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まさかの懇願。
俺は一瞬唖然とした後、眉間に皺をよせ南方の胸ぐらをつかみ上げた。
「おいどういうつもりだ? よりによって何でこいつに頭下げてオネガイゴトなんてしてんだよ。頭いかれたか?」
南方は真面目な顔を崩さず、「僕は正常だ」と言い返してきた。
「さっきも言ったが君こそ理解しているのか。今僕らの前にいる相手は、殺そうと思えばいつでも僕らを殺せる怪物だ。彼女の毒が有効であることは身をもって知ってるだろう」
「はっ。だから尻尾振って逃がしてくださいと懇願するってか? んなのが通じるまともな野郎じゃねえってのも理解できない無能かお前は」
至近距離で俺と南方は睨み合う。
どちらも譲らず睨みあいを続けていると、安楽音が堪えきれないと言った様子で吹き出した。
「うふ、うふふふふふ。あなた達とっても面白いのね。この状況で仲間同士喧嘩しあうなんて」
「「仲間じゃない」」
「あらごめんなさい」
腹立たしいことだが、俺と南方の言葉がシンクロする。
安楽音はくすくす笑いながら席を立つと、身構える俺らを気にかけることなく優雅にお辞儀をした。
想定外の行動に、俺も南方も戸惑い動きが鈍る。しかし安楽音はその致命的な隙をあっさり見逃し、言葉を紡いだ。
「どうぞ、ここからお帰りになりたければお帰りくださいませ。ワタクシは一切妨害などいたしませんから」
「こんな状況を作り出しておきながら、その言葉を信じろと?」
南方が不信感を隠さず尋ねると、安楽音はにこりと微笑んだ。
「ええ。最初に申し上げました通り、ワタクシは自由を愛しておりますの。ですから誰のどんな行動も、止める気も否定する気もさらさらありませんわ」
「……だからてめえの行動にも口出しすんなって、そう言いたいわけか?」
胸ぐらから手を放し、俺は真正面に安楽音を見据える。
腕力では絶対に敵わないであろう男二人を前にしながら、その顔には一切怯えや不安の色がない。自身が絶対的優位にいることを確信した、強者のほほえみ。
俺にとっては、どこか懐かしさすら覚える表情。
つい顔が緩んでしまう。
「その通りですけれど……どうしてそんなに嬉しそうな顔をしていますの?」
強者のほほえみを消し、安楽音は不思議そうに首をかしげる。
――嬉しそうな理由? そんなの分かり切ってるだろ。
俺はこぶしを握り締め、
「勝利確信してる奴をぶん殴るのが、一番気持ちいんだよ」
猛然と駆け出した。




