』
「ディセルネちゃん、いったいどうしたんだい?」
玄関先にやってきたマルタが、小さな女神に視線を合わせてかがみ込んだ。
「マルタおばちゃん、レオン、レオンが見つかったんじゃ。
レオンは折れた木に挟まって、動けないみたいなんじゃ。
妾は、人手を集めて助けに行ってくるぞよ」
「れ、レオン?……見つかったって……⁉︎」
息を詰めたマルタの口から漏れ出た言葉には、困惑と焦燥の色が滲み出している。
大きく首を縦に動かしたディセルネの顔を覗き込むと、恐る恐る尋ねた。
「ディセルネちゃん、いったい何があったんだい?
私には何が何だかわからないよ。
どうして、レオンが木に挟まってるって思ったんだい?」
ハッとしたように息を呑むと、ほんの僅か宙を見たディセルネ。ゆっくりとマルタに視線を戻すと、大きく深呼吸した。
――――もう、マルタおばちゃんは……、妾に笑いかけてはくれんかもしれんのぅ。
この世界がこんな状況なのは、妾のせいなのじゃから……。
レオンが魔獣に襲われたのも、妾のせいじゃ。
妾がちゃんと、この世界を見守っておらんかった結果なのじゃから。
シェリールも、レオンも、マルタおばちゃんも、町の子どもたちも……、皆大事じゃ。
大事な人たちの住むこの世界、妾は守りたい。
力をなくして気がつくなんてのぅ……、
それでも、妾にできる事はあるはずじゃ。
一度開きかけた口を閉じて、再び言葉を乗せたディセルネ。
「……ヤーナが教えてくれたんじゃ。
マルタおばちゃん、妾がこの世界の神じゃと言うたら信じてくれるかぇ?
今は何の力もないがのう……、
それでも妾が幼な子じゃのうて、この世界を作った神だったと言うたら……、
信じてくれるかぇ?」
ただ真っ直ぐにマルタを見つめる小さな女神の唇が、僅かに震えていた。
マルタの柔らかく温かな両の手が、ディセルネの頬に伸びる。
ふわりと包み込んだかと思うと、イタズラに目を細めた彼女は、ムギュっとまん丸のほっぺを押しつぶした。
優しく、柔らかく、そして微笑みながら。
「何をそんなに心配しているのさ。
ディセルネちゃんが、この世界の神様でも、そうじゃなくても、私にとってはディセルネちゃんはディセルネちゃんだよ。
あぁ、もしかして、自分のせいだとか思ってるんじゃないだろうね?
たとえ神様がこの世界を創ったとしても、この世界を良くするも悪くするも、それはここに住む人間の選択だって。
だからさ、今の状況だって、きっと私たちが生きてきた結果なんだよ。
ほら、レオンのところに連れて行っておくれ」
「……ありがとう、マルタおばちゃん。
レオンを助けに行くぞよ」
ディセルネの目尻に溜まった雫が、ポタリと落ちた。
一滴、二滴と床に染みをつくる。
女神は小さな手の甲で目元を拭うと、マルタの手を取り森へ向けて走り出した。




